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舟送り  作者: 網笠せい
第二章 広島県呉市
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第二話

 拓は電車の吊り革をつかみながら、眠気の残る頭を振った。父の漁船を書き起こしてみたものの、設計図の方は進まなかった。


 船といえば、船底の真ん中に竜骨があって、そこから左右対象に底板が伸びているものだが、仁が送ってくれた漁船の画像は海に浮かんでいるものばかりで、船底についての画像がない。おおよその想像はつくが、設計図に起こすとなると、話は別だ。


 ──そういえば、カヌーに乗ったことがあった。


 拓はふと、子供の頃に瀬戸内海の西島でカヌーに乗ったことを思い出した。あのカヌーの船底はどうなっていたのだったか。


 瀬戸内海に浮かぶ西島は、家島諸島の一つである。2006年に兵庫県姫路市に編入されたこの島には、兵庫県立いえしま自然体験センターがあり、マリンスポーツやキャンプなどを楽しめる。


 拓は子供の頃、ロッジに家族で宿泊して、魚を釣り、牡蠣を拾い集め、カレーを作り、カヌーに乗った。なにぶん子供の頃の話だからあまりはっきりとは覚えていないが、木目の綺麗な小洒落たロッジがいくつかあったように記憶している。


 波の音も含めて普段佐柳島にいるときと大きくは変わらないはずなのに、場所や道具が変わると気分が変わって、一気にアウトドアになる。拓にはそれが不思議だった。そうして、少しわくわくした。


 あのときの父も、いつもとは少し違っていたような気がする。家島では特に張り切っていた。火起こしはもちろん、飯盒で米を炊くのに「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いてもフタ取るな」としきりに口にした。米が炊けて拓が飯盒のフタを開けようとすると「蒸らしの時間が必要じゃ」と、止められた。母がカレー鍋をかき混ぜるたびにいい匂いがして、お腹がぐうと鳴り、家族に笑われた。


 懐かしい記憶に微笑みながら駅の改札口を出ると、駅の喫煙所で煙草を吸う。ぷかぷかと煙を吐き出しながら、拓は勤め人の顔に戻って、今日の作業について考えた。もう何千回もそうしてきたように、造船会社の敷地内に入ってロッカーで着替えると、拓はヘルメットをかぶり、自転車を漕ぎだした。撓鉄の作業は、今日も続く。


「拓ちゃん、盆船、どうなった?」


 昼休みに詰所でパンを食べていると、班長がやってきた。拓は何度もうなずいて口の中に詰まったパンを飲み込んでから、スマホのアルバムを開いた。


「親父の漁船の画像を送ってもらいました」

「……ほほー。こりゃまた、ザ・漁船じゃのう」

「描き起こしたけんど、設計図の方はまだですね」

「まあ、一朝一夕に進むもんでもないじゃろ」


 午後の仕事を終えると、拓はぐったりとヘルメットの下に滲む汗を拭った。ガスバーナーと水の出てくる管を使う撓鉄は、座っている時間の長い仕事だ。特に力を使うような作業ではないが、神経を使う。拓は目頭を揉みながら、腰をうんと伸ばした。


 明日は休みだ。会社のロッカーにヘルメットを入れて、消臭スプレーを吹きかける。もうもうと出てきた白い霧を手で追い払いながら、拓は作業着を無造作にカバンに詰め込んだ。


 ──明日は図書館に行ってみるか。漁船の船底や仕組みが、何かわかるかもしれん。


 改札をくぐり、電車に揺られながら、拓はぼんやりと呉の街並みを眺める。材料を集めるにしても、まずは設計図が必要だ。


 ──エンジンを組み込むもんじゃなくてよかった。ガワだけ作りゃあええ。機関部を作るとなったら、いったいどうなったやら。


 拓は自宅の最寄駅で降りると、疲労の残る足取りで駅前のうどん店に入った。広島県呉市のうどんは、海軍や港町で働く人々の影響で、細うどんが多い。細い麺は調理が早く、出汁もよく絡み、やわらかくて食べるのも早く済む。


 注文すると、すぐに大ぶりの丼が出て来た。温かい湯気が上がっていて、細く刻んだ薄揚げとネギが乗っている。一口すすると出汁のいい香りが鼻に抜けていく。温かいうどんをかき込むと、空きっ腹が満たされて、ほっと息が出た。拓はカウンターに置いてあるティッシュで合間に鼻をかみながら、夢中でうどんを啜った。店内ではラジオの音が流れている。


 拓はなんとはなしにラジオを聴きながら、食べ終えたうどんをカウンターの上に置いた。


「ごちそうさま」


 エプロンをつけた女将らしき女性がレジ前に立つ。会計を済ませると、拓はゆっくりとのれんをくぐって店を出た。


 初夏の風が心地よく吹き渡っている。拓はアスファルトに靴音を響かせながら帰宅した。


「ただいま」


 誰が聞くわけでもないのに、マンションの扉を開けてそう言うと、拓は洗面台に向かう。カバンに詰め込んでいた作業着を出して、ポケットの中を確認した。レシートなどは入っていない。洗濯機に作業着を放り込んでから、スイッチを押す。洗濯用洗剤で若干ぬるついた手を洗っているうちに、ゴウンゴウンと洗濯機が回り出した。ガス給湯器を操作して風呂場に向かい、浴槽を手早く流してお湯を入れた。


 拓は居間に腰を下ろして、テーブルの上に置きっぱなしにしていたノートを眺める。昨夜父の漁船を描いたものだ。


 図書館には設計に関する本がいくつかあるだろう。しかし船の設計となると心許ない。拓はごそごそと専門学校時代の教科書を探して、うっすらと埃をかぶっていた本を取り出した。何年振りだろう。教科書を開いてみると、授業中のメモや落書きが、端に書き込んであった。


 拓は十年以上前の自分と対話するような気持ちになりながら、教科書をじっと見つめた。いったい何を考えていたんだとおかしくなる落書きもあれば、今はもう意味がわからなくなってしまった内容もある。逆に、授業をありありと思い出せるメモもあった。


 拓はベランダに出て、煙草に火をつける。


 当時と今の自分では、どう変わっただろうか。大きく変わっていないようでいて、当然変わった部分もある。たとえば、もう故郷の佐柳島には、父がいないように。


 煙草を消して部屋に戻ると、洗濯機は、まだ回っていた。「お風呂がわきました」という音声が、軽快なメロディと共に流れて来た。


 拓は手早く入浴を済ませてTシャツとズボンを着ると、洗濯物を室内に干した。明かりを消して疲れた身体をベッドに横たえる。マットレスに身体が沈み込んでいくように、すぐに眠りに落ちた。


 翌朝は、晴れていた。拓はスマホの画面で日時を確認すると、昨夜部屋の中に干した洗濯物を外に出した。買い置きしておいたパンをかじりながら、鏡を見る。髪が跳ねている。


 パンを食べ終えてから、洗面台で寝癖を直す。手ぐしや水をつけても直らなかった寝癖は、寝癖直しのスプレーを使って、やっと直った。洗面台に来たついでに顔を洗い、歯を磨く。


 図書館というのは、何時から開いているのだろうか。そもそも、拓の住む地域のどこに図書館があるのかも知らない。拓は歯を磨き終えてベランダに出ると、煙草を吸いながらスマホで検索した。市の中心部にある図書館が、九時から開いているようだ。職場の方が近い。


 ──こんなに手間がかかってるなんて、兄さんたちは知らんじゃろうなぁ。


 苦笑いをしながら、拓は平日と同じように電車に揺られて図書館へと向かった。休日の車内は空いていて、珍しく座ることができた。


 駅で降りて、スマホの地図を見ながら図書館に向かう。駅前のロータリーを越えて右折し、しばらく歩いて、川の手前にある蔵本通り左折する。川沿いの広場から吹き渡る涼やかな風を浴びながら、拓はゆっくりと歩いた。新緑や季節の花々が目に眩しい。木々のざわめきや、少し離れたところにある海の気配が新鮮だ。


 拓は普段の通勤ではこの道を通らないし、通ったとしても時間帯が違う。よく知っているはずの町が違ったもののように感じられて、拓はきょろきょろと辺りを見渡しながら歩いた。


 しばらくすると、大きなガラス窓のあるレンガ造りの図書館が見えてきた。拓はエントランスをくぐると、図書館の案内表示を見ながら書架に進む。「建築」の表示がついた書架には、たくさんの建物についての本が並んでいる。拓は船の建造についての本を探した。


 もしかしたなら、「歴史」の書架にも本があるかもしれない。拓はさまざまな本棚を回りながら、何冊かの本をピックアップした。閲覧用の椅子に座って、カバンに入れてきたノートを開く。父の漁船の絵を描いたノートだ。拓は図書館の本のページをめくりながら、ノートにペンを走らせた。


 船体の中央を舳先から船尾に向かって一本通る竜骨、船底とバランスを取るための重し、床板と甲板、船底から左右に伸びた船体側面の舷側、竜骨から垂直に伸びるように突き立ったマスト──。拓はノートに図解しながら、父の漁船の構造を想像していく。


 父の漁船にはちょっとしたマストが二本ある。そのうち一本には、大漁旗が掲げられている。船の真ん中よりやや後ろに操縦用の機関室があるから、船尾の重みは大きいはずだ。それでも舳先が浮きあがって、自転車のウィリーのような姿勢で海を進むわけではない。


 ──舳先の方に、重しを多く置いてあるんかもしらん。


 拓はあれこれと思考を巡らせながら、気が付いたことをノートに書き記していった。ノートには、余白を多くとっている。図書館の本を何冊も調べていると、前に調べた本と似たことが書いてあるとか、追加の情報が載っていることがある。その度に拓はノートを行きつ戻りつしながら、余白に加筆していった。


 何時間かそうやって集中していた拓だが、ふと空腹を覚えてペンを止めた。スマホで時刻を確認すると、もう13時になっている。読み終えた本をカートに置き、まだ読んでいない本を借りて、拓は図書館を出た。


 そういえば以前職場で、美味いカレー屋があると聞いた。この近くだったはずだ。呉市には観光客向けの店も多いが、味は確かだ。海軍工廠があった呉市には、潜水艦や護衛艦で振る舞われるのと同じレシピでカレーを作る店がいくつかある。拓は蔵本通り沿いの川を渡り、目当てのレストランに入ると、牛すじの入ったカレーを頼んだ。


 とろりと煮込まれた牛すじが、スパイスの効いたカレーの中にごろごろと入っている。拓はご飯に添えられていた旗を鉄のトレイに避けると、舌鼓を打ちながらカレーを食べた。家庭で牛すじを煮込むとなると相当な時間がかかるから、こうして手軽に食べられるのはありがたい。


 ゴールデンウィークの直後だというのに、街には観光客がちらほらといる。ゴールデンウィークに働いていた人たちが遅れて休暇を取ったのかもしれないなと、拓はすっかり空になったカレー皿を眺めて、水を飲み干した。スパイスの刺激の残る舌に、水の冷たさが心地よかった。


 会計を終えて店を出て、喫煙所で煙草を吸う。ほっと一息ついてから、拓はのんびりと駅に向かった。初夏の日差しはじんわりと汗ばむほどで、日傘を差している観光客とも、ときどきすれ違う。


 図書館の本の重みが、拓のカバンのベルトに乗っていた。昼食を食べる前にほとんどの本は調べたから、さほど重いわけではない。せっかく借りたのだし、残りの本は自宅に戻ってから調べようと、拓は再び電車に乗った。

【参考資料】

兵庫県立いえしま自然体験センター

https://www.shizen-ieshima.com/

Google

呉市公式観光サイト くれとりっぷ

https://kure-trip.jp/

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