第五十二話 忠臣ふたり
中濃を制圧し、残るは西美濃。三人衆が今川へ傾く中、ただ一人、義龍への恩義を胸に龍興を支え続ける「最後の忠義者」不破光治が立ちはだかる。
西美濃の険しい山城、西保城。そこを守る不破光治の元へ、軍勢を遠巻きに待機させた柴田勝家が、わずかな供回りだけで現れた。
「不破殿! 儂は今川義元公が家臣、柴田権六勝家だ! 貴殿が龍興を見捨てぬ理由は、理屈ではないはずだ。……儂と、少し話をしようではないか!」
勝家は門前で床几を置き、堂々と座り込んだ。不破光治は城壁からその姿を見下ろしたが、その瞳には敵意よりも、どこか懐かしむような色が浮かんでいた。
「柴田殿……貴殿もかつては織田信長公に命を懸けた男。今の私を笑いに来たのか、それとも憐れみに来たのか」
不破光治は城門を開け、勝家の前に一人で立った。
「私は、先代・義龍様にこの美濃の盾となれと命じられた。龍興様が如何に愚かであろうと、主君を捨てるは武士の道に非ず。半兵衛殿のように、器を求めて主を乗り換えるほど、器用には生きられぬのだ」
その言葉を背後で聞いていた半兵衛が、静かに一歩前に出た。
「不破殿。貴殿のその不器用さを、私は誰よりも尊いと思っております。だからこそ、貴殿を殺したくない。……私が仕官した際に義元公へ求めた三つの誓約の一つは、『龍興様を殺さぬこと』にございます。これは、貴殿の守ろうとしている義龍様への恩義を、今川の法の中に繋ぐための誓いです」
勝家は、光治の肩をがしりと掴んだ。
「不破殿、いい加減にしろ! 貴様が死ぬのは勝手だが、貴様が死んだら、龍興を守る奴は誰もいなくなるんだぞ! それで義龍殿への義理が立つのか? 貴様が今川に降って、義元公の側で『龍興を殺させない』と目を光らせる……それが本当の守り手ってやつではないのか!」
不破光治は、勝家の剥き出しの言葉に衝撃を受けた。
「私が……今川に降り、龍興様をお守りするだと……?」
「そうだ! 儂も、信長様の子供たちを守るために、義元公の懐に飛び込んだ! 貴様のその『不器用な忠義』、儂が預かってやる。儂の家臣になれ! 貴様が龍興を殺すなと叫ぶなら、儂が全力でそれを支えてやるッ!」
西美濃の静寂を切り裂くように、柴田勝家と不破光治の対峙は続いた。半兵衛が「理」を説き、勝家が「情」をぶつけた果てに、不破光治は静かに、しかし断固とした口調で自らの最終的な答えを口にした。
光治は折れぬ背筋を正し、勝家の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「柴田殿、貴殿の器、そして今川義元公の掲げる黄金の法……しかと理解した。もはや一色家の命運が尽きたことも、この光治、重々承知しておる。……よかろう、降伏いたそう」
勝家の顔に安堵の笑みが浮かんだ瞬間、光治の声が一段と低く響いた。
「だが……ただここで膝を屈しては、義龍様への顔向けができぬ。私はこれから、望む者のみを連れて稲葉山城へ入る。そこで龍興様と共に、一色家最後の一戦を仕る。……そこで負けた時こそ、私の魂は貴殿に預けよう」
「……何だと? 貴様、わざわざ死にに行くというのか!」
勝家は槍を握り直したが、光治の瞳に宿る「死を覚悟した輝き」を見て、言葉を飲み込んだ。それはかつて、信長を失い、死に場所を探していた自分自身の姿と重なったからである。
傍らにいた半兵衛が何かを言いかけたが、勝家はそれを手で制した。
「……いいだろう。不破光治、貴様の意地、この柴田権六が買った。今、この包囲の一角を開けてやる。……行け。稲葉山で、貴様の気が済むまで暴れよ。だがな、死ぬのは許さぬぞ。儂が必ず、その城ごと貴様を救い上げてやるからな!」
「かたじけない……。柴田殿、貴殿こそ真の武人だ」
不破光治は深く一礼すると、すぐさま愛馬に跨り、手飼いの精鋭と共に今川軍がわざと開けた「道」を駆け抜けた。
砂塵を上げて去りゆく光治の背中を、半兵衛は複雑な表情で見送っていた。
「……勝家殿。義元公の命は『無血平定』。あのお方を城へ入れれば、最後の戦いは避けられませぬぞ」
「分かっている。だがな、半兵衛。あ奴はここで降伏させても、心までは降らぬ。稲葉山で思い残しをなくさせてやるのが、あ奴にとっての『救い』よ」
この報告を墨俣で聞いた義元は、不機嫌になるどころか、黄金の扇子で自らの膝を叩いて喜んだ。
「勝家よ、実に粋なことをする。……よかろう。稲葉山城にて、余自ら一色家最後の幕引きを演出してやろう。不破の意地を黄金で飾り、龍興に最後の夢を見せてやるのも、王者の慈悲というものよ」
不破光治は稲葉山城へ入り、龍興の最後にして唯一の「盾」となった。今川の包囲網は、今や城の直下まで迫っていた。
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