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義元英雄伝  作者: 日向 守
上洛編

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第八十六話 山崎の戦い 二


山崎の隘路における激突は、陽が西の山端に沈みかけてもなお止む気配を見せなかった。


街道の正面では、松平元康と岡部元信が率いる「盾の壁」が、篠原長房の猛攻を幾度となく跳ね返し続けていた。元康、元信隊のの長槍は折れ、盾は敵の血と己の汗で滑り、足元の泥濘は肉の破片を飲み込んでいく。


天王山からは、明智光秀の鉄砲隊が断続的に火を噴き、三好軍を次々と狙い撃ちにした。だが、三好軍も死に物狂いであった。やがて視界が川霧に覆われ、敵味方の判別すら困難な闇が戦場を包み込む。


「……一旦、陣を下げよ。篝火を絶やすな、夜討ちに備えよ!」


元康の命により、今川勢は整然と陣を下げた。三好軍も、指揮系統の疲弊を考慮し、山崎の入り口まで一時後退。大地には数多の骸が転がり、川の流れだけが静かに夜を渡っていた。


三好軍の本陣。篝火が揺れる中、主立った将領たちが顔を揃えた。中央には、病を押し、執念だけでその身を支える三好長慶が座している。


「長房、冬康。正面の盾、抜けなんだか」


長慶の低く掠れた声に、篠原長房が悔しげに拳を握る。


「……三河、遠江衆の盾、想像以上に硬うございます。さらに天王山の明智十兵衛。奴の鉄砲隊の射撃が、我らの隊列の『芯』をことごとく撃ち抜いて参ります」


長慶は地図を睨みつけ、凄絶な笑みを浮かべた。


「……明智がちとうるさいのう。だが、数に勝る我らが敵の策に付き合う必要はない。陣を組み替えよ」


長慶が示したのは、一気に勝負を決めるための「三角形の車掛かり」であった。


「隘路で一部隊しか当たれぬというなら逆手に取ってやろう。篠原、其方の五千を二手に分けよ。冬康の部隊と合わせ、三つの頂点を持つ三角形の陣を敷く。これを車輪のごとく回転させ、絶え間なく元康、元信の盾に叩きつけよ。一陣が引けば、間を置かず次陣が当たる。敵前衛が息を継ぐ暇を与えるな」


さらに長慶は、松永久秀と、肩の傷を厭わぬ内藤宗勝を見据えた。


「久秀、宗勝。其方らは手勢を率い、天王山の明智に対処せよ。麓から攻める必要はない。夜陰と霧に紛れ、崖を登ってでも明智の横腹を突け。奴の目を我らから逸らせ」


「……承知いたしました。あの化け物の銃、私が封じてご覧に入れましょう」


久秀が不敵に微笑む。


「残る兵は、麓に控える柴田勝家に当たらせる。……明日、日の出とともに三好の全力を以て、山崎の隘路を今川の血で覆え」


軍議が終わり、将たちがそれぞれの陣へ戻っていく。

三好軍三万は、闇の中で巨大な歯車を組み替えるように、音を潜めて再編を始めた。


一方、今川の本陣では、竹中半兵衛が天王山のシルエットを見上げ、唇を噛んでいた。


「……今宵の静けさは不気味にございます。三好長慶、おそらく明日は死に物狂いの攻撃を仕掛けてくるでしょう。元康殿、元信殿、勝家殿そして十兵衛殿。明日は今日以上の地獄となりますぞ」


山崎の地は、再び冷たい霧に包まれた。

夜明けとともに始まるのは、三好家の全霊を賭けた「三角形の車掛かり」。それを迎え撃つ今川の盾が、いつまで耐えられるか。運命の二日目が近づいていた。


ここまで読んでいただき誠に有難う御座います。

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