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義元英雄伝  作者: 日向 守
上洛編

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第七十五話 長慶再起 五


茨木城の門が完全に開き、三好軍が津波のように溢れ出した。その中心、黒漆の甲冑に身を包んだ三好長慶が、愛息を失った悲しみを復讐の炎に変えて咆哮する。


「今川の犬どもを 蹂躙せよ! 義興の無念、その血ですべて購わせるのだ!」


対するは、泥濘に足を取られながらも、なんとか鶴翼の陣を敷き終えた松平元康と、その家臣たる三河武士たちであった。


三好軍先鋒を率いるは、石成友通と勇猛で知られる三好政生である。


「黄金の法など、この泥に沈めてくれるわ! 突き進め!」


政生が先陣を切って突撃し、その背後から石成友通が冷静かつ執拗な攻撃を加える。主君・長慶の再起に沸き立つ三好兵の突撃は、岩をも砕く勢いであった。


だが、三河衆の最前列には、不動の巨岩のごとき男たちが立ち塞がっていた。


「ここから先は、一歩たりとも通さん!」


弱冠十六歳の本多平八郎忠勝が、愛槍『蜻蛉切』を振るい、突っ込んできた三好の騎馬兵を次々と突き落とす。その剛勇は凄まじく、彼が槍を振るうたびに三好勢の勢いが目に見えて削がれていく。


その傍らでは、酒井忠次が冷静に陣頭指揮を執っていた。


「慌てるな! 敵は逸っている。槍を揃え、引き付けてから突け! 三河武士の粘りを見せるのは今ぞ!」


忠次の的確な指示により、崩れかけた陣形が瞬時に再構築される。さらに、石川数正が後方から絶え間なく矢玉を供給し、泥濘の中でも三河衆の戦力を維持し続けていた。


「どけい! 小童が!」


長慶自らが馬を飛ばし、元康の直前まで肉薄した。長慶が振るう太刀は、怒りと憎悪が込められ、一太刀ごとに三河兵を薙ぎ払っていく。その圧倒的な覇気に、周囲の兵たちが一瞬怯んだ。


だが、元康だけは馬上で動じることなく、静かに長慶を見据えていた。


「三好修理大夫殿。……貴方の悲しみ、察するに余りあります。ですが、その怨嗟のために、また多くの命を泥に沈める。それが貴方の望んだ『畿内の静謐』ではありますまい!」


「黙れ! 義興がおらぬ世に、静謐など意味はない! 消え失せよ、黄金の走狗ども!」


長慶の合図と共に、石成友通が巧みに配した鉄砲隊が一斉射撃を放つ。至近距離からの掃射に、三河衆の第一列が崩れ落ちた。


絶体絶命の瞬間、元康は馬から飛び降り、自ら泥の中に立ち上がった。


「者共! 殿しんがりとは、生きて義元公に(いさ)を立ててこそだ! 死ぬな、耐えろ! 泥を啜ってでも、この地を法の墓場にさせるな!」


忠勝が蜻蛉切を振り回して敵を押し戻し、忠次が声を枯らして兵を鼓舞し、数正が沈着に戦線を支える。元康と彼ら臣下たちは、泥塗れの蜘蛛のように地を這いながらも、三好軍の猛攻を正面から受け止め続けた。


今川の本隊が、背後の松永久秀を打ち破るまで持ちこたえる。だが、石成友通と三好政生が仕掛ける波状攻撃、そして長慶の執念は、その時を永遠にも感じさせるほど苛烈を極めていた。


「……面白い。その粘り、いつまで続くか試してくれようぞ!」


狂乱の覇者と、忍耐の若虎。

摂津の泥土の上で、世代を超えた「執念」の比べ合いが、火花を散らす。


ここまで読んでいただき誠に有難う御座います。

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