第45話 お盆の、届かない声
八月の十五日は、お盆の最終日だった。
喫茶小鳥遊は、この日も定休日ではなかった。でも、お客さんは少なかった。お盆は帰省する人が多いから、と紀子さんが言っていた。
夕方、店じまいの後、庭に火を焚く道具を健三さんが出していた。送り火だった。
実結は二階の窓から見ていた。
* * *
線香の煙が、庭から窓に流れ込んできた。
甘くて、少し渋い匂いだった。子ども時代の夏の匂いに似ていた。でも、違う線香だった。実結の知っている匂いとは少し違う——でも遠くはなかった。
スマートフォンを取り出した。
ほとんど無意識だった。お盆の夜に、手が動いた。
三十二パーセント。
変わっていない。三月から、ずっと変わっていない。充電できない。減らない。
実結はその数字を見た。今夜は、少し違う気持ちで見た。怖くなかった。確かだった。でも、今夜は「届かない」という感じがした。
連絡を取りたい人が、いる。
でも、届かない。届けようとすることも、できない。
それが怖いのか、悲しいのか、仕方がないのか、実結にはうまく整理できなかった。整理できないまま、三十二パーセントを見ていた。
* * *
送り火の橙色が、庭に揺れていた。
健三さんが火の前にしゃがんでいた。紀子さんが隣に立っていた。二人とも火を見ていた。誰が帰ってくるのか、誰を送るのか、実結には知らないことだった。でも、庭の火は静かに燃えて、煙が風に流れていった。
今夜は、遠くにいる人が近くに来る夜だ、と実結は思った。
同時に——近くにいても、届かない夜でもある、と思った。
感度が上がりすぎていた。
線香の匂い、送り火の橙、健三さんと紀子さんの背中、庭の草の湿った匂い。全部が今夜は少し大きく届いていた。届きすぎていた。
届きすぎているものと、届かないものが、同じ夜の中にある。
* * *
OM-40はケースに入れたままだった。
今夜は撮らない。撮れない、でもなかった。ただ、今夜の光は、フィルムに入れるものではない気がした。
スマートフォンの画面を消した。三十二パーセントは、画面を消しても変わらない。明日の朝も、変わらないはずだった。
それが確かだった。
変わらないものが、届かない夜に、手の中にある。
それだけで、少し、落ち着いた。
* * *
少しして、健三さんが「実結さん」と下から呼んだ。
窓から顔を出すと、健三さんが庭から見上げていた。
「見てたか」
「はい」
「来るか」と健三さんは言った。
実結は階段を降りた。庭に出ると、送り火はもう小さくなっていた。紀子さんが「ちょうどよかった」と言って、焼けた割り箸を集め始めた。
三人で、火が消えるのを待った。
虫の声が、庭に満ちていた。




