第三話
漁から戻った仁の元に、長男・隆からの荷物が届いたのは、嵐が過ぎて少し経った六月頃だった。玄関の前に見慣れない段ボールが置いてある。おそらく島の配達員が届けてくれたのだろう。
佐柳島では、荷物がフェリーで届けられる。香川県多度津町までは通常の配送で、その先は島の配達員の担当だ。玄関先に置かれた段ボールは、台風の影響でほんのりと湿り気を帯びているような気がする。
「なんじゃろ?」
仁は玄関の鍵を開けると靴を脱ぎ、段ボールに貼られたテープを剥がした。120cmほどの木材、竹串、割り箸、白い布、黒い刺繍糸、折り紙、ラップの芯、ボンド……。仁は一瞬怪訝な顔をして、すぐに灯篭船の材料だと気付く。三男・拓が設計図を完成させてからそれほど時間が経っていないというのに、よくこんなに材料を集めたものだ。
仁は一つ一つ材料を箱から出してみるが、兄・隆からの手紙のようなものは同封されていない。
「灯篭船の材料っていうのはわかるけんど、どれをどう使うのかがちぃともわからん」
仁はぼやきながら、メッセージを送った。
「隆兄さん、荷物ありがとう。灯篭船の材料がついたよ。でもこれ、どう使うの?」
すぐに兄の隆から返信があったが、メッセージというよりはメモに近い。
「・木材……船
・竹串……大漁旗をつけるポール
・割り箸……床材
・白い布……大漁旗
・黒い刺繍糸……投網
・折り紙とラップの芯……浮きと浮き輪」
仁は「いや、わからんじゃろ」とさらにぼやいた。兄の隆はときどき雑で、説明が足りないことがある。実際に会って話をしているとあまり気にならないが、メッセージでのやりとりだと特にそうだ。
仁は頭をかいて、ひとまず刺繍糸を手に取った。これで投網を編めということだけはわかった。封を切って糸を出し、仁はひょいと投網の目を一つ作る。
「あ、違う。もっと小さい」
灯篭船のサイズは120cmほどだと、三男・拓が送ってきた設計図には書いてあった。思わず本物の投網と同じサイズに編んでしまって、仁は刺繍糸をほどこうとする。結び目が固くてほどけない。
刺繍糸をはさみで切って、仁はもう一度拓の送ってきた設計図を見た。投網の目の大きさまでは書かれていない。
「どんくらいの大きさにすればいいんじゃろ」
今度は投網の目を小さく作って、木材に当ててみる。まだ少し大きい気もするが、あまり小さすぎても編めなくなってしまう。
「この投網にかかるのは、きっと大物じゃな」
仁は編み目を眺めて、大きな魚が投網に頭を突っ込んでいるところを想像した。
「……イルカサイズじゃなぁ……」
刺し網漁でイルカがかかったことはないが、もし本当にかかったとしても、漁協は買わないだろう。
「……まあええか」
仁は苦笑いしながら、刺繍糸で次々と小さな投網の目を編んでいった。
玄関に座ったまま夢中で投網を編んでいた仁がふと顔を上げたときには、日が傾いていた。玄関扉のガラス戸の向こうはすでに薄暗い。仁は明かりをつけると、再び小さな投網を編む。灯篭船の投網が出来上がった頃には、すっかり夜になっていた。
仁は出来上がったばかりの小さな投網をスマホで撮影すると、兄弟三人のグループメッセージに送信した。「投網」と文字をつける。
すぐに三男・拓から、親指を立てたスタンプが送られてきた。長男・隆からは、「早いな」と目を丸くしたイラストがついたメッセージが送られてくる。
仁は満足すると、小さな投網を段ボールの中に入れて、夕食作りに取りかかった。畑で採れたキュウリをへし折ってタッパーに入れ、ごまの入った酢醤油に漬けて冷蔵庫で冷やす。
そうして鯵をさばいて、味噌と共に細切れになるまで叩いた。畑のネギを刻んでおいたものと混ぜれば、なめろうの完成だ。
仁は冷蔵庫から冷やしておいたキュウリと缶ビールを取り出すと、居間に持っていく。ビールのプルタブを起こすと、カショッという小気味いい音がした。なめろうをちびちびと食べながら、ビールを飲む。
内廊下には、今は亡き父がよく座っていた籐製の椅子が置いてある。まだそこに父がいるような気がして、仁は仏間の父の遺影を眺めた。
窓の外から虫の声が聞こえてくる。父と暮らしていた頃には気にならなかったのになと、仁は思い出したかのように仏壇の線香に火をつけた。ここ最近ですっかり嗅ぎ慣れた匂いが、ゆるやかに部屋の中に漂った。
「次は、灯籠船のどこ作ろうかね」
遺影の中の父に話しかけてみるが、返答はない。仁は居間に戻ってビールの残りを飲むと、なめろうに箸を伸ばした。
──大漁旗は、隆兄さんか拓に頼むか。
父の葬儀の夜、灯篭船の絵を兄弟三人で描いたことを仁は思い出す。絵の下手な仁よりも、隆か拓に頼むのがいいだろう。なにせ漁師にとって、大漁旗は特別なものなのだから。
仁は兄弟三人のグループメッセージに「次はいつ帰ってくる?」と送信して、画面を伏せた。
「大漁旗はどっちかに頼むとして……そうなると、浮きか浮き輪かのう……」
兄・隆から送られてきたメッセージをスマホで開く。折り紙とラップの芯をどう使えばいいのか、見当もつかなかった。
外から聞こえていた虫の声が、ふと止まる。縁側の下にいた子猫が、草むらの中に飛び込んでいくのが見えた。
「ごんたくれじゃのう……あれでは親猫も困るじゃろ」
仁はキュウリをかじるとタッパーのフタをして、残りを冷蔵庫に入れた。ビールの空き缶を洗い、なめろうの入っていた皿と箸を洗う。食器用洗剤の泡が、渦を巻きながら排水口に流れていく。鳴門の渦潮のようだなと、仁は水気を含んだスポンジを絞った。
洗い物を終えて居間に戻った仁は、スマホを開く。隆と拓からのメッセージは、どちらも「夏季休暇に入ったら」というものだった。
──まあ、勤め人はそうじゃろけど。
仁は酔いも手伝って、わずかに唇を突き出す。父の葬儀の手配も、結局自分がほとんどやった。島に残って父と一緒に暮らしていたのは仁だし、隆も拓も遠方に住んでいる。仕方がないこととはいえ、自分ばかりが面倒を押し付けられているような気がしてくる。父の漁船に似せた灯篭船を作ると言い出した隆が夏季休暇まで戻れないというのだから、無理もない。
──いかんいかん。そんなこと言い出したら、キリがない。
拓は灯篭船の設計図を作ったし、隆は材料を集めて送ってくれた。仁は父から、家も漁船も受け継いだのだから、葬儀の手配をするのは当たり前だ。辺鄙な島だから、土地や建物を売ったとしても二束三文だろうが、仁にとっては金銭的な価値ではない。
──親父から受け継いだってことの方が、よっぽど大事じゃ。
仁にとって、島の外の暮らしは別の世界の出来事のようなものだ。その暮らしに、自分が馴染めるとも思わない。
兄・隆のように華やかな街で暮らしているわけではないし、弟・拓のように仕事を認められているわけでもない。父がしていたのと同じような島での暮らしを、日々くり返しているだけだ。
──けんど、俺が一番、親父から受け継いどる。
外からガサリと音がして、茂みの中に隠れていた親猫が飛び出す。子猫はそれを真似して、親猫の足元にじゃれついた。虫でもいたのだろうか。狩りの練習のようだった。
仁は父とそう大きく変わらない暮らしを送っているが、隆と拓は、新天地で苦労もしたはずだ。隆も拓も、島の訛りとは違う言葉を話し、父とは違う仕事をしている。父は船大工でもあったから、弟の拓はその影響を受けているとも言えるが、漁船と大型船では勝手も違うだろう。
──隆兄さんは、本当に一から仕事を学んだんじゃな。
島を出るということは、そういうことなのだろう。暗い海に船を漕ぎ出すようで、仁はほんの少しだけ、背中が冷える。父との暮らしの中で自然に学んできた仁にとって、島を出た隆や拓の苦労は想像もつかない。都会の暮らしは、万事ゆったりとした島の暮らしとは違うはずだ。
仁の鼻先に、線香の香りがふわりと漂う。変わらないはずの島の暮らしにも、変化は訪れる。たとえば父が亡くなったように。
ガラス戸の向こうで、親猫の尻尾がゆったりと揺れている。子猫が手足をピンと伸ばして、か細い声をあげた。小さくても手足を突っ張って懸命に生きている子猫を見て、仁はしんみりと眉を下げた。島を出たときの隆と拓も、そうだったのかもしれない。




