第四十三話 十六人
屈辱は、知略を研ぎ澄ます砥石となった。頭から浴びせられた汚液を拭いもせず、半兵衛が闇の中で描いたのは、一国の主を力でねじ伏せる「合戦」ではなく、主君の未熟という病を抉り出す「処置」のような占拠劇であった。
永禄四年十月。稲葉山城の大手門に、数台の輿が到着した。
「竹中半兵衛にございます。城内の弟、重矩が重病にて、複数の看病人が必要との事、登城の許可を願いたい」
門衛たちは、先の「汚辱の儀」を知る者たちであった。半兵衛のあまりに殊勝で、やつれた様子に、彼らは「あの屈辱で毒気が抜けたか」と安堵し、ろくに輿の中を検分もせずに門を開けた。
しかし、輿の中には複数の刀槍に弓。看病人は竹中家の精鋭中の精鋭、死を恐れぬ十六人の若武者たちであった。
丑三つ時。静まり返った稲葉山城、半兵衛の合図と共に、十六人は蜘蛛のように壁を登り、警護の兵を音もなく無力化していく。
半兵衛が真っ先に向かったのは、主君・龍興の寝所ではなく、元凶である斎藤飛騨の部屋であった。
「……何奴だ!」
跳ね起きた飛騨の眼前には、あの屈辱の日と同じ、何も映っていない瞳をした半兵衛が立っていた。
「飛騨殿。貴殿の教えた『忠誠心の確認』……今度は私が、貴殿に施して差し上げよう」
一閃。半兵衛の愛刀が飛騨の首を跳ね飛ばした。赦しも、慈悲もない。それは、美濃を腐らせる「毒」を摘み取る最初の処置であった。
叫び声と松明の光に叩き起こされた龍興は、腰を抜かして寝所を飛び出した。
「謀反か! 半兵衛、今川と通じたか!」
城内のあちこちから「竹中半兵衛、城を乗っ取ったり!」「三人衆も半兵衛についたようだぞ!」「既に城は十重二十重に囲まれている!」「裏門のみ手薄だ!」という叫びが上がっている。当然、半兵衛の家臣がわざと発している叫びである。わずか十六人とは露知らぬ龍興は、城全体が寝返ったと誤認した。彼は袴も穿かず、裏山から命からがら逃げ出した。
夜が明ける頃、難攻不落を誇った稲葉山城は、たった十六人の若者たちの手に落ちていた。
この前代未聞の報は、墨俣の今川義元のもとへ数刻で届けられた。
「何だと? 半兵衛が十六人で城を奪った?」
柴田勝家が打っ立って驚愕した。
「十兵衛、貴様、奴は忠臣だと言っていたではないか! だと言うのに、これは明白な謀反ではないか、今こそ攻め時だ!」
しかし、報告を聞いた義元は、驚くどころか、愉悦に満ちた声を上げて笑い出した。
「……くははは! 十六人か! あの城を、十六人で! 十六人あれば、龍興を追い出すには十分だと、奴は算盤を弾いたわけだ」
義元は、黄金の扇子で光秀を指した。
「十兵衛、見ろ。これが半兵衛の答えだ。奴は城が欲しくて奪ったのではない。龍興という『泥の舟』から、美濃という国を救うために、一度すべてを壊したのだ。……勝家、動くな。今、美濃に手を出せば、あの十六人は一転して、死狂いの鬼となって我らに牙を剥くぞ」
占拠された稲葉山城の天守。 半兵衛は、返り血を拭い、龍興がいなくなった御座所に独り座っていた。 三人衆が駆けつけ、彼を「新しき美濃の主」として担ごうとするが、半兵衛は首を振った。
「……私は、この城を奪ったのではありません。主君に、己の器の小ささを知っていただくために、お貸しいただいただけのこと。一月の後には、この城はお返しします。それまでにやらねばならぬ事があります。方々お手伝いいただけますか」
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