第七十三話 長慶再起 三
戦場を俯瞰すれば、それは巨大な「縄」が今川軍の首を絞め上げるような光景であった。茨木城の長慶が「結び目」の一端を握り、背後から迫る久秀がもう一端を引き絞る。そして、その縄の強靭さを支える支柱こそが、今川軍が通り過ぎ、再び三好長逸によって接収された芥川山城であった。
光秀は疾走する馬上で、この「結び目」を断ち切ることのみに思考を研ぎ澄ませていた。
芥川山城は、今川軍の退路を完全に塞ぐ巨大な「栓」となっていた。城門は固く閉ざされ、三好の旗が再び風に翻る。城主・三好長逸は、眼下の街道を睨みつけ、勝利を確信していた。
「今川義元、貴様の『法』とやらが、この険峻なる山を越えることは二度とない。ここで飢え、沈むがよい」
長逸が兵たちに防備を固めさせ、今川本陣への総攻撃の合図を待っていた、その時。城の背後――本来、今川軍がいるはずのない北側の峻険な山道から、地鳴りのような蹄の音が響き渡った。
「馬を止めるな! 崖を駆け、風となって門を穿て!」
それは、京から脅威的な速度で、泥濘と疲労を突き抜けてきた明智光秀と、三千の騎馬隊であった。
光秀は、芥川山城が包囲網の「結び目」であることを見抜いていた。ここを奪還し、退路を確保することこそが、絶体絶命の義元を救う唯一の道である。
「十兵衛様、城壁に鉄砲隊が並んでおります! 正面からは無謀です!」
「門を叩く暇などない! 脇の断崖を駆け上がれ! 徒歩の者はおらぬ、人馬一体の勢いこそが我らの武器ぞ!」
光秀の駆る名馬が、岩肌を削りながら斜面を躍り上がった。三好の守備兵たちが驚愕して矢を放つが、彼らの動揺よりも光秀の突撃が早かった。光秀は乱戦の中に飛び込むと、自ら刀を振るい、敵の旗を薙ぎ倒した。
「明智十兵衛光秀、推参! 義元様の法は、人の怨嗟などには屈せぬ! 道をあけよ!」
背後を突かれた三好軍は、京にいたはずの援軍がこれほど早く、しかも馬を潰す勢いで現れたことに驚愕した。光秀の三千騎は、まさに「雷撃」の如き勢いで城内を蹂躙し、包囲網の一端を揺るがせたのである。
今川軍を締め上げていた包囲の「結び目」がわずかに緩んだ。だが、依然として今川軍の前方には三好長慶が、後方には退路を塞ぐように松永久秀の本隊が立ち塞がっている。
降り注ぐ鉄砲の雨の中、柴田勝家が傍らの竹中半兵衛に吠えた。
「半兵衛! お前、いつもは策を弄して挟撃を仕掛ける側だろうが! 自分の得意技でしてやられて、黙って見ているだけか! 対策はないのか!」
その問いに対し、半兵衛は顔を歪め、苦しげに首を振った。
「勝家殿、そう簡単に言わないでください……。挟撃は、兵法において最も忌むべき最悪の態です。 本来、この状況下で取れる策は、ただ一つ。『逃げる』ことのみです」
半兵衛の瞳には、かつてない焦燥が浮かんでいた
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