第四十六話 鬼神と鬼謀 二
栗原山の奥深く、静寂が支配する竹中半兵衛の庵。
柴田勝家は、道中「あんなひょろ長い理屈屋、俺が引きずり出してやる!」と息巻いていたものの、いざ簡素な竹門を前にすると、光秀の隣で妙に落ち着かない様子であった。
しかし、その門が静かに開いた瞬間、勝家の、そして光秀の予想をも裏切る言葉が漏れた。
門の奥から現れたのは、質素な着物に身を包んだ、相変わらず透き通るような白皙の美青年、竹中半兵衛であった。彼は光秀を一瞥し、そして隣で岩のように強張っている勝家を見つめ、ふっと柔らかく、慈しむような笑みを浮かべた。
「十兵衛殿。……そして、柴田勝家殿。よくぞ、このような山奥までお越しくださいました」
勝家は驚きのあまり、用意していた「出てこい、このひょろ長軍師!」という怒鳴り文句を飲み込み、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
「な、何だ、その……貴様、儂が来るのを知っておったのか?」
半兵衛は、二人を庵の縁側へと促した。そこには酒杯と、冷えた清流の酒が用意されていた。
「勝家殿。貴殿が来られるのを、心待ちにしておりました。……いえ、貴殿であったからこそ、私はこうして門を開けたのです」
その言葉に、光秀がわずかに眉を動かした。半兵衛は酒を注ぎながら、遠くの山並みを眺めて静かに続ける。
「あの木曽川の合戦……私の十面埋伏は、地形と心理を尽くした、最高傑作でした。あの中に閉じ込められた者は、理屈に溺れる者から順に、絶望していった。……ですが、貴殿だけは違った」
半兵衛の瞳が、勝家の武骨な顔を真っ直ぐに射抜いた。
「貴殿は、理屈で十面埋伏を破ろうとはしなかった。ただひたすらに、己の魂を燃やし、絶望に背を向け、泥を啜ってでも『生きる』という一点において、私の計略を力で突き破った。あの完璧な罠を、理不尽な熱量で破ったのは、柴田勝家……貴殿の『真っ直ぐな命』に他なりません。」
半兵衛は光秀を振り返り、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「十兵衛殿、誤解なきよう。貴殿が一人で来られたなら、私は居留守を使い、十の理屈で追い返していたでしょう。正しく仕える主を見つけた貴殿の瞳は綺麗すぎて、今の私には眩しすぎる。……ですが、勝家殿は違う。このお方の瞳には、泥の臭いが宿っている」
勝家は、面食らったように頬を掻いた。
「……何だ。褒められているのか、馬鹿にされているのか、さっぱり分からんぞ」
「最大限の敬意にございます、勝家殿」
半兵衛は酒杯を掲げた。
「国を傾け、忠義が泥に塗れた私にとって、理屈のない『生』を体現する貴殿の声こそが、唯一、耳を傾けるに値する真実なのです。……さあ、勝家殿。貴殿がその真っ直ぐな声で、何を私に語ってくださるのか。聞かせていただきましょう」
いつもなら「ガハハ!」と笑い飛ばす勝家が、この時ばかりは沈黙した。 わずか十六人で城を落として見せる天才が、実は自分という人間に救いを見出していた。光秀は、隣で顔を真っ赤にしながら必死に言葉を探す勝家を見守り、己の選定が正しかったことを確信した。
勝家は、震える手で酒杯を掴むと、一気に飲み干した。
「……おう、そうか! ならば遠慮なく言わせてもらうぞ、半兵衛! 貴様の冷酒は美味いが、岡部と元康が食らったあの時の炎は熱すぎだ! その詫びに……今度はその知略で、今川の『黄金の法』を温めてみせろッ!!」
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