第六十話 上洛への道
氏真が駿府で大きな目標を得た頃、義元が先ず行ったのは、武力による制圧ではなく、書状による天下への問いかけであった。将軍・足利義輝の御内書を奉じた義元は、京へ至る道筋にある諸大名に対し、「上洛軍の先導、および随行」を命じる布告を発した。これは、従う者には黄金の法による安寧を約束し、拒む者には幕府の敵としての断罪を突きつける、極めて政治的な最後通牒でもあった。
最初に呼応したのは、北近江を統べる浅井長政。 浅井家はもともと、美濃攻めの頃から義元と誼を通じており、義元が信長を討った後の尾張・美濃の急速な安定を冷静に見守っていた。
「今川治部大輔殿の志、しかと受け止めた。尾張、美濃を見事に平定した御仁であれば、京の荒廃をも癒せよう」
年若くも英邁な当主・長政は、義元の使者として訪れた明智光秀に対し、即座に上洛軍の先導を引き受けた。これにより、今川軍は美濃から北近江を経て京へ向かう、最短かつ最も安全な補給線を確保することに成功した。
一方、京のすぐ東に位置し、上洛軍が必ず通らねばならない南近江の雄・六角家の反応は対照的であった。 当時の六角家は、現当主・六角義治と、隠居しながらも実権を握る父・承禎(義賢)との間で激しい主導権争いが続いており、家中は二分されていた。
「今川の下に付くなど、名門六角の誇りが許さぬ」と強硬な姿勢を見せる若き義治に対し、父・承禎は「今、義元と正面から戦えば家が滅ぶ」と慎重論を唱える。
結果、六角家からの返答は「検討する」という曖昧なものに留まりまった。どちらともつかないこの態度は、軍事的には空白地帯を生み、政治的には「不服従」と見なされる危うい均衡を生み出していた。明智光秀はこの報を聞き、「六角の迷いは、武田信玄が付け入る最大の隙となるでしょう」と義元に警告を発した。
南の伊勢国を統べる「剣豪国司」北畠具教は、義元に対して友好的な態度を示した。 具教は文化人としても義元と通じるものがあり、何より、今川家が伊勢湾の制海権を掌握し、商いの流れを安定させている現状を高く評価していた。
「義元殿が京で新たな法を敷くというなら、伊勢もまたその恩恵に預かろう。上洛の際は、我が軍も微力ながら後詰めを担おうではないか」
北畠家の協力により、今川軍は陸路だけでなく、伊勢湾から志摩までの海路の安全を手中に収めた。これにより、万が一陸路が封鎖された場合でも、海から物資を運び込む準備が整った。
すべての返答を揃えた義元は、稲葉山城の天守に明智光秀、松平元康を呼び寄せた。
「浅井、北畠とは友好な関係にある。……だが六角の迷いは、毒となる。十兵衛、元康よ、其方は先鋒として近江へ入れ。六角が道をあければ良し、阻むならば『黄金の法』の重みをその身に教えてやれ」
元康が、固い決意を瞳に宿して頷く。
「三河武士の力、天下に見せつけましょう。一歩も引かず、されど理不尽な刃は振るわぬよう軍を律します。」
光秀は静かに地図を指差す。
「信玄が六角に密使を送っているとの噂がございます。上洛は、近江をいかに迅速に抜けるかにかかっておりましょう」
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