第一話
拓は香川県佐柳島から広島県呉市の自宅に帰り、翌朝造船所に出社した。会社のロッカーで作業服に着替え、安全靴に履き替え、ヘルメットを被る。溶接手袋と防塵マスクを手に、階段を降りていく。自転車のカゴに手袋とマスクを入れ、自分の持ち場へと漕ぎ出した。
造船所は広い。あちこちで自転車に乗った従業員たちが行き来していて、すれ違うと「ご安全に」と言い合う。巨大なクレーンや特殊車両が動くと注意喚起のサイレンが鳴って、ドックの中に響き渡る。サイレンが止むと、今度はカーン、カーンといった甲高い金属音や、機械の稼働音などがよく聞こえる。
持ち場についた拓は自転車を停め、手袋とマスクをカゴから出した。専門学校を卒業してから十年ばかりこの造船所で働いている拓は慣れたもので、詰所内のホワイトボードで今日の自分の作業を確認した。
自分の名前の書いてあるホワイトボードに「出勤」のマグネットをつけて、誰かの書いた「忌引」の文字に訂正線を入れる。「ありがとうございました」と横に書き加えた。
この造船所では、大型船をブロック毎に分割して製造している。大型のコンテナ船ともなれば全長400メートルにも及ぶから、小分けにして、各工程に分かれて作業を行う。小分けといっても大きな船だ。一つのブロックは拓が見上げるほどの大きさで、高所作業用の車両やクレーンを用いて、塗装や溶接などの作業を行う。
拓は粉塵マスクを装着して、溶接手袋に手を差し入れた。船舶用の鋼板は現在ほとんど機械で加工されているが、撓鉄と呼ばれる鋼板を曲げる作業など、いくつか手作業が残っている。どれも技術を要するもので、職人たちは何年もかけてその技を磨く。拓が撓鉄作業をはじめたのは、去年のことだ。
「ご安全に!」
「おう! ご安全に!」
ガスバーナーの大きな音で、声が聞こえにくい。先に持ち場に入っていた作業員に拓は大声で挨拶をして、椅子に座った。
ヘルメットにつけた遮光シールドを下ろして、ガスバーナーと水の出てくる管を構える。鋼板を加熱によって膨張させ、水によって冷却する。そうすることで、温度差によって鋼板が曲がるという仕組みだ。初夏の作業は暑く、あっという間に汗だくになる。
拓はじっとガスバーナーを構えて鋼板をあぶりながら、水で冷却した。
どれほどそうしていただろうか。足元の鋼板がわずかに曲がりはじめていることに、拓は気が付いた。拓は木枠を運んできて鋼板の上に乗せると、曲がり具合を確かめた。班長がやってきて、一緒に確認をする。
「拓ちゃん、なかなかやるのう」
「上手くいっとりましたか」
「一年目にしてはな!」
班長はガハハと笑い声をあげて、拓の腕を軽く叩いた。
「ただ、ここの曲がり方がまだ足りん。木枠と鋼板に隙間ができとるじゃろ。もうちょっと炙った方がええ」
「はい」
「まあ、曲げすぎるよりはええ。撓鉄は、十年以上かけて腕を磨くもんじゃ。気張りや」
拓は再び鋼板を曲げる作業に戻る。じっとガスバーナーの火を見つめていると、二日前の夜のことが頭をよぎった。
──親父の灯篭船、作らん? なんて、よう気軽に言うたもんじゃ。
佐柳島での父の葬儀の日、長兄の隆が言い出したことだった。最初はそんなに大層なものを作る気などなかったのに、酒の席であれよあれよという間に話が大きくなってしまった。酔っていたのだ。
──ちんまい藁舟みたいなもんだとばかり。
父が使っていた漁船のミニチュアを灯篭船にしようというのは名案に思えたが、実際に図面に起こすのは拓である。しかも父の初盆までに完成させなくてはいけない。
──あと何ヶ月じゃ。
防塵マスクごしに、拓は大きく息を吸い込む。専門学校で図面の書き方を習いはしたが、部署が違えば作業内容が全く違うのが、造船所である。大型船と小型船でさえ勝手が違うのに、ミニチュアともなれば、なおさらだろう。
──どうにかせんならんのう。
拓は灯篭船の図面を引き受けたことを若干後悔しながら、鋼板に水を浴びせていった。ガスバーナーの先端で噴き出す炎の色を眺めながら、自然と吐く息が大きくなる。そのため息も、防塵マスクとガスバーナーの音に隠れて、拓自身にしかわからない。
昼休憩を知らせるサイレンが鳴って、遮光シールドを上げる。一気に世界が明るくなったようだった。詰所に戻って溶接手袋と防塵マスク、ヘルメットを外すと、拓は汗の滲んだ頭をタオルで拭った。ガスバーナーの匂いの名残が、じわりと肺に染み込む。冷蔵庫に入れていた昼食を食べたが、喉に引っかかるようだ。
「班長、設計部に知り合いとかいませんか?」
「設計部ぅ?」
「実はこういうことがありまして……」
父が亡くなったこと、葬儀で灯篭船を作る話が出たこと、それを父の初盆で海に流すこと、灯篭船を父の漁船に似せて作ろうとしていること、その図面を起こさなくてはいけないこと……かくかくしかじかと事情を話す拓に、班長は「そりゃええのう!」と身を乗り出した。机の上に乗せていたおにぎりを転がしそうになって、班長が慌てた。
「設計部に知り合いはおらんけんど、一緒に行って頼んじゃるわ!」
「ええんですか? ありがとうございます」
「これも親孝行じゃろ!」
班長はガハハと快活に笑って、気合を入れるように拓の背中をばしんと一発叩いた。拓は頭を前に出すように会釈して、食後の煙草に火をつけた。
昼休憩の終わるサイレンが鳴る。装備を揃えて作業に戻った拓は、ほんの少し気持ちが楽になって、ガスバーナーで鋼板を炙り、水で冷却し続けた。遮光シールドの奥で、ガスバーナーの炎が噴き出していた。
作業場に差し込む日差しが傾いてきたことにも気付かなかった拓は、班長にぽんぽんと肩を叩かれた。
「帰り、設計部に寄るじゃろ。今日は上がってええ」
遮光シールドを上げると、辺りはすっかり日が暮れていた。防塵マスクと溶接手袋を外し、終業を知らせるサイレンとともに、拓は自転車に乗る。班長と並んで自転車を漕ぎながら、拓は海が夕陽の色に輝くのをちらりと見た。大きな朱金色の太陽が、海に沈んでいくところだった。
「設計部はこっちじゃ」
「はい」
安全第一と書いてある建物の前で、拓と班長は自転車を停めた。ガラス戸を開けて、階段脇の事務所に顔を出すと、班長は奥の部屋にある設計部に拓を案内した。
設計部の面々は自分の作業に集中している。拓が斜めの製図台の上に設計図が並んでいるのを眺めていると、ようやく若い女性社員が立ち上がった。拓はしどろもどろになった。
「ええと、こんばんは。船の設計について、教えてもらいたいことがあって来ました」
怪訝そうに眉を寄せる設計部の人々に、班長が言葉を付け加えた。
「拓ちゃんはな、親父さんの初盆に精霊船みたいなもんを作りたいらしいんじゃ」
「はい。親父の漁船のミニチュアみたいな船を作りたくて……」
「はあ」
若い女性社員が首を傾げる横で、奥の方にいた年嵩のいった男性社員が席から立ち上がる。眼鏡を頭の上に乗せて、目頭を揉みながら近付いてくる男性社員に、拓は会釈をした。男性社員は白髪混じりの頭をわしわしとかいている。
「親父さんの船、どんな形や。見せてみ」
拓は慌ててスマホを取り出してアルバムを開く。何度もスクロールするが、そこに父の漁船の画像はない。
「……あ」
「なんや。写真ないんかい」
渋い顔になった男性社員に恐縮しながら、拓はようやく一枚の画像を見つけた。海に出た父の漁船を、船着場から撮影したものだ。
「すみません。これしか……」
「えらいちっさいなぁ!」
設計部の男性社員は、拓のスマホの画面から顔を離して目を細める。老眼なのだろう。
「いやー、こんな豆粒みたいな写真やったら、わからんわ。もうちょい大きい写真持ってき」
「はい。すみません」
拓のスマホを矯めつ眇めつしていた設計部の男性社員は、ひらひらと手を振って自分の席に戻って行った。
──こんなことなら、小さい盆船を買うのにしておけばよかった。
しょぼくれた拓を班長が慰めながら部屋を出ようとしたとき、先ほどの男性社員がひょっこりと机の奥から顔を出した。
「自分らで作りたいんやろ? 助言はしたるから、一度図面描いてきぃ。あと、船の写真もな。一枚とちゃうで」
拓は一瞬目を瞠ったが、次の瞬間には「ありがとうございます!」と声を上げた。班長は「よかったなぁ!」と拓の肩をつかんで揺さぶった。
設計部のある建物を出ると、空はすっかり群青色に染まっていた。鉄とコンクリートばかりだというのに、どこかから虫の声がする。拓と班長は自転車のライトをつけて、退勤するべく漕ぎ出した。
まだ設計部の部屋の明かりは点いている。残業する設計部の面々に、若干申し訳なさを覚えながらも、拓は自転車を漕いだ。
潮風が心地よく吹いている。灯篭船の件を解決する糸口が見つかって、拓はほんの少しだけ、肩の荷が下りたような気がした。
「拓ちゃん! 設計図、気張りや!」
ロッカーのある建物の前で、班長が別れ際に叫んだ。拓ははっと我に返って、まだ灯篭船作りがはじまってもいないことに気が付いた。
──まずは画像じゃ。
拓はスマホを取り出すと、隆と仁に「親父の漁船の画像送って」とメッセージを送った。
喫煙所で煙草を吸って、作業服から着替えて駅に向かう。電車に揺られながらスマホを取り出すと、仁が何枚か画像を送って来てくれていた。
拓は画像をスマホに保存しながら、その中にいる今は亡き父の姿を見つめて、吊り革につかまった。家に帰ったら、灯篭船の設計図を考えなくてはならない。今日の夜ご飯は帰りにコンビニで買おうと、拓は車窓の向こうに広がる夜の街並みを眺めた。
最寄駅に到着すると、電車がため息をつくような音を立てた。降車客が車両から降り、また新たな乗客が乗って、電車が出発する。拓は駅のホームで電車を見送りながら、改札への階段を上った。
駅前のコンビニに入り、手頃なサンドイッチを二つほど選ぶ。片手で食べられるから、父の漁船を絵に起こすのにちょうどいい。
レジを通して、改札を出たときに使ったICカードで支払いをする。最近はレジ袋も有料だ。拓は通勤用のカバンにサンドイッチを入れて、自宅までの道のりを歩き出した。
ぽつぽつと点いた街灯に、羽虫が群がっている。近付くと死んでしまうのにな、と拓は足元に散らばった虫の死骸を眺めながら、家路を急いだ。
マンションの階段を上がって、鍵を開ける。誰が聞くわけでもないのに「ただいま」と声を出す。主である拓が不在の間、しんとしていた部屋に、少しずつ血が通っていくような気配がする。玄関を施錠して、靴箱の上に家の鍵を置き、革靴を脱ぐ。安全靴を長時間履いていた足が、やっと解放された。
拓は靴下を脱ぎ、洗面台で手を洗う。ふと顔を上げて見た鏡に、拓の顔が映っていた。痩せたな、と、くすんだ肌の色に目が行く。顔を洗った。
短い廊下の奥には、八畳の部屋が一間ある。拓はテーブルの横にカバンを置いて、コンビニで買ったサンドイッチを取り出した。サンドイッチはほんの少し押し潰されて、歪んでいた。
ノートとペンを用意して、仁が送ってきてくれた漁船の画像を見ながら絵にしていく。画像は横から見た図がほとんどだ。父の漁船についての記憶がないわけではないが、なにせ薄ぼんやりとした古い記憶で情報が足りない。せめて正面から見た図があればなと、拓は何度もスマホの画面をスクロールした。
合間にサンドイッチを頬張りながら、ペットボトルのフタを開ける。コーヒー飲料を一口飲んで、拓は父の漁船をノートにスケッチしていった。
実際の船は鋼板でできているが、灯篭船は木材で作る。昔は海に灯篭船を流していたようだが、最近では環境保護のため、流した船を回収して浜辺で焼くことがほとんどだ。
──このアンテナは竹ひごでええかな。こっちの配線は糸にすれば、燃やせるか?
拓はサンドイッチを飲み込み、ガシガシと頭をかきながら、ノートにペンを走らせた。
【参考資料】
YouTube AMAZING FACTORY
『【巨大船の造船工場】造船所に潜入!鉄板から巨大船ができるまで【工場へ行こうⅢその1】』
『【巨大船の造船工場】造船上の天空の運転席!ゴライアスクレーンに乗る【工場へ行こうⅢその2】/
ジャパン マリンユナイテッド株式会社 https://www.jmuc.co.jp/




