46・最終決戦
暗転していた視界が、一気に鮮やかな色彩を取り戻す。
視界の端に、慣れ親しんだステータスバーとスキルアイコンが浮かび上がった。ここは、機械竜ヒヒイロゴンのボス部屋へと続く、凍てついた鋼鉄の回廊だ。
その冷徹な無機質の世界に、二つの光の粒子が降り立つ。
新緑のローブを纏い、黄金の杖を静かに構えた「ナガ」。
そして、その隣で紅蓮のドレスアーマーを靡かせ、双剣を鋭く閃かせる「イチ」。
現実の世界では、信也と市香は、一つの椅子を分け合うようにして座っていた。
市香の体温が、信也の右腕からじわりと伝わってくる。イチの幻影を追わせた白いシュシュで纏めたサイドテールが、信也の首筋を撫でる。だが昨日とは違い、今にも壊れてしまいそうな絶望的な震えはなかった。代わりに、自分の居場所を確かめた事で落ち着いた、静かで力強く、そして何よりも確かな安心感がそこにあった。
二人がログインした瞬間、チャットウィンドウが明滅した。
そこには、既に武装を整えて待ち構えていた二人の先客がいた。
『『プロっス』』
いつもと変わらないメイド服姿の美少年の「ハル」。
そして、その傍らにいるのは、同じくいつもと変わらない白いくノ一装束を着こなした「アヤ」。
信也の背中を押して「今」を作る手伝いをしてくれた二人の仲間だ。
「プロっス」
信也は、キーボードを叩いて短く返した。
市香もまた、隣で小さく頷き、同じ言葉を画面の中に刻み込む。
いつもと変わらない、けれど今までで最も重みのある、再会の儀式だった。
信也は迷わず、ハルのキャラクターをクリックし、「パーティーを組む」というコマンドを選択した。
システム音が鳴り、四人の名前が青いラインで結ばれる。それは、単なるゲーム上の編成ではない。現実での地獄を潜り抜け、自分たちの真実を共有した四人が、再び一つの運命共同体として結びついた瞬間だった。
合流して数秒。アヤが、チャットに短い言葉を打ち込んできた。
『……どうだったの?』
その問いには、彩としての鋭い懸念と、友人としての深い慈しみが同居していた。
信也は、画面の端にあるボイスチャットのアイコンを見つめた。これまで、自分の「声」を届けることを拒んできた機能。市香を「イチ」という枠から締め出し、自分を「ナガ」という檻に閉じ込めていた時には、決して開くことのできなかった扉。
だが、今の信也には、隠さなければならないものなど何一つなかった。
彼はマウスを動かし、ボイスチャットのスイッチを「ON」にした。
「……ああ。全部、解決したよ。……今なら、声で話しても大丈夫だ」
マイク越しに響いた信也の声は、驚くほど澄んでいた。
続いて、隣に座る市香も、マイクに顔を寄せて、少し照れくさそうに、けれどはっきりと告げる。
「……うん。私も、大丈夫。……二人とも、待っててくれて、ありがとう」
一瞬、スピーカーの向こう側で息を呑むような気配がした。
やがて、アヤ――彩の、少し呆れたような、けれどひどく安堵したようなため息が聞こえてくる。
「……いい声ね。ようやく、まともになったみたいじゃない」
アヤの声は、相変わらず冷徹な賢者のそれだったが、その奥には確かな温もりが宿っていた。だが、彼女はすぐに、市香のわずかに震える鼻声を鋭く聞きつける。
「ところでナガ。……イチが少し鼻声じゃない。……あなた、イチを泣かせたわね?」
「え、あ、いや……それは……」
信也がしどろもどろになる中、アヤは容赦なく「罰」を宣告した。
「事情はどうあれ、女の子を泣かせた罪は重いわよ。……今日のヒヒイロゴン戦は、死ぬ気で活躍しなさい。ミスしたら、許さないから」
「ノーミス命令!? ……分かった。やってやるよ」
信也が苦笑しながら応じると、今度はハル――風火の、弾けるような明るい声が追いかけてきた。
「あはは! ナガ、頑張って! ……それと、イチちゃん。元気出して? 今日は、昨日よりもずっと、ううん、今までで一番、私たち、頑張れるよね?」
ハルの言葉に、イチは深く息を吸い込み、腹の底から、弾けるような返事をした。
「うん! ……頑張るよ!ハルちゃん!アヤちゃん!」
その声には、もう一滴の淀みもなかった。
かつての彼女は、ゲームの中に「逃げる」ためにイチを演じていた。
だが今の彼女は、現実で信也に愛された自分を、そのまま「イチ」というアバターに重ね合わせている。二つの世界が一つに溶け合い、彼女はかつてないほどの輝きを放っていた。
四人のアバターが、巨大な扉の前に並び立つ。
扉の向こう側からは、機械竜ヒヒイロゴンの重厚な駆動音と、逃げ場のないプレッシャーが漂ってくる。
俺たちはこの扉の前で、あの日、世界を歪に混ぜ合わせてしまった。だが、今は違う。世界はあるべき姿に落ち着いた。
「行くぞ。……今日、俺たちは絶対に勝つ」
信也の宣言と共に、扉がゆっくりと開いていく。
ボスエリアへと踏み出す四人の背中には、もう迷いも、隠し事もなかった。
今までで一番「勝ちたい」戦いが、今、幕を開けた。




