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義元英雄伝  作者: 日向 守
上洛編

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第百五話 認める者


安倍川の河原を舞台に、今川の「伝統」と「新風」が真っ向から激突した。


三浦真明率いる精鋭五百は、地響きを立てるような整然たる歩法で進軍を開始した。 槍の穂先は揃い、甲冑は陽光を反射し、まるで鉄の壁が迫ってくるかのようだった。

対する羽柴秀吉の軍勢は、どこか頼りなげな構えでそれを迎え撃つ。 継ぎ接ぎの具足、震える足、乾いた喉。秀吉自身も、恐怖で手が震えていた。それでも秀吉は、震える足で立ち続けた。


「突き崩せ! 猿に武士の戦い方を教えてやれ!」


三浦の号令とともに、槍隊が怒涛の勢いで突撃した。その衝撃は、まるで大木が倒れ込んできたかのようだった。 秀吉隊の前列が一瞬で弾き飛ばされ、泥が跳ね、悲鳴が上がる。


「うわあああっ!」


「踏ん張れ! 踏ん張れぇ!!」


秀吉は叫ぶが、声が震えていた。


(いかん……押し負ける……! わしのせいで皆負けてしまう……!)


三浦隊の圧力は凄まじかった。 武士として鍛えられた体、揃った歩法、統率された突撃。 秀吉隊の粗末な槍は、次々と弾かれていく。だが――倒れても、倒れても、 秀吉隊の兵は泥にまみれながら立ち上がり、互いを支え合った。


(……何だ、この粘りは? 一人倒しても、すぐ隣の者が、いや後ろの者が支えに入る…… まるで意志を持つ一つの生き物のようだ)


三浦の背筋に、初めて冷たいものが走った。


高櫓の上から戦況を見守る今川氏真が、眉をひそめた。


「……妙だな。秀吉の兵、数が足りぬのではないか?」


秀吉は、事前に信頼の置ける足軽百人を密かに戦域から離脱させていた。 彼らは上流の藪を大迂回し、三浦隊の背後へ回り込んでいた。


残りの四百は、迂回勢が戻るまで耐えるしかなかった。秀吉は歯を食いしばった。


(頼む……! 皆……頼む……! 耐えてくれッ……!)


三浦隊が秀吉自身をあと一歩で踏み潰そうとしたその瞬間――堤防の上から、野獣のような叫び声が響いた。


「今だ! かかれぇぇっ!!」


迂回勢百人が、三浦隊の真後ろから強襲を仕掛けた。


「挟撃か! 反転せよ!!」


真明が叫ぶが、前方の四百が死に物狂いで食らいついて離さない。挟み撃ちにされた三浦隊は、ついに崩れた。

三浦真明は落馬し、秀吉の足軽たちがその喉元に木刀を突きつけた。


静まり返る河原。 泥まみれの秀吉と、地面に座り込む三浦。そこへ歩み寄った今川氏真が、秀吉の肩を叩き、三浦を見据えた。


「真明。勝負は決したな」


真明は拳を握りしめ、泥にまみれた手を見つめていた。

そのとき―― 三浦隊の若い家臣が、血走った目で秀吉に食ってかかった。


「殿! こやつらの勝ち方は卑怯にございます! 下賤の者どもが兵を隠しておくなど――武士の戦いではありませぬ!! こんな――」


「黙れ」


三浦の声は低く、しかし雷のように鋭かった。若い家臣は凍りついた。三浦はゆっくりと立ち上がり、秀吉の前に進み出た。


「卑怯……だと? ならば問う。 我らは五百の精鋭、武士の誉れを背負いながら、 なぜ我らより少ない下賤と蔑んだ者たちを崩せなかった?」


家臣は言葉を失った。三浦は秀吉に向き直り、深く頭を下げた。


「……羽柴殿。私の負けだ。 調練中、貴殿が兵と寝食を共にする様を見て、私は内心で恐れていた。 それは私には決してできぬ、人の心を直接掴む業であったからだ」


三浦の声は震えていた。


「それを認めたくないが故に、貴殿を卑しいと罵り、己を保っていたに過ぎぬ。 ……その結束、武士の誇りをもってしても、ついぞ貴殿らを突き崩すことはかなわなんだ」


秀吉は涙と泥で顔をぐしゃぐしゃにしながら、三浦の手を握りしめた。


「三浦殿……。 わ……わしらをお認め下さるか。 ありがとうございまする……!」


この日、駿河の地から古き壁が崩れ去った。

駿河は、血筋を超えた「結束の国」へと、大きな一歩を踏み出したのである。


ここまで読んでいただき誠に有難う御座います。

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