第一話
瀬戸内海特有のからっとした天気が続いたある休日、仁の元に隆からテレビ電話がかかってきた。暦の上では七月の半ばを過ぎようとしている。隆も拓も、八月の夏季休暇には佐柳島に帰省すると言うが、その一週間で灯篭船を完成させるのは難しいのではないかと、仁は頭を悩ませた。そのときまでに、できるだけ船周りの小物は作っておきたい。
「仁、お前、猫飼ったんか」
「いや、たまに来るだけ」
隆からのテレビ電話に、子猫が興味津々といった様子で近付いてくる。仁は片手で子猫を抱き上げて親猫のいる方に避けると、スマホの画面に向き直った。台風の日に実家の縁側に避難してきた猫の親子である。
佐柳島には一足早く夏休みに入った学生たちが観光客として訪れ、猫たちと戯れている。仁はこの猫の親子を、たまに家の中に迎え入れるようになった。
子猫ともなると観光客が黄色い歓声をあげてかわいがるが、親猫はそれをよしとせず、シャーシャーと威嚇する。子猫は好奇心の向かうまま、観光客にも物怖じしないので、仁はときどき親猫に避難場所として家を提供した。子猫は最初に見かけたときよりも少しばかり大きくなった。
「灯篭船の浮きと浮き輪じゃけど、ラップの芯と折り紙は、どう使うたらええが?」
「浮きは、紙をまるめたもんの周りに折り紙貼ったらええんちゃうかなって」
「なるほど。てるてる坊主の頭みたいなもんか」
「そうそう。浮き輪の方は、ラップの芯を輪切りにして、紙を巻きつけていくイメージやね」
「ああ、はいはい。……なんか、小学校の図工の時間みたいじゃ。大漁旗は隆兄さんか拓が作るじゃろ?」
佐柳島にあった小学校や中学校は、1995年に閉鎖している。夏休み前に荷物を色々と持って帰るのは大変だったなと、仁は思い出す。ちょうど今の季節だ。図工の作品と植木鉢は特にかさばるから、持って帰るのに骨が折れた。
テレビ電話の向こうで、身振り手振りをまじえて話していた隆が、ふふっと笑い声をあげた。
「せやね。仁に描かせたら、あんまり似ぃひんやろうから。船体の方は、俺らが帰省してから作るとして……」
「それ、間に合うかぁ?」
「おっさんが三人もおったら、なんとかなるやろ」
「あ、材料費は?」
「大したもんやないからええよ。……ほな、よろしく」
テレビ電話を切ると、子猫が仁のスマホにじゃれついた。「小さい人間がいなくなった!」と言わんばかりの不思議そうな顔をして、小さな毛むくじゃらの手をスマホの画面にぺたぺたと押し付けている。
「今から浮きと浮き輪作るから、ちょっと邪魔せんでな」
仁は猫の親子に話しかけるが、子猫はお構いなしである。棚の上から灯篭船の材料が入った段ボールを下ろすと、仁はラップの芯にハサミを入れた。
「かった……。固すぎて切れんじゃろ、これ」
ラップの芯にハサミの刃が少しも入っていかない。仁はハサミを使うのをあきらめて父の工具箱を探り、ノコギリを出した。
「これなら、さすがに切れるじゃろ!」
猫の親子が興味深そうに眺める中、仁はガラス戸を開けて庭に下りた。昼の日差しがまぶしい。干した洗濯物が海からの風にひるがえって、少しめくれた。大漁旗のようだ。
仁はラップの芯に、サンダルを履いた足を乗せて抑える。刃を当てて押し引きすると、久々に使うノコギリは引っかかり、びよんと音をたててしなった。
「こういうのは、拓がうまいんやけんどなぁ……」
抜けたノコギリを再び切り目に差し入れて、仁は手元を押し引きする。引くときに力を込めると、刃がすっと進んだ。
ラップの芯の端が、ころんと地面に落ちた。仁はいくつか予備の分を切ると拾い上げて、ぱたぱたとはたく。
サンダルを脱いで部屋に戻った仁は、父の工具箱にノコギリを入れて片付けると居間にどっかりと腰を下ろした。灯篭船の材料を入れた段ボール箱から、ひょっこりと親猫が顔を出す。
「いや、子猫じゃのうて、お前が入るんかね」
猫は段ボールで遊ぶのが好きだというが、親猫でもそれは変わらないらしい。
仁はハッと我に返って、段ボールに入れていた小さな投網を確認する。刺繍糸で編んだ投網は、猫の爪にも引っかからず無事だった。仁はほっと息をつくと小さな投網をたたみ、刺繍糸の入っていたビニール袋の中に押し込んで封をした。
子猫がビニール袋のガサガサという音に興奮して、ピンと耳を立てる。勢いをつけて近寄ってきた子猫に「やめい」と言いながら、仁は木材の下に投網を隠した。子猫の興味はすでに仁の手の方に移っている。
──材木も、爪研ぎにちょうどえいんじゃなかろうか。
仁の頭にふとそんな考えがよぎる。
「……爪研ぎとか、せんじゃろうね?」
子猫を片手であしらいながら、仁は親猫に尋ねる。中でかくれんぼをするように身を潜めていた親猫は、目を爛々と輝かせて段ボールから飛び出した。すかさず仁がフタを閉めると、親猫は名残惜しそうに段ボールに鼻を押し付け、すんすんと鳴らした。
「今日は漁協が休みじゃから、せっかく進められると思ったのにぃ」
嘆く仁の横で、子猫がティッシュにじゃれついている。次から次へと落ち着きがない。
「あ、こら」
一枚、二枚と宙に舞うティッシュに慌てて手を伸ばして回収すると、仁は少し破れたティッシュを丸めて、周りに折り紙を貼り付けはじめた。
海から吹く風が、庭に面したガラス戸のカーテンをふわりと揺らす。セミの鳴き声が小さくなって、少ししてまた大きくなる。まるで潮騒のようだ。どこかから風鈴の音が聞こえて、本格的な夏の気配がした。




