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舟送り  作者: 網笠せい
第五章 香川県多度津町佐柳島 3
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第二話

 八月半ばのお盆の時期になって、隆と拓がようやく佐柳島に帰省してきた。仁は早速灯篭船作りに取り掛かろうとしたが、二人はぐったりと畳の上に転がるばかりでなかなか重い腰を上げない。


「はぁー、畳のええ匂いがするわぁ」

「実家に帰ってきたーいう感じがするのう」

「ほんまにな」


 拓は葬儀の日もそうだったように父の仏壇に線香をあげたが、隆に至ってはときどき家にやってくる猫の親子をぼんやりと眺めては、子猫にじゃれつかれているだけである。隆も拓も、仕事や移動の疲れが出ているのだろう。


 閉め切ったガラス戸の向こうから、風鈴の音がかすかに聞こえる。エアコンの冷たい風を受けながらぼんやりと転がっている二人に、仁は呆れてため息をついた。


「気持ちはわかるけんども、そろそろ作らんと間に合わんじゃろ」

「今どこまでできとる?」


 仁は棚の上に置いた段ボールを下ろすと、拓の前に小さな投網と浮き、浮き輪の入ったビニール袋を出した。


「ええなあ!」

「この投網の小さいの、編んだんか。大変じゃったろうに」

「……はい、拓。大漁旗描いて」


 仁は隆が送った材料の中から白い布を出すと、古びた絵の具セットを引っ張り出してくる。


「え! これ俺が使ってた奴じゃ! 懐かし!」

「えいから早よ描かんかね」


 絵の具セットのフタを開けると、つんとした独特の臭いが鼻をつく。拓は「カビとるんじゃなかろうか」と顔をしかめながら、次々と机の上に絵の具セットを並べていく。水入れ、パレット、絵筆、絵の具のチューブを置いたところで、仁が水入れを持って台所に立った。


「はい。よろしゅう」

「仁兄、わし、親父の大漁旗がどんなんか、なんとなくしか覚えてない」

「……とってくる」


 思わず仁兄と呼んだことに戸惑いの表情を浮かべる拓をよそに、仁が玄関から出ていく。


「いつぶりじゃろうな、仁兄とか呼んだの」

「……仕事しはじめて以来やないの? 知らんけど」


 仁が大漁旗をとってくる間、拓は絵筆の先をチャプチャプと水入れに浸し、パレットに古びた絵の具を出した。


「すっかり乾いとるやんか。使えるんか?」

「わからん」


 寝転がったまま拓を見ていた隆がようやく起き上がり、拓の横に座る。半袖から覗く隆の腕には、畳の目の跡がついている。


「大漁旗の模様、赤とか緑とかじゃなかったろうか」

「せやっけ? 青と黄色やなかった? ……まあ、仁が戻ってきたらわかるやろ」


 乾き切った絵筆はなかなか水を吸い込まない。拓は指先でほぐしながら、絵筆に水を含ませた。


 のんびりとした隆とは裏腹に、拓はスマホのアルバムを開いて大漁旗の写っている画像をじっと見た。古びた絵の具の匂いを警戒したのか、猫たちは仏間から様子を伺っている。隆は拓と猫たちを見比べると、のそのそと内廊下まで行き、ガラス戸を開けた。ガラス戸を引くカラカラという音がして、セミの声が大きくなる。むっとした夏の気配が窓から入り込んだ。


「暑いじゃろ。せっかくクーラーかけてんのに」

「いや、臭いかなって」


 隆が見守る中、猫たちはするりと庭に下りると、やがて見えなくなった。拓は鉛筆で、白い布に下書きをしている。隆はスマホを出して、仁が以前送ってくれた父の漁船の画像を開くと、拡大して見た。


「どんな船なんか、気にしたこともなかったけど……どないなっとんねんこれ。拓、お前よく設計図作れたな」

「職場の設計部の人にお世話になったんじゃ」

「ほんまか。やっぱりお前に頼んでよかったわ」


 隆は庭に面したガラス戸を閉めると、エアコンの下で涼みながら「あっちぃー」と目を細める。


「ただいまー。あっついわ……」


 そうこうするうちに仁が戻ってきた。冷蔵庫を開けて、作り置きの麦茶をごくごくと飲み干す。仁は居間にやってくると、テーブルの前で大漁旗を開いて見せた。


「描ける?」

「見ながらなら、多分」


 拓は仁の広げた大漁旗と手元の白い布の間で何度も視線を往復させながら、鉛筆を走らせる。


「うまいもんやなぁ」


 隆は横からそう言うと、スマホで拓の設計図を開いた。しきりに首を傾げている。専門外である隆には、なんとなくしかわからないのだろう。


「隆兄さん、船の床板にって割り箸送ってきたじゃろ? 割り箸って持ち手と先で太さが違うき、削らないかんのと違う?」

「仁ー、よく見てみ? 真っ直ぐな割り箸、選んだんやで」


 隆が見るからに自慢げな顔をすると、仁は大漁旗を置いて、材料の入った段ボールの中から割り箸の束を取り出した。


「あ、ほんとじゃ。先のとこだけ切ったらそのまま使える」


 仁が大漁旗を再び持ち、隆は割り箸を次々と紙袋から引き抜いていく。拓は鉛筆をテーブルの上に置いて、絵筆を構えた。先ほど、少し黄ばんだパレットに出した絵の具と、大漁旗を見比べている。調色に悩んでいるのだろう。


「昔はこういうの、ようやったの」

「夏休みの宿題?」

「夏休みだけじゃなかったろうが。新聞紙で鎧とか剣とか作ってな」

「ああ! やっとったわ! 拓が伸びる剣作ったときは、度肝抜かれた!」


 仁が「あった! 伸びる剣!」と笑った。チラシや新聞紙を斜めから細く巻くと、固い棒ができる。隆や仁は、いかに細く巻くかという点にこだわったが、三男の拓は少し違った。細く巻いて作った棒に、さらに紙をゆるめに巻きつけたのである。


 そんな剣ではすぐへなへなに折れるだろうと戸惑う兄二人の前で、拓は剣を振った。隆はひょいと身をかわしたが、拓の作った剣はひゅっと剣先が伸びて、隆の頭にコツンと当たった。祭りの夜店のくじでもらえる、伸びる棒のようだった。


「如意棒みたいやったな」

「夜店の伸びる棒、分解して研究しよったが」

「そんな大袈裟なもんじゃなかろう。……仕組みが気になっただけじゃ」


 照れくさそうに眉尻を下げる拓の前で、兄二人は盛り上がっている。実家の居間で三人揃って何かを作っていると、少年時代の記憶が次々と蘇ってくる。じわじわとした暑さとセミの声、どこかから聞こえる風鈴の涼しげな音が、三人それぞれの胸に懐かしさをかきたてる。父の葬儀の日のよそよそしさが嘘のようだった。


「ほな、切ってくるわ」


 隆はすっかり割り箸を紙袋から取り出すと、ノコギリを持って庭に向かった。ガラス戸を開けてサンダルを履くと、割り箸の端にノコギリの刃を当てた。


「ノコギリ使うの、何年振りやろな」


 隆は器用にノコギリを使いながら、割り箸の両端を切り落としていく。海風に乗った木の粉がノコギリを握りしめる手に飛んで、かさついた。


 じわじわと滲み出てくる汗をTシャツの袖で拭って、隆はセミの声に顔を上げる。部屋の中で聞いていたセミの声よりも大きく聞こえる。


 ふっと潮の匂いのする風が吹いて、仁の干した洗濯物が大漁旗のようにはためいた。


「神社の祭り、いつなんやろ」


 一人呟く隆の横で、親猫が子猫をくわえて家の中に入って行った。父の仏壇に置いてある水を飲もうとしている。


「あ、その水は飲んだらあかん!」


 隆が声をあげると、猫がビクッとして仏壇の上にあったキュウリの精霊馬が倒れた。気が付いた仁がボウルに水を汲んで、猫の親子にそっと差し出す。転がった精霊馬を元に戻して、仁は猫たちを眺めた。猫たちはボウルに頭を突っ込まんばかりに水を飲んでいる。外はよほど暑かったのだろう。


「どこ行きゆうがよ。エサでももらいに行ってきたがか?」


 水を飲む猫の親子に語りかける仁に、隆は「毛むくじゃらやし、地面から距離も近いから、暑かったんやろな」と、再び滲んできた汗をTシャツの裾で拭った。地面には、切り揃えた割り箸の先が転がっている。


 猫の親子はエアコンの前でごろりと横たわると、あくびをした。先ほどの隆と似たような仕草である。隆は割り箸を拾うと、家の中に戻ってきて「暑いもんなぁ」と苦笑いした。

【参考資料】

西遊記

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