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あがきを疾み(あがきをはやみ)  作者: 理猿
最終章 冬、奇跡再び
105/106

魔女

『クラッシュオンユーと入れ替わる形で外を捲っていくのはアマクニ。順位を上げていきます。さあ、レースはいよいよ大詰め――』

 前には二番手集団の壁。後方からも先程抜かした馬たちが詰め寄ってくる。一刻の猶予もない。

 クラッシュオンユーが外へと引く手綱。

 外。

 そうだ、壁の外を大きく捲って外から差す。それしかない。このまま残れば集団に呑まれて、ここでレースが終わる。

「――本当にそれでいいの……?」

 青は馬上で逡巡する。積み上げられた客観的な事実から導かれる答え。それを直感が否定しようとする。ここに留まれば終わりだ。そのはずなのに、胸の裡をなにかがざわざわと蠢く。 

「……ごめん!」

 手綱をしごく。

 ごめんね。クラッシュ。そう手綱越しにクラッシュオンユーへと語りかける。ハミを噛んでいたクラッシュオンユーは驚くほど素直に手綱を引くのをやめた。

 あなたは間違っていない。ここで外に出すのは今できる一〇〇点の解答だ。だが、今外に出たらその先に勝利はない。トルバドゥールの背中を経験したからこそわかる。一〇〇点ではだめだ。一二〇点を超えなければ彼らに勝てない。クラッシュオンユーに勝たせてもらうでは駄目だ。甘えるな。騎手である私が勝たせるんだ。

 考えろ考えろ考えろ。

 額がぼんやりと熱くなる。時間はまたたく間に溶けていく。四コーナーの出口がじりじりと近付いた。ゴールまで残りは二ハロン――四〇〇メートルを切ろうとしている。

 どうすれば勝てる。このままでは勝てない。あの馬たちに勝つにはもっと強く。彼らよりももっと、もっともっと――、

「……強く」

 呟き。青の目が大きく開かれる。周囲の音がすとんと消えた。映像がスローに。そして、止まる。皐月賞の時と同じ感覚。

 その時、

「これしかない」

 ひとつの答えに辿り着く。そこから伸びるあまりにか細い蜘蛛の糸に。

 ほんの短い間の躊躇。それを振り払うように首を振った。再び振り注ぐ轟音。躍動する映像。激しいレースへと無防備な意識が放り込まれる。

 これしかない。じっとりと汗で湿る掌。手綱をしっかりと握り、鞭を左手に持ち替える。

 いくら無謀であろうとこれしか勝つ道はない。だったら、――だったら絶対に掴み取ってみせる。

『さあ、四コーナー回って最後の直線へと入ります!』 

 馬群という大きな蛹が裂け、広大なコースへと極彩色の翅を大きく広げる。ターフが染まり、各馬がゴールへと向けて力を解放する。

 鞭を掲げる。目の前にはまだ壁。

 ――来い。

 ここまで戦ってきて知ることができたのはクラッシュオンユーの強さだけではない。

 ――来い。

 私は知っている。

 私は、()()()()()()()()()()()()()

「来いっ!」

 パリスグリーンが、トルバドゥールが、アレクサンダーが、みんなが――動く。

 鞭を入れる。パンッ――と空を切る高い音。壁のように立ち塞がっていた馬群。それが直線を迎えたことで崩れていく。無数の亀裂。幾重にもその姿を変えていく。

 そして、ついにその裂け目が新たな道筋を示した。内ラチへと向かいか細くもまっすぐと伸びる光の道。たしかに先頭へと続く道筋を。

 ここだ。

「行くよクラッシュ!」

 息を止める。

 ハミを噛み、再び勢いづくクラッシュオンユー。その道へと勢いよく切り込んでいく。



 那須は青の動きに目を(みは)った。

 クラッシュオンユーはすでにこのレースを終えたはずだった。

 このレース、クラッシュオンユーが捲ってくるであろうことはわかっていた。だからこそ仕掛けを遅らせてぎりぎりのタイミングを見計らいアマクニで更に外から捲って被せた。

 三歳時点でトルバドゥールに食らいつかんとするクラッシュオンユーの末脚は脅威だ。アマクニにも劣らない。だから一番初めに潰した。

 内に閉じこめられた彼にもう成すすべはない――そのはずだった。

『直線、ハーキュリーズ粘るまだ粘る! 外から襲いかかるのはアマクニ、トルバドゥール、パリスグリーンも続きます! 内からアレクサンダーも来る……ん?』

 まさか、あの状況から内に切り込むなんて。

『う、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 内から来ます! 信じられません!』

 一瞬振り返った時、馬群の影に青が鞭を掲げる姿が見えた。その後すぐに前を向き直したので、なにが起こったのかまではわからない。

 しかし、内から上がって来たというのが事実ならば、あの馬群を割って出て来たということだ。さながら出エジプト記でアロンの杖を掲げて海を割ったモーセのように。

 まるで奇跡か魔法のように。

「魔法、か……」

 魔法というものの存在は信じていないし、自らにつけられた魔術師という呼称は大袈裟でむず痒くもなる。魔法なんてものはただ洗練された技術が見せる錯覚にすぎない。

 往々にして人は理由なく人を惹きつけてしまう力に魔法という言葉を与えたがる。そう考えると「魔法」という意味を持つ英語の「Charm」が「魅力」という意味を併せ持つのも無関係ではないだろう。

 人は勘違いしてしまうだけなのだ。そこに夢を見たくなるだけなのだ。だが、今ならその気持ちが少し分かる。

 もしそれを魔法と呼ぶならば、彼女はたしかに今魔法を使ったのかもしれない。

 大洋。君は今どこかでこの魔法を見ているかい。君に負けないくらい彼女はどうしようもなく人々を惹きつけてしまうようだ。

 視界が薄っすらと滲む。その答えを待たずに那須はアマクニに鞭を入れた。



「――ぃよしっ!」

 止めていた息を言葉とともに吐き出す。思い出したように心臓が激しく脈打つ。馬群を抜けた安堵感を引き締めるように青は右手に持ち替えた鞭を強く握り直した。

 まだだ。まだ終わっていない。

 見据えた先を走る後ろ姿。ずっと追っていた姿。紫・水色袖黒縦縞の勝負服。

 由比、そしてアレクサンダー。

 アレクサンダーまで一馬身……半馬身……そして、並ぶ。

 横を見る。目が合った。

 由比が口角を上げる。笑っていた。こんな勝負の最中に。

「なに笑ってんの」

 由比は少し目を瞠った後、さらに口角を上げた。

「日鷹もね」

 私も?

 ――そうか。笑っていたのか。私も。

 ごめんね、と心のなかで呟いてから前を向く。示し合わせたように由比も前へ向き直った。

 最後に立ちはだかる心臓破りの上り坂。一周目とはまるで違う。最後にして最大の試練。

『内からクラッシュオンユー! アレクサンダー並んだ! そのまま先頭ハーキュリーズを躱すか!? ――躱した躱した! 二頭が先頭に立ちます! 外からアマクニ! なかなか伸びてこない!』

 併せ馬の形でクラッシュオンユーとアレクサンダーが先頭に躍り出る。一騎打ち。しかしそこで、ぞっとした寒気が背筋に襲いかかってくる。

 振り向かずともわかる。不規則に乱れるリズム。

 魔王――トルバドゥール。その跫音。

『来た来た来た! グランドスラムがかかるトルバドゥールが猛然と上がってきます! あっという間に二頭に迫る! 強い! これがトルバドゥールだ!』

 内からクラッシュオンユー、アレクサンダー、トルバドゥール。三頭が並ぶ。

 残り二〇〇メートル。

 トルバドゥールが唸りを上げる。

次回、最終回は4月27日(火)更新予定です。

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