第296話雨使い
「なんだかよくわかんないけど、売られた喧嘩は買うわよ!」
「待てマキ! 相手はクラスメイトだぞ!」
「関係ない!」
殺気に敏感に反応した天音さんに呼応し、精霊の炎が激しく逆巻く。
だがそれでもすでに時は遅く、姿を消す前から―――いや戦いが始まる前から、攻撃はすでに始まっていた。
「まぁすごい……でも手遅れですよ? ちゃんと見えてはいないんでしょう? でもね? 人間って、見るだけじゃなくていろんな感覚で物を認識しているんですよ?」
実際に散布された毒は、色がついているものだけではないのだろう。
複合した無臭の毒霧はすでに、草薙君達の周囲に纏わりついていて見えない刃を彼らの首筋にそっと添えていた。
「これは……!」
「体がしびれて……」
「……っ! この霧まさか毒!」
「ようやく気づきましたか? 実は視覚だけじゃないんですよ。触覚も、嗅覚も、聴覚も、全部いつもより弱くなっているはず。毒とすら呼べないような微弱なものですが、それで十分。それだけで私のスキルは盤石になる……」
愉悦に満ちた笑い声が霧の中に反響していた。
気づいた時にはもう遅い、極悪なコンボである。
更に霧を霧散させようにも、術者を捉えることは困難を極めると来たら、対処するのは難しい。
「ぐぅっ……」
炎は霧散し片膝をつく天音さん。
そして草薙君と、月読さんすら、すでにその術中に陥っていた。
「フフフッ……なんて無力。私程度にも後れを取るようならあの方には到底及ばないでしょうね」
そして僕らが知らないと思って、なんか盛り上がることを言っているハットリさんには、イエローカードをまた一つ追加しておいた。
「……だからあの方って誰さ」
「ひょっとしなくても、ワタヌキ氏では?」
「そんなまさかぁ……違うよね?」
違うと言って欲しいけど、どうもニュアンスが怪しい。
いや確かに、色々とごまかすのにファイアーボールヘッドの名前を使っていいとは言ったけれどもさ! そんな思わせぶりに裏方を匂わせなくてもいいじゃない!?
だがどうにも出にくい雰囲気を作ると言う意味では見事である。
このまま圧勝するかと思われたハットリさんだったが、その時風向きが変わった。
僕が感じていたのは大気に混じる微細な変化で、客観的に見ることでその魔力に気が付いた。
魔力の元は僕達がよく知る人物で、最初から臨戦態勢だったあの人だ。
ポタリと水が一滴落ちてきた。
「……お? 雨だ」
僕は声を出す。
ダンジョンの中に雨が降っている。
すると驚くほどあっさりと霧が薄れ、立っていたのは見覚えのある白ランの男子生徒だった。
「……なんで立っているの!」
「……ハクジャ。行くぞ」
ハバキリ君はメガネをクイッと持ち上げて槍を構え、背後に浮かび上がった白い蛇型の精霊、ハクジャは彼の魔力を風に乗せて周囲にまき散らし、強引に霧の支配権を奪い取る。
そこで初めて、ハットリさんの動揺する気配を感じた気がした。
「……うっ」
「……見つけた!」
そしてハバキリ君は完全にハットリさんを捉え、分厚い濃霧を槍の一薙ぎで払った。
敵の魔法の霧を、自らの水の魔法で希釈し、支配権を奪うというあまりにも精密な魔力操作のなせる業だ。
それは僕らですら舌を巻くレベルで、その姿を一瞬で引きずり出されたハットリさんはなすすべもなく、息を呑んだ。
「……そんな!」
そしてその場にへたり込むハットリさんには槍の切っ先が突きつけられていた。
「……これで素直に話してくれないか?」
「……!」
鮮やかに決着をつけたハバキリ君は休みの間に一皮むけたみたいである。
「おお……すごいなハバキリ君。ハットリさんがあっという間に!」
「うーむ……。かなりの腕でござる。見習いたい」
桃山君のお墨付きともなれば、大したものなんだろう。
ぐっと言葉に詰まったハットリさんは、しかしポツリと苦し紛れの言葉を漏らす。
「―――店員達。手を貸しなさい」
だけどああそれは―――完全に禁じ手だった。




