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義元英雄伝  作者: 日向 守
上洛編

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第百十六話 悪意


摂津・茨木城。今川義元が三好軍を掃討し、勝利の勝ち鬨を上げようとしたその瞬間、全軍の歓喜を凍りつかせる凶報が舞い込んだ。将軍家相伴衆の老傑・武田信虎からの使者がもたらしたのは、京での「大事出来だいじしゅったい」――将軍・足利義輝暗殺の報であった。


義元は血の気が引くのを感じた。即座に全軍へ京への反転を命じ、凄まじい速度で街道を駆け戻った。軍勢が山崎を越え、勝竜寺城へ入ったとき、門の傍らで一人の若き武者が、煤にまみれた姿で義元を待っていた。三好の客将という地位を捨て、足利の恩義に殉じた男、一色龍興である。


勝竜寺城の本丸。義元の前に跪いた龍興は、震える手で大切に抱えていた包みを差し出した。中から現れたのは、白銀の光を放ち続ける一振りの太刀――一振りでも太刀の必要な状況の中、義輝がその輝きを守り抜いた鬼丸国綱であった。


「公方様……義輝様からの最期の預かり物にございます。公方様は独り、数多の刺客を相手に修羅の如く戦われ、最期にこう仰いました。『鬼丸は、下郎の血で汚れておらん。これを、義元に……』と」


龍興の声は嗚咽に震えていた。義元は自ら歩み寄り、その太刀を震える手で受け取った。抜き放たれた刃には血の一滴もなく、義輝が「将軍職の正当なる継承者」へと託すため、命を懸けて守り抜いた清廉さが宿っていた。


「……公方様。貴方は、これほど重きものを……」


だが、義元の感動を打ち砕くように、松平元康が蒼白な顔で駆け込んできた。


「御館様、事態は(はなは)だ悪うございます! 三好三人衆と武田の草たちが、都中に、そして諸国へ恐るべき流言を振りまいております!」


彼らが流したのは、義輝殺害の首謀者が義元であるという、悪辣極まる虚偽であった。


「今川義元、禅譲を拒んだ将軍を弑し、宝刀を奪い去れり! 治部大輔こそ天下の逆賊なり!」


この「弑逆者の汚名」は瞬く間に火を吹き、反今川勢力を一つの大きな鎖へと繋ぎ変えていた。真の首謀者である摂津の三好三人衆、そして武田信玄が、諸国に「今川討伐」の激文を飛ばしたのである。


元康の報告を聞き、義元は思わずたじろいだ。その手から、鬼丸国綱がこぼれ落ちそうになる。


(……弑逆者だと? 全ての理を尽くし、法をもって天下を導こうとした余が……公方様の志を継ごうとしたこの余が、逆賊だと申すのか)


義元の脳裏に、かつてない動揺が走る。善政を敷き、平和を築こうとすればするほど、乱世の闇がその裾を掴み、泥の中へと引きずり込もうとする。あまりに巨大な「悪意」の壁を前に、義元の心に一瞬、深い絶望がよぎった。


だが、その時。隣で控えていた明智光秀が、畳に額を擦り付けて叫んだ。


「義元公! 公方様は、その汚名すら貴方様なら払えると信じて託されたのです! 鬼丸が血に汚れていないのは、その刃で、全ての虚偽を断ち切るためではありませぬか!」


光秀の叫びが、義元の震えを止めた。義元は再び、鬼丸国綱を強く握りしめた。たじろぎは消え、その瞳にはかつての優雅な太守の輝きではなく、混沌を力でねじ伏せる「絶対者」の熾火が宿った。


「……十兵衛、案ずるな。狼どもが群れをなすのは、独りでは獅子に勝てぬと知っているからだ。余を逆賊と呼びたければ呼ぶが良い」


義元は、託された鬼丸を強く鞘に収めた。


「公方様を害し、その志を泥で汚した者どもに、もはや慈悲は不要。余が敷く『黄金の法』は、これより不浄を焼き払う『断罪の法』となる。今川討伐だと? 構わぬ。すべてまとめて、余の法の糧としてくれる!」


次回から義元包囲網編に入ります。

ここまで読んでいただき誠に有難う御座います。

評価及びリアクションいただけると幸いです。

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