説得
「修理費の事は、父は大事にしたくないみたいで『お前は何も言うな』って」
「修理費の件もそうだし、残業代も全額きちんと反映されていない。この状況を個別労働紛争として労働局に『あっせん』という形で申し立てれば、私がお父様の代理人として向き合う事が出来るけど…」
福寿が説明する。
「福寿先生は『特定社会保険労務士』といってね。労働局の紛争委員会で、正式に代理ができる方なんだ」
正木が説明を補った。
「紛争『調整』委員会よ」
福寿が正木に笑顔を見せる。
「紛争…調整委員会…?でも、それだと大事になるのでは…。父はそれを望んでいないと言っていますし…」
三枝は困惑した表情になった。
「そうね…」
「でも愛ちゃん。何もしなければ、何も変わらないんだ。僕がそうだった」
福寿が少し驚いて正木を見た。正木は真剣な目で三枝を見つめている。
「結果的に会社は辞めたけど、良かったと思っているよ。あの時の僕には、そんな選択肢すら思いつかなかった」
「まぁ、無理強いは出来ないけど…ある日突然労働環境が改善する事はない筈。だから、よく考えてみて」
福寿が優しく微笑んで三枝を見た。
「先生が…父の代わりになって下さるのですか…」
三枝が小さな声で聞く。
「そう。私が直接ね」
しばし沈黙の時間が流れる。しずかに福寿が話し始めた。
「三枝さん。ほとんどの事業者は、法令を厳しく守ってきちんと運行しているの。バスは社会における大切なインフラ。でも、一部の会社が違法に触れた事で、全体が悪く見られるのは、私も我慢ができない」
三枝は真っ赤になった目で福寿を見る。
「そういう会社ばかりじゃないって、私は知っているから」
福寿はさらに続ける。
「私もね、これまでずっとバスのお世話になってきたの。学生時代の遠足や通学、母とのバスツアー。日々の通勤もそうよ」
隣で正木が真剣に福寿を見ている。
「今、私がここに無事に居られるのは、多くの会社や運転士さんが、法令を守り、事故なく運転してきて下さったからだと思っているの」
三枝はハンカチで目を押さえる。正木は福寿に目配せして、席を外した。
「これからやろうとする事は、あなたのお父様を守るだけじゃない。今この瞬間にも正しく運行している、多くのバス事業者の方々を守ることでもあると思う」
「はい…」
声にならない声で三枝は返事をした。
「ちゃんとやってる人たちが損するの、私嫌なのよ」
福寿は三枝の隣に腰を下ろして、肩に手を寄せた。
「命を守る、尊いお仕事だもの。私もバスを応援したい」
三枝は福寿の事務所をでてから、父を説得する覚悟を決めた。福寿が同行すると伝えたが、それを断った。
「私の言葉で、父に伝えます」




