帰宅
三枝が自宅に帰ると、父が戻っていた。洗濯物を干していた。
「お父さん!」
「今日は珍しく帰れてな」
父が笑顔を見せた。無精髭が、二週間以上の連続勤務の過酷さを感じさせた。
「良いよ、私がやるから。休んでいて」
「大丈夫だよ。それより、母さんの仏壇の花、水をやってくれ」
「ねぇお父さん」
三枝が真剣な顔で父を見る。福寿の話や思いを伝えた。
「心配はありがたいけどな。でもそんなこと出来るわけ無いよ。会社を敵に回すようなことだ」
父は困惑した様子を見せた。
「お父さん、気づかない疲労もある筈。事故になってからじゃ…倒れてからじゃ遅いの」
三枝の真剣な目に、父は仏壇の妻の遺影に目をやった。
二日後、三枝は福寿の事務所にいた。
「仕方ないわ。前にも話した通り、無理強いは出来ないから」
福寿の言葉に、三枝は申し訳なさそうに頭を下げる。
「三枝さん、顔を上げて」
福寿が微笑む。
「お父様が同意されない以上、残業代と修理費の天引きに関しての『あっせん』は、一旦脇に置きましょう」
「先生、私どうすれば…」
「しかし、この現状を放っておくわけにもいかない…そう考えているのよね?」
三枝は手で顔を覆った。
「私が特定社労士としてではなく、一市民、あるいは専門家として、勤務実態を労基署と運輸局へ『情報提供』として申告します。これならお父様も三枝さんも、矢面に立たせないで済む。どうかしら」
「それは…匿名ですか?」
「もちろんよ。私も、申告を受けた機関も、秘密は厳守するから安心して」
三枝が小さく頷いた。
「それから、『あっせん』はお父様個人の問題で私が動けるけど、申告の場合は個別救済ではないということ。労基署や運輸局が『法令違反の是正』の為に動くということ」
福寿が違いを説明した。
「でも、父も会社も私を疑うと思います…『お前が伝えたんじゃないか』って」
三枝は不安な表情を隠さなかった。
「それは大丈夫。前にも話したわよね」
福寿が友人の瞳と出掛けた際に、三枝の父がハンドルに伏している姿を見かけた話を改めて伝えた。
「だから私が疑問を抱いて、専門家として独自で調べたという理屈になら問題ないでしょ」
「その手があったか…」
正木が驚いた表情で福寿を見た。
「もっと匿名性を高めるなら、私が直接『希望観光バス』さんを名指しせず、専門家として、気になった実態を情報提供する形でも良いかなって思っているの」




