第八十三話 三好軍集結
三好長慶の号令は、西国の海を震わせた。
茨木城での一戦は、今川の敗北という形ではあったが、長慶にとっては満足できるものではなかった。義元の首を獲る――その一点のみに執着する長慶は、もはや三好家の防衛線すら度外視した「総動員」へと舵を切る。
阿波の山々、讃岐の平野、淡路の荒海。
三好家の力の源泉である西国諸国へ、久秀の放った早馬が次々と駆け込んでいった。
阿波勝瑞城。三好実休の遺志を継ぎ、四国勢を束ねる名将、篠原長房は、届いた書状を一瞥するなり、傍らの刀を手に取った。
「長慶様、ついに御覚悟を決められたか。今川の黄金を、我ら四国の荒武者が泥に沈めてくれよう」
長房は、阿波、讃岐から集められた精鋭一万人余りを即座に動員。数百艘の軍船を繰り出し、鳴門の渦潮を越えて和泉国、堺へと進軍を開始した。彼らが携えるのは、四国で鍛え上げられた兵の練度と、今川の「法」など知らぬ野性味あふれる武力であった。
時を同じくして、淡路を拠点とする長慶の実弟、安宅冬康も動いた。
冬康は本来、詩歌を愛し、争いを好まぬ温厚な人柄として知られていた。兄長慶が狂気的な執念に身を焦がす姿を誰よりも案じ、領国の静謐を守ってきた。だが、今回の書状に込められた兄の「死の予感」を察し、ついにその重い腰を上げる。
「……兄上。そこまでして、すべてを焼き尽くし、終わらせたいと仰るか」
冬康は、三好家の海上の牙である「安宅水軍」の総帥として、戦いの表舞台へ立つ決意を固めた。海を埋め尽くす安宅船の群れは、和泉灘を完全に封鎖、同時に自らも陸に上がり、長慶の盾となるべく軍を進めた。
篠原長房の四国勢、安宅冬康の淡路衆、そして松永久秀、内藤宗勝、三好長逸、三好政生、岩成友通の畿内勢。
三好家の全軍が摂津の地に集結しつつあった。その総兵力、実におよそ三万。今川軍がこれまでに直面したことのない、文字通りの「三好の波」である。
「……来たか。長房、冬康。儂の命の灯火、この一戦で使い切ってくれる」
京、勝竜寺城。
西国からの「三好軍集結」の報に、評定の間は凍りついた。
「四国、淡路のほぼ全軍がこちらへ向かっておると!? 長慶は正気か。領国を手薄にしてまで我らを叩くつもりか!」
柴田勝家が机を叩いて叫ぶ。
竹中半兵衛は、届いた報告書を精査し、顔を曇らせた。
「……これは執念などという言葉では片付きませぬ。三好家そのものを糧として、今川を焼き尽くそうとする火計です。このまま正面から受ければ、我らは数に押し潰されましょう」
義元はただ、黄金の扇子をゆっくりと開いた。
「……流石、畿内の覇者。再編の時間など与えてはくれぬか。だが、三好の波がどれほど高くとも、それを断ち切る岩とならねばならぬ」
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