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義元英雄伝  作者: 日向 守
上洛編

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第九十一話 山崎の戦い 七


長慶は、もはや涙も枯れ果てた眼差しで、周囲に控える旗本たちを一瞥した。


「……冬康を、奥へ運べ。旗本十名で死守せよ。敵に一歩も近寄らせるな」


長慶は冬康の亡骸を旗本たちに預けると、弟の形見となった刀を自らの腰に差し、鬼神の如き形相で立ち上がった。


「儂の隊を戻し、代わりに冬康の隊をそのまま柴田へ当てろ。そして、儂の本隊すべてを中央の『車掛かり』に組み込め!」


将兵たちは戦慄した。主君自らが、死病の身を削って最前線に出るというのだ。


安宅冬康を失い指揮系統が落ちた安宅軍を、「猛牛」柴田勝家への抑えとして左翼に配置。そして、これまで温存していた自身の旗本・親衛隊五千余りを、車掛かりの「核」として中央へ投入した。


「車掛かりの頂点は、この長慶が担う。長房よ、儂に続け。義元の首を獲るまで、この回転を止めるな!」


三好軍の三角の車掛かりは、冬康を失った代わりに、長慶という「狂気」を糧にして、再び山崎の隘路で猛烈に回転し始めた。


対する今川陣営もまた、限界に達していた。

二日間にわたり三好の怒涛の攻撃を耐え続けた松平元康の三河衆、そして岡部元信の遠江衆は、盾は砕け、槍は折れ、将兵の疲労は極限に達していた。


「元康、元信……大義であった。これ以上は、京の守護者としての矜持が許さぬ」


今川義元は、黄金の甲冑を鳴らして立ち上がった。


「元康らを下げよ。代わって、今川本隊が出る。余自らが長慶殿の執念を受け止めよう」


今川軍の陣形が割れ、満身創痍の三河衆が後方へ退く。代わって姿を現したのは、洗練された武具に身を包んだ今川の精鋭。その中央には、黄金の扇子を掲げた義元が泰然と構えていた。


「備前守、三人衆よ! 側面の守備、任せる!」


義元の号令に応じ、撤退から立て直した浅井長政が再び南の湿地帯を固め、西美濃三人衆が北の斜面からの三好の浸透を阻む。

そして、山崎の隘路の中心部で、ついに「今川の法」と「三好の執念」が正面から激突した。

長慶率いる三好本隊の攻撃は、まさに凄絶であった。長慶は病に冒された体とは思えぬ力で部隊を督戦、今川の隊列を切り裂いていく。その背後では篠原長房が「長慶様に続け!」と叫び、三好の兵たちは一兵残らず死兵と化して今川の壁にぶつかった。


「……長慶殿。貴殿の悲しみ、その勢いから伝わって参るぞ!」


義元の周囲を固める旗本たちが、長慶の突撃を必死に押し返す。義元は自ら太刀を抜くことはなかったが、その存在自体が今川軍の揺るぎない「法」の象徴として、狂乱の波を押し留めていた。


左翼では、柴田勝家が加勢の安宅軍の抵抗に足止めを食らい、北の天王山では松永久秀が光秀の鉄砲隊と未だ泥沼の白兵戦を続けている。

戦場は、もはや軍略や地形を超えた。

互いの本陣が剥き出しになり、指導者同士がその命を削り合う、魂の削り合い。

山崎の隘路は、散りゆく武士たちの血で赤く染まり、夕暮れが迫る中で両軍の咆哮が木霊した。

長慶の瞳の先には、常に泰然と佇む義元の黄金の姿があった。


「義興、冬康……待っておれ。あ奴の首を墓前に供えてやろうぞ」


今川、三好の両本隊が激突。長慶の執念が義元を捉えるのか、それとも今川の法が三好を完全に沈めるのか。


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