第五十五話 美濃平定成る
闇に紛れ、抜け道を通って奥御殿に現れた竹中半兵衛。そこには、震えながら酒を煽り、自暴自棄に陥った主君・一色龍興の姿があった。
「半兵衛……貴様、また俺を嗤いに来たのか! 義元の下僕に成り下がって、死を勧めに来たか!一色の世もこれまで、好きにせい!」
喚き散らす龍興の言葉を、半兵衛は最後まで聞かなかった。
「――いい加減になされよ!」
静寂を切り裂く叫びと共に、半兵衛の拳が龍興の頬を激しく打ち抜いた。
「……な、殴ったな……! この俺を!」
床に転がった龍興を見下ろし、半兵衛は怒りと悲しみの混じった瞳で言い放った。
「龍興様、今の貴方はただの『国主である子供』に過ぎませぬ。この城は落ち、一色の国は終わります。ですが、貴方の命はまだ終わっていない!」
半兵衛は龍興の胸ぐらを掴み、その眼を覗き込んだ。
「お忘れか! 祖父・斎藤道三公は、油売りから徒手空拳でこの美濃を盗り、一国を築き上げた怪物。そして父・義龍様は、その怪物の息子という呪縛に抗い、病に蝕まれる体を引きずりながら、必死に『一色の名』を、この美濃の地を守り抜こうとされました!」
半兵衛の声が震える。
「道三公は『無』から『有』を創り、義龍様は『病』の中で『意地』を通した。それに引き換え、今の貴方は何だ! 城を失った程度で、不貞腐れ自ら命を投げ出すのが一色の末裔のすることか!」
半兵衛は、龍興を突き放すように放した。
「死ぬ勇気があるなら、その命を捨てず、泥を啜って諸国を巡り、人の痛みと世の理を学んで参られよ! 祖父が歩いた道を逆から辿り、父が守り抜こうとした『生きる執念』を学び直すのです。いつか一人の男として立ち上がることこそが、義龍様への、そして道三公への真の供養にございます!」
見たことのない半兵衛の気迫と「道三・義龍」の名に圧され、龍興はついに声を上げて泣き崩れた。
「……父上も、祖父上も……そうやって、戦っておられたのか……」
「生きるのです。生きて、この美濃が黄金の法でどう変わるか、その目で見守るのです」
半兵衛は龍興、そして城に残っていたわずかな近臣たちを、自身がかつて用意した秘かな抜け穴へと導いた。
「ここから西へ落ち、まずは京を目指されよ。……後のことはお任せあれ」
龍興は、闇の向こうへ消える間際、半兵衛に深く頭を下げた。それは、主君が臣下へ向けた最初で最後の、心からの「礼」であった。
ただ一人、不破光治だけは抜け穴へ向かわなかった。彼は城門の前で、静かに立ち尽くしていた。
「半兵衛殿……道三公の再来か、義龍様の真の後継か……あの方がどちらになるか、私も楽しみだ」
「不破殿、貴殿は……」
「私は、ここで柴田殿に負けたのだ。武士が一度結んだ約束、違えるわけにはいかぬ。義龍様に叱られぬよう、今川の世で一花咲かせてみせる」
夜が明け、朝霧の中に今川の黄金の旗が翻る頃。稲葉山城の重い門が、ゆっくりと、しかし確かな音を立てて開かれた。
そこから現れたのは、傷だらけながらも晴れやかな表情をした不破光治であった。
「柴田権六殿! 約束通り、この不破光治、貴殿の軍門に降る! これより先は、貴殿の槍となり、黄金の世の礎となろう!」
勝家は豪快に笑い、不破の肩を叩いた。
「待っていたぞ、光治! ……半兵衛、あの阿呆主はどうした?」
「……はい。今頃、道三公のように、そして義龍様のように、己の足で『己の道』を探し始めたはずです」
義元は、山頂に翻る今川の二つ引両の旗を見上げ、満足げに頷いた。
「美濃が、ついに黄金の法に服したか。これより美濃を、上洛への大いなる礎とする!」
美濃全土を掌中に収めた今川軍。時に永禄五年十一月の出来事であった。
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