第六十五話 江北の鷹
瀬田の今川義元の本陣に観音寺周辺の平定に当たっていた北近江の盟主・浅井長政が到着した。
この対面は、単なる軍議ではない。義元と、弱冠十九歳にして家臣をまとめ上げ、近江の次代を担う長政。新旧の「英傑」が、天下の形と「義」の在処を問い合う場となったのだ。
琵琶湖を渡る風が、今川の「赤鳥」の旗と浅井の「三つ盛り亀甲に花菱」の旗を激しくなびかせている。
義元は、戦場とは思えぬほど優雅な直垂を纏い、床几に腰を下ろしていた。そこへ、真っ白な陣羽織を翻し、瑞々しい若武者の気を放つ浅井長政が進み出る。長政は、義元の前に膝を突くと、一点の曇りもない瞳で上洛の王者を見上げた。
「浅井備前守長政にございます。義元公の壮挙を祝い、北近江を挙げて参上致しました。近江の地を黄金の法で満たさんとする公の志、この長政、感服つかまつった」
義元は扇を閉じ、満足げに微笑んだ。
「備前守。貴殿の噂は美濃まで届いておった。父や家臣の突き上げを抑え、自らの意志でこの義元を選んだその胆力……。義父・信虎の文にあった通り、北近江には俊英がいたようだ」
対話が深まる中、長政はふと表情を引き締め、義元の目を真っ直ぐに見据えて問いを投げかけた。
「義元公。一つ、避けては通れぬ問いがございます。我が浅井家は、越前の朝倉義景殿と古くより固い同盟を結んでおります。もし、朝倉が公の『黄金の法』に抗い、今川と朝倉が事を構えるような事態になれば……公は、我らに何を求められますか?」
静寂が陣内に満ちた。浅井家にとって朝倉は累代の恩人。もし今川が北陸へ牙を剥けば、長政は「義」と「実」の間で引き裂かれることになる。義元は、琵琶湖の対岸を見つめながら静かに答えた。
「備前守よ。余は、貴殿に『友を撃て』とは言わぬ。だが、朝倉義景殿がもし古い秩序に固執し、誤った道を歩むのであれば、それは余の敵ではなく『天下』の敵だ。その時、貴殿は朝倉への『義』を果たすか、それとも近江の民の『平穏』を優先するか……。貴殿が選ぶべきは余ではない。貴殿の信じる『義』の重さよ」
長政はその答えに、義元の底知れぬ自信と、押し付けることのない王者の余裕を感じ取った。
「……恐れ入りました。公は、私の『義』を試しておられるのですね」
長政は再び深く頭を下げた。
「義元公。近江は古来より、商いと戦が隣り合わせの地。貴殿が説く『黄金の法』……関所を廃し、民に富を巡らせる理は、この近江の者たちにとっては何よりの福音。朝倉殿にも、私が誠心誠意、この黄金の世の素晴らしさを説き、和を繋ぎましょう。武力ではなく、富と平穏こそが最強の調略であると、公に教わりましたゆえ」
義元は満足げに頷きました。
「よい答えだ。貴殿の統治する近江は、今川の経済の心臓となろう。備前守よ、余の背後を守れ。貴殿がおれば、余は迷いなく京を『黄金の都』に変えられる」
長政が陣を辞した後、義元は傍らの明智光秀に呟いた。
「十兵衛。長政のような若者が次代を担うなら、余も安心して京へ入れるな。……だが、京の風は琵琶湖の風ほど清くはない。松永久秀、そして三好三人衆。彼らが用意した『もてなし』、そろそろ見えてくる頃ではないか?」
十兵衛は地図の「二条御所」を指差した。
「仰る通り。松永の忍びたちが、将軍・義輝公の周囲に怪しき動きを見せております。……義元公。入京は単なる行軍ではなく、御所を巡る争いとなるやも知れません」
浅井長政という、義理堅くも聡明な友を得た義元。三万の「黄金の奔流」は、ついに山城国に突入する。
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