第一話
「ほんじゃあ、いってくる。あとよろしく」
夕方になる前に、仁が佐柳島の集まりに出て行った。遠くから聞こえる盆踊りを手伝いに行くのだろう。太鼓と鉦の音、独特の節回しの歌がうっすらと聞こえてくる。本番前の練習なのか、妙なところでときどき止まる。
「仁は演奏するんかの」
「まさか。長机出したり、パイプ椅子運んだりやろ。演奏やったら、もっと早うから合流せんならん」
「それもそうか」
実家に残された隆と拓は、進水式を終えたばかりの灯篭船を眺めた。先ほどはバランスをなんとか保っていたが、若干傾いていたようでもある。供物を乗せると、このバランスもどうなるかわからない。
「親父、すごかったんやな」
「漁船はこれより大きいけん、安定性は高いんよ。フェリーも大型の方が揺れは少ないじゃろ。小さい船じゃからこその悩みじゃね」
「そういうもんか」
二人は浴槽にお湯を張って灯篭船を浮かべると、小さな甲板に供物の果物をいくつか乗せた。
「メロンはさすがに乗らんか。大きいし、丸い」
「リンゴとか桃、バナナくらいなら、なんとか乗るんと違うか」
拓の言う通り、バナナとリンゴは乗った。桃も、保護用のビニールの網が船から転がり落ちるのを防いでくれる。灯篭船の縁に引っかかった果物を見ながら、二人はああでもない、こうでもないと悩んだ。
「落雁が一番安定するのう」
「果物は半分に切ったらええんちゃうか」
試行錯誤をくり返して灯篭船に乗せる供物や位置を選ぶと、二人は浴槽から灯篭船を上げた。バスタオルで船底を拭いて、父の仏壇に供えておく。今日は猫たちが出掛けていて家にはいないようだから、悪戯をされる心配もないだろう。
隆と拓は仏壇に線香を供えると手を合わせた。ほんのりと甘いくぐもった香りが鼻先を漂う。神戸市と呉市でそれぞれに暮らす二人には、あまり馴染みのない香りだ。
「親父の漁船、作ったんやで」
「親父、帰りはこれで送るけんな」
めいめいに仏壇に話しかけると、隆と拓は閉め切ったガラス戸の奥から聞こえてくる祭囃子の音に耳を澄ませた。セミの声に混じってうっすらと聞こえてくる。
「俺らもあとで行ってみるか」
「線香が消えたらな。線香も、火には違いないけん」
しばらく仏壇を眺めていた二人だったが、隆が「あ」と声を上げた。不思議そうな顔をする拓をよそに、隆は灯篭船に精霊馬を乗せる。ナスに割り箸の足がついた牛だ。お盆にこの世に戻ってくる祖霊は、行きはキュウリの馬で早く戻ってきて、帰りはナスの牛でゆっくりと帰ると言われている。
「海の向こうについたら、ナスの牛で帰っていけるようにな」
「至れり尽くせりじゃな」
二人は小さく笑うと、顔を見合わせてから、もう一度手を合わせた。祭囃子の太鼓と鉦、独特の節回しの歌が、寄せては返す波のように聞こえる。近所の家が軒先に吊るした風鈴の涼しげな音とセミの声が、それに混ざって聞こえた。
麦茶を飲んだり煙草を吸ったりしてしばらく経ってから、二人は家を出た。鍵は仁から預かっている。家の鍵を閉めると、祭囃子の音が大きくなった。
両脇に民家や塀のある緩やかな坂を下りて、二人は海辺に向かう。途中には猫たちが転がっている。今日は盆祭りで外に出ている人間が多いから、猫たちも出てきたのだろう。
隆は父の葬儀の日に、かつてこの島で暮らしていた人々が猫になって戻ってきたのではないかと考えたことを思い出した。ならば、お盆の時期にうろうろしている猫たちは、久しぶりの島を満喫しているのかもしれない。
数十年前まで、佐柳島では土葬が一般的だった。埋め墓の下に、埋葬用の丸い桶に入った遺体を埋めていたという。だんだんと桶が腐って地面が沈んでいくのを、上に石を乗せることでならしたと聞いている。
法律が変わってその習慣はなくなり、今は火葬と納骨になったことに、島の人々の大半はほっと胸を撫で下ろしている。日本の高温多湿な風土では、腐敗した遺体がさまざまな悪影響をもたらす可能性が高い。なにより、ふとした拍子に仏様が出てきてしまっては困る。事件性があるのではないかと疑われてもたまらない。今では島を出た元島民が、墓仕舞いをすることも増えた。墓地の端に、魂抜きをした墓石が並んでいる。
島に生まれ、島で生をまっとうした人々が島を支えている──隆はそう考えるが、それがいささか感傷的なものであることも理解している。隆は島を出た人間だからこそ、そう考えられるのだろう。
防波堤の上に寝転んだ猫が、ひょいと頭を起こして、にゃあと鳴いた。阿波踊りのような編笠をかぶった女性が、踊りながらゆっくりと進んでいく。
少し開けた場所に長机を運んでいる仁の姿が見えた。隆と拓が駆け寄って手伝うと、久しぶりに会った島民たちが会釈した。
しばらくして、島民たちがパイプ椅子に座る。鉦の音がして、念仏がはじまった。兄弟たちは海に沈む夕日を眺めながら、そっと手を合わせた。海風が吹いて、人々の髪を乱していく。
長い念仏が終わると、祭囃子が再開された。今度は女装をした島民も踊っている。
「島の運動会でも、女装しとる人がいたのう」
拓が懐かしさに目を細めながら、そう言った。薄紫色の空は、群青色に変わりつつあった。
「そろそろじゃの」
「……行くか」
三人は灯篭船を取りに、一度家に帰る。先に戻ってきた仁がウェットスーツを三着持ってきた。
「それ、どないするん?」
「灯篭船を送るのに、海に入るじゃろ」
「……まあ、途中でひっくり返っても嫌じゃしな」
「お盆を過ぎるとクラゲが出てくるから、着といた方がええ」
三人はごそごそとウェットスーツを着込む。今も漁師をしている仁は手慣れたもので、ウェットスーツを着るのも早い。隆はウェットスーツからはみ出した腕をぎゅっと押し込んで、背中のファスナーを仁に閉めてもらった。
「島を出て、ちょっと太ったんかもしれん。……拓、お前は変わらんなぁ」
「撓鉄作業は暑いけん」
三人はウェットスーツを着込むと、供物と灯篭船を持って、家を出た。ゆったりとした坂道に、猫たちが見送るように座っている。父の葬儀の最中に座布団で寝転んでいた猫も、よく家に来る猫の親子もいた。
三人は灯篭船を抱えたまま、ざくざくと音を立てて浜辺に降り立つ。海風が昼間のむっとする暑さの名残を流して、気持ちいい。空は夜の色が濃くなっている。
「ほな、乗せるで」
灯篭船の甲板に、三人は次々と供物を乗せる。半分に切った果物や落雁、精霊馬を甲板に乗せてポールにぼんぼりをつけた。ぼんぼりの中の明かりが、ぼんやりと辺りを照らし出した。
防波堤に座った猫たちが、にゃあと声を上げる。
波打ち際で泡立つ白波を越えて、ウェットスーツを着た三人は海に入っていった。海に灯篭船を浮かべると、覚束ないながらも立った。海面にぼんぼりの柔らかな明かりが映っている。海に映った明かりが、朧げに揺れていた。
三人は灯篭船を囲むようにして、海へと進んでいく。三人の向かう先には、小島が見えている。佐柳島のすぐ近くにある無人島だ。三人が進むにつれて、ふくらはぎの高さだった海面が、腿、腹、胸とだんだん上がってくる。そのうち足がつかなくなって、立ち泳ぎをした。
「親父、初盆どうやった? 俺ら三人、それぞれ元気にやっとるで」
「漁船の灯篭船、喜んでくれてたらええけんど」
「……きっと舵のところで、カッコつけておふくろに写真撮らせとるじゃろ」
三人は泳ぎながら、声を上げて笑った。ぱしゃりと波が起きて、灯篭船の甲板にかかる。まるで父に、「格好つけたいときもあるじゃろが。茶化すな」とでも言われているようだ。
「この灯篭船はな、拓が設計して、俺ら三人で作ったんやで。……親父の船大工の仕事は、拓が継いだからな」
「そげな大層なもんでもなかろう。漁師の仕事は仁兄が継いだんじゃし」
波の音が、辺りに満ちている。風鈴の音も猫の声も、もう聞こえない。祭囃子の音がかすかに風に乗って聞こえる程度だ。頭上の星の光がやけに明るい。
ぼんぼりの光が海面に映るのを眺めて、隆がぽつりと呟いた。
「……俺は長男やのに、親父の仕事を何も継げんですまんな」
隆の言葉を聞いて、弟二人は目を瞠った。
「タカ兄、そんなん思ってたんか」
「三人の中で、性格は一番親父に似とうじゃろ」
「……そうやろか」
「雑なとことか。灯篭船の材料を書いたあのメモ、なんじゃと思うたわ」
「そんなとこなんかい」
「ちょけるところも似とうわ」
三人は穏やかな潮の流れに乗って泳いでいく。毛利元就が三人の息子たちに言った三本の矢のように、兄弟たちは今や同じ向きを向いていた。佐柳島にもいたという塩飽水軍は、毛利家とも縁深い。
「あ、浸水してきた?」
「どこからじゃ」
「波、かぶったんやろ」
甲板に乗せた落雁が、海水にふやけてほんのりと形を崩している。
「そろそろ戻ろか」
「そうじゃな。灯篭船をそのまま海に流す訳にもいかん。昔はそうしたんじゃろうけど」
三人は平泳ぎをやめて、凪いだ海で立ち泳ぎをする。隆は灯篭船の上に置いておいた火打石を、カチカチと鳴らした。島を出るときに、父が出立の無事を祈って鳴らしてくれたのと同じものだ。
「親父ー! またな!」
「元気でな!」
「……いや、親父死んどるで。元気はちゃうやろ」
「そうか。そんじゃ……おふくろと仲良くなー! 久々の夫婦水入らずじゃろ!」
三人は海でそれぞれに叫ぶと、灯篭船の進路を変えた。灯篭船は海面にぼんやりとした明かりを映しながら、浜辺に戻っていく。
誰かが花火をあげたらしい。ひゅうというロケット花火の音が、浜辺から聞こえた。
夜の海は暗い。三人は灯篭船を支えながら、ゆっくりと浜辺に戻っていく。遠くに見える祭りの明かりや家々の明かり、誰かの打ち上げた花火の光が、波に映って揺れている。灯篭船に乗せたぼんぼりの明かりが夜の暗い海を朧げに切り開き、道標のように照らし出していた。
「タカ兄も拓も、泳ぎは久々じゃろ」
「そうじゃな。なにより、海はプールとはまた違うけん」
「足攣らんように気ぃつけるわ」
「ほんまじゃ。そのままあの世に連れて行かれんようにな」
お盆を過ぎたら海に入るなという地方もあるらしい。気温と海水温の落差で足が攣りやすいからだというが、昔の人は「連れて行かれる」のだと言い伝えを残した。ウェットスーツを着ている分、体温の低下は緩やかだが、それでも気をつけるに越したことはない。
三人は慎重に海を泳ぐ。足が海底につき、胸が水から上がる。海から上がって浜辺に戻った三人は、灯篭船を浜辺にそっと置いた。
「それじゃ、燃やそか。送り火じゃ」
仁がそう言うと、隆は火打石とぼんぼりの中の電球を取り出した。続けて船底に入れていた、埋め墓の石を取り出す。拓が浜辺に置いていたライターで灯篭船に火をつけた。
「しけっとるから、火がつかへん」
隆と拓は煙草の煙を吐き出しながら何度か試したが、うまく火がつかない。
「先に焚き火起こそうか」
灯篭船の端材を家から持ってくると、仁は灯篭船の甲板の上に組み上げた。ゆるやかに上がった炎がだんだんと大きくなっていく。小さな大漁旗が、竹串で作ったポールが、赤々と燃えて倒れる。送り火の煙は海風に乗って、空へと駆け上がっていった。
「飲むじゃろ?」
仁は冷えた缶ビールを隆と拓に渡した。プルタブを起こして、吹き出した泡を吸う。ビールを飲んで「プハーッ!」と声をあげた隆に、弟二人は笑った。
焚き火に照らされて、防波堤に座っていた猫がまぶしそうに目を細めている。すんすんと鼻を鳴らして、ふいといなくなってしまう猫もいた。
「花火も持ってきたんじゃ」
「ええやん!」
「お盆といえば、花火じゃからな」
花火は鎮魂の儀式でもある。三人が手持ち花火に焚き火で火をつけると、色鮮やかな火花が噴き出した。隆は缶ビールを片手に、花火をくるくると回しながら、焚き火の周りを歩いた。何人かの島民が寄ってきて、三人に声をかける。
「久しぶりじゃな!」
「ご無沙汰してます。すんません、騒がしゅうして。今年は親父の初盆なんで、ちょっと派手にやってみたんですわ。親父の漁船みたいな灯篭船作って」
「ええのう! 親父さんも喜ぶわ! 孝行息子やの!」
「いや、島を出てから、俺ら仁に任せっきりやったから、最期くらいはね」
少しして、先ほどの島民が呼んだのか、盆踊りの行列が焚き火の近くにやってくる。祭囃子のにぎやかな調子に乗って手持ち花火をくるくると回しながら、兄弟たちは盆踊りを踊った。太鼓や鉦、独特の節回しが懐かしく、心地よい。
「意外と覚えとるもんやな」
「雀百まで踊り忘れずー、言うやつかもしれんのう」
灯篭船が焚き火の中で燃えていく。機関室はすでに跡形もない。比較的乾いていた甲板はすっかり炭になって崩れ、船べりを焦がしていた。
祭囃子がふと途切れる。編笠をかぶった女衆も、女装をした男衆も、観光客も、猫たちも、兄弟三人も、皆が送り火をぼんやりと眺めた。兄弟三人は、海風に乗って煙が上がっていく空を見上げた。
「親父、ちゃんと送れたかなぁ」
「上等やろ。また来年のお盆にな」
「えぇ! こんな面倒臭いこと、もうやらんけんね!」
三人は焚き火を囲んで笑い合うと、缶ビールをぶつけて「親父に乾杯!」とビールを飲み干した。役目を終えた灯篭船が、炎の中でゆっくりと形を変えていく。
「なんや、タカ兄、泣いとるん」
「煙が目に入ったんじゃ、ボケ」
「よかったなぁ……よかったわ……」
「泣いとるんは拓じゃ」
佐柳島に打ち寄せる波の音が、祭りの喧騒を優しく包んだ。波間に映る島の明かりが、凪いだ海でゆっくりと揺れている。
【参考資料】
YouTube kota shashiki『謝敷康太が行く! -四国編- part4 佐柳島 陵墓制 おばあちゃんの話』
YouTube angel fujiko 『島の祭り(盆踊り)』
アイランダーオンライン2021 『高見島・佐柳島(多度津町)香川県)』
Facebook わたなべ直子 https://www.facebook.com/reel/1731368700844651/?mibextid=ZZyLBr




