49・最終決戦4
機械竜ヒヒイロゴンの全身が、どす黒い赤色に明滅し始めた。
装甲の隙間から溢れ出すのは、これまでの青白い電撃ではない。それは、見る者の魂を凍りつかせるような、呪いにも似た漆黒の波動だった。
――最終奥義「許されぬ魂」。
これまで何度挑んでも拝むことすらできなかった、ボスの最終発狂フェーズの合図だ。
視界の端、ログウィンドウに冷徹なシステムメッセージが刻まれる。
「警告:エリア内に呪縛が展開されました。これ以降、戦闘不能になったプレイヤーの蘇生は不可能です」
(……蘇生、不可……!)
信也の背筋に、冷たい戦慄が走った。
ヒーラーであるナガにとって、それは存在意義の半分を否定されたに等しい。死ねば終わり。文字通りのデスゲームへと変貌したのだ。
だが、ここまでの四人の連携は完璧だった。
一分の狂いもなく、一滴の無駄もない。このままいけば、この呪いすらも無意味な演出に終わるはずだった。
その、わずかな「慣れ」という名の油断が、牙を剥いた。
六回目のローテーション。
ヒヒイロゴンが首を大きく振り上げ、あの日と同じ「分散する怒号」の予備動作に入る。
信也は、即座に三人の位置を確認した。だが、極限状態でのわずかな距離感の狂いか、あるいはボスの不可解な座標ずれか。
本来なら三人が均等に受けるはずの衝撃を、アヤとハルの二人だけが、不自然に重なった位置で喰らってしまった。
「「……っ、あ――!?」」
ボイスチャット越しに、二人の短い悲鳴が重なる。
次の瞬間、画面の中で盾役のハルと、サポートの要であるアヤのHPバーが、唐突にゼロへと叩き落とされた。
バサリ、と二人のアバターが崩れ落ちる。
信也は反射的に黄金の杖を振り上げようとして、止めた。
黒い霧が二人の死体を包み込み、蘇生呪文のターゲット指定すら受け付けない。
「アヤ! ハル!」
信也の叫びが、虚しくボスエリアに響く。
突如襲ったパーティの半壊というアクシデント。
ヒヒイロゴンのヒットポイントは、まだ五パーセント以上残っている。
ヒーラーとアタッカーの二人だけで削り切るには、あまりにも絶望的な、けれど残酷にリアルな数字だった。
「……っ、ごめん、ナガ、イチちゃん……!」
スピーカーから、ハルの悔しさに震える声が聞こえる。
「後は……頼むわよ!あなたたち! 諦めたら、承知しないから!」
続いて、アヤの、必死に平静を装いながらも熱を帯びた叫びが届いた。
二人の声が、信也の胸の奥にある焔を、さらに激しく燃え上がらせる。
「……ああ。分かってる」
信也は、キーボードを叩く指を止めるどころか、その速度をさらに加速させた。
五パーセント。
時間切れまで、あと一分。
本来なら無理だ。盾役のいない戦場で、イチが攻撃に専念し続けることなど、自殺行為に等しい。
だが、信也は確信していた。
俺たちなら、たったの五パーセントくらい、この残り一分以内に削り切れる。
隣から聞こえる、市香のタイピング音が一段と高く、激しくなった。
トトトトトトッ! と、空間を切り裂くような鋭い打鍵音。
彼女もまた、全く同じことを考えている。
何も聞かずとも、右腕から伝わってくる彼女の熱量が、ドクドクと波打つ鼓動が、それを雄弁に物語っていた。
「……市香、行けるな?」
信也は、現実の言葉で、隣の彼女に囁いた。
市香は画面を見つめたまま、一瞬だけ、強く頷いた。
その横顔には、もう恐怖も迷いもない。ただ、愛する人と共にこの地獄を駆け抜け、新しい世界を掴み取るという、猛々しいまでの意志だけが宿っていた。
「俺が全部止める。お前は、ひたすら攻め続けろ」
ナガは、緑のローブを翻し、ヒヒイロゴンの正面へと躍り出た。
盾役のいなくなった今、ナガが自らヘイトを稼ぎ、全ての攻撃を引き受けるしかない。
機械竜の鋭い爪がナガを襲う。
信也は、市香のタイピング音から彼女の回避方向を予測し、その逆方向へとわざと自分を晒した。
ギリギリの回避。直撃すれば死ぬような攻撃を、コンマ数秒のタイミングで躱し続け、自身に持続回復をかけ、同時にイチへバフを維持し続ける。
狂気じみた、一人二役以上の超絶機動。
だが、それができた。
隣にいる彼女の呼吸が、指先の動きが、信也にとっての「予知」として機能しているからだ。
かつて、自分を「兄」という檻に閉じ込めていた時には、決して到達できなかった境地。
イチを、市香を、心から愛していると認め、共に先へと進む覚悟を決めた今。
二人の魂は、画面の向こうのアバターを超え、一つの巨大な意志となって機械竜を圧倒していた。
「……おおおおおおおっ!」
信也は、自分でも無意識のうちに咆哮していた。
たった二人だけ。
数奇な運命に翻弄され、血の繋がりに苦しみ、それでも互いを求め合った二人。
かつては逃げ場所だったこの仮想世界が、今は、自分たちの愛の真実を証明するための、神聖な闘技場へと変わっていた。




