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50・最終決戦5

 機械竜ヒヒイロゴンのヒットポイントが最後の一パーセントを割り込み、血のように赤く、不吉に明滅した。


 断末魔の駆動音がエリア全体を震わせ、大気が爆ぜる。その巨躯が全回路を焼き切るような異様な熱を帯び、この戦いで何度目になるか分からない、最凶の攻撃の構えに入った。


 ――「分散する怒号」。


 三人以上で受けなければ、対象を確実に消滅させる死の衝撃波。


 ターゲットを示す赤い光が、ナガの頭上に冷徹に固定される。ハルとアヤは既に脱落し、蘇生は叶わない。このまま一人で受ければ、ナガの死は確定する。


「……っ、ナガ君!」


 隣に座る市香の、悲鳴のような声が現実の部屋に響いた。


 画面の中のイチが、本能的にナガへと駆け寄ろうとする。アバターの距離を詰め、二人でダメージを分かち合おうとするその判断は、ゲーマーとしては正しい。


 だが、今の状況では、それは二人纏めて即死するという「全滅」の結果を招くだけだ。


(……ダメだ。市香、お前だけは……!)


 信也は、現実の喉を振り絞り、かつてないほど鋭く、魂のすべてを込めて叫んだ。


「来るなっ!!」


 その声は、あの日、彼女を絶望の淵へと突き落とした拒絶の言葉以上の響きを持っていた。


 市香の指が、キーボードの上で一瞬だけ止まる。


 その刹那――。


 漆黒の衝撃波が、ナガの身体を真っ向から飲み込んだ。


 新緑のローブがズタズタに引き裂かれ、黄金の杖が石畳に転がって砕ける。


 画面上のナガのHPバーが、無慈悲に、そして唐突にゼロへと叩き落とされた。


 バタリ、と力なく崩れ落ちるナガのアバター。


 蘇生不可の呪縛が働き、その身体は光の粒子となって、漆黒の霧の中に消えていった。


「ナガ……君……」


 市香の震える声が、静まり返った部屋に落ちる。


 残り、十秒。


 アタッカーであるイチだけが、静寂の闘技場に取り残された。


 だが、市香は止まらなかった。


 この時、彼女は理解した。今の「来るな!」に込められた、狂おしいほどの情念を。


 それは、あの日自分を傷つけ、世界を壊した拒絶ではない。


 自分を生かし、勝利を託し、二人で明日を迎えるための……命を懸けた献身であったことを。


 かつての拒絶が「地獄」への切符だったなら、今の拒絶は「希望」への道標だ。


 その確信が、彼女の心に灯った焔を、烈火のごとき殺意へと変えた。


「……おおおおおおおおっ!」


 市香が咆哮した。


 トトトトトトトッ! と、現実の部屋を埋め尽くすような激しい打鍵音。


 紅蓮のドレスアーマーを靡かせ、イチが、もはや防御など一切考えない特攻の構えでヒヒイロゴンへと肉薄する。


 操作不能となった信也は、ただ静かにその音を聞いていた。


 ボイスチャットからは、アヤとハルの祈るような、あるいは絶叫に近い応援が聞こえてくる。


「いけえええっ! 削り切れえええっ!」

「イチ! お願い!やっちゃって!」


 だが、信也は祈る気にはならなかった。


 隣から伝わってくる、この上なく澄んだ市香の呼吸。


 迷いなくキーを叩き続ける、その強靭な指先の感触。


 信也は知っていた。


 彼女なら、大丈夫だ。


 俺が命を懸けて託したこの十秒を、彼女が、俺の愛したイチが、俺の愛した市香が、絶対に無駄にするはずがない。


 隣にいるからこそ、信也は祈りを超えた「確信」の中にいた。


 残り、三秒。


 イチの双剣が、ヒヒイロゴンの剥き出しになったコアに深く突き立てられる。


 二秒。


 機械竜の全身が、過負荷による火花を散らし、断末魔の放電を撒き散らす。


 一秒。


 その瞬間、世界のすべてが止まったように錯覚した。


 画面上のカウントダウンが「0」を表示する、そのコンマ数秒前の静寂。


 直後――。


 ドォォォォォォォンッ!!


 鼓膜を揺らす大爆発と共に、巨大な機械竜の巨躯が、膝から崩れ落ちた。


 核を貫かれた鉄の塊が、重厚な地響きを立てて石畳に沈み、その全身から力が抜けていく。


 光の粒子となって霧散していくボスの残骸。


 静寂。


 耳を劈くような爆音の後に訪れたのは、信じられないほどに深い、夜の静寂だった。

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