第八十話 長慶再起 十
今川軍の主力が京へと抜ける街道筋。そこは今、一人の男の圧倒的な「技」によって、誰も通ることのできぬ絶対不可侵の領域と化そうとしていた。
光秀は、腹心の藤田行政を傍らに呼び、静けさを湛えた声で命じた。
「行政、必要以上の攻撃の必要はない。ただ防御に徹し、陣盾を並べて道を守れ。一歩も退いてはならぬが、一歩も出る必要もない」
「……はっ、承知いたしました!」
行政が盾を並べて守備を固める中、光秀は愛馬から降り、自身の前に五丁の火縄銃を並べさせた。硝煙の臭いが立ち込める中、光秀は一丁を手に取り、腰を落として構える。
「準備ができたものから順に寄越せ。……一刻、この道を封じる」
光秀が狙いを定めたのは、松永軍の陣頭で兵を叱咤する将領たちであった。
光秀は一丁を放つと、即座にそれを後ろの家臣へ突き出し、代わりに装填の済んだ次の一丁を、手元を見ずに受け取る。
二発目。
松永勢の右翼を指揮していた騎馬将校の眉間が弾け、その体は泥の中に崩れ落ちた。
三発目、四発目。
光秀は銃を受け取るや否や、照準を合わせる時間さえ惜しむかのような速さで引き金を引く。だが、放たれた弾丸は吸い込まれるように敵の指揮官たちの眉間を貫いていく。
「な……何だ、あの狙撃は!? まるで狙うておらぬように見えるぞ!」
五丁の銃が、光秀の手を介して絶え間なく火を噴き続ける。装填と発射の隙間がない。光秀一人が、まるで一隊の鉄砲隊であるかのような弾幕を、しかもすべて「狙撃」という精度で展開していた。
「怯むな! 相手はたった一人の筒使いに過ぎぬ! 突き崩せッ!」
松永勢の先鋒、猛将内藤宗勝が、槍を掲げて突撃の号令を下した。その瞬間、光秀が順繰りに回ってきた五丁目の銃を手に取る。
「……内藤殿、御免」
乾いた発射音が響く。内藤宗勝の右肩が衝撃で跳ね上がり、掲げていた槍が吹き飛んだ。
「ぐあッ……!」
肩を撃ち抜かれた宗勝は、馬上で大きくのけ反り、そのまま地面へと転げ落ちた。
五丁の銃を、休むことなく順繰りに使い続ける光秀。その銃身は熱を持ち、陽炎を揺らしているが、彼の眼光だけは冷たく透き通っていた。
将領が倒れれば、代わりに指揮を執ろうとする者が撃ち抜かれる。旗持が立てば、その胸が穿たれる。近づくことさえ許されない死の領域。それを後方で見ていた松永久秀は、背筋に冷たい物が走るのを禁じ得なかった。
「……あやつ、化け物か。これでは近づくことさえできぬ」
久秀は、かつて多くの戦場を渡り歩いてきたが、これほどまでに「個の技」によって戦術そのものを無効化された経験はなかった。
「宗勝を下げろ。……追撃はここまでよ。あの精密射撃の壁を抜くには、我らは将を失いすぎた」
久秀は忌々しげに撤退を判断した。
光秀の眼差しは、硝煙の向こう側で去りゆく久秀を射貫いていた。その背後では、傷ついた元康と三河衆が、ついに安全圏へと退却を完了させていた。
光秀の正確無比な狙撃は松永軍を戦慄させ、今川全軍の撤退を完成させた。
光秀は朝倉家仕官の時、ほぼ百発百中の腕前を見せたとか。雑賀の曲芸打ちもビックリの腕前ですね。




