第88話・キ・リ・シ・マ
ローリング・タイガーという大型の猫のような魔獣が体に火をまといながら、枝の上から回転して跳び、小鹿野さんを襲った。
加西さんが水系の魔法の特徴である青い光の気を放って、小鹿野さんの消火の手助けをする。
本来は攻撃魔法となるものを味方に向けるわけだから、消火する程度の力に絞らなければならなかったはずで、その調整も難しいとは思うが、時間を掛けず難なくやり遂げた加西さんはさすが『プライド』のメンバーといったところか……。
しかしそれ以上に、目の前で背中をくねらせている魔獣に驚かされる。
タイガーという割には小柄ではあるが、体から本物の火を燃え立たせている。
どういう構造をしているのだろうか……。
そして襲い掛かった時の回転スピードも半端がなかった。
この前の巨人といい、現実離れしすぎている。
その魔獣……ローリング・タイガーがうなりながら次の攻撃の隙を狙っている。
そこで鮫川が動いた。
喊声を上げ、魔獣に向かって突進していく。
「モスト・デンジャラス・カットォ!」
【CUT(=切りつけ、切り傷)・鮫川所持魔溜石、『C』、P、『T』、『U』】
鮫川が『エイト剣』を振り下ろした。青白い気が宙に縦の筋を作る。
それに対してローリング・タイガーはその場で回転した。
丸まった体が火の玉のようになって、鮫川の気を弾いたようだった。
飛散した青白い気が周囲の草木を切断する。
「何っ? クソッ……弾き飛ばしたというのか?」
「気をつけろ、鮫川! そのまま跳んでくるぞ!」
加西さんが『エイト剣』を構えながら忠告した。
その予言通り、一度地に四肢をつけたローリング・タイガーは、そのまま強く蹴って再び回転をしながら、鮫川に襲い掛かった。
「グレイテスト・ダイナマイト・カップ!」
【CUP(=お椀、カップ)・鮫川所持魔溜石、『C』、『P』、T、『U』】
鮫川は剣を胸の前に構え、わずらわしそうにその魔法名を叫んだ。
それだったらもっと簡単な名前で頭にイメージできるようにした方がいいと思うが……。
素早く、剣先で宙に描かれた円が黄緑色の光の壁に変わり、回転するローリング・タイガーの火の玉と衝突した。
鮫川も時間を見つけては日々訓練に励んでいるとあって、彼の前に現れたその壁も大きいものだった。
しかし魔獣の衝突する力も強かったようで、ジリジリ後退させられている。
その横から加西さんが何かを呟き、自身の刀身から青白い気を放った。
その気は回転するローリング・タイガーの背に当たり、後方の森に吸い込まれていった。
ローリング・タイガーの回転が止まり、赤い大型のネコ科の姿に戻る。
同時に、鮫川の魔法『CUP』のお椀型の気の内側の曲線に沿って、魔獣自体も後ろへ跳ね飛ばされた。
だが、着地したローリング・タイガーがすぐさま開いた大きな口から、火柱が噴き出した。
「ぶおおっ!」
上半身に火が燃え移った鮫川はゴリラのように胸をはたきながらわめく。
「一人で突っ込んでいきすぎよ、君!」と言いながら、小鹿野さんが水系魔法を準備する。
「消してあげるから、落ち着いて!」
それでも苦しそうに動き回る鮫川。そのせいで小鹿野さんもなかなか消火活動に移れず焦っていた。
その背後で再びローリング・タイガーが突っ走り、二人に迫っていた。
「小鹿野、後ろっ!」
「小鹿野さん、鮫川っ!」
加西さんと俺は同時に『エイト剣』を振った。
「チップ・オブ・ダイヤモンドッ!」
【TIP(=先端)・カケル所持魔溜石、H、『I』、『P』、『T』】
実戦で初めてその魔法名を唱える。
加西さんの放った攻撃魔法も相まって(……と言うか、加西さんの魔法によるものがほとんどかもしれないが)、大きくなった青白い気が敵を叩き飛ばした。
草むらの中でうずくまった赤い影はまったく動かなくなった。
しかし加西さんは沈着に、そこに向かってトドメとなる攻撃を打ち込んだ。
それから彼は魔獣の屍に歩み寄り、その体内から魔溜石を取り出した。
血の付いた剣先を布きれで拭き、同じく取れたての魔溜石から血を拭きとると、腰の袋にしまう。
その手際の良さからも魔獣退治に慣れていることがわかる。
「なかなかだったぞ、瀬戸。……それと鮫川は……どうだ?」と、加西さんは言った。
振り返ると、苦笑いを返した小鹿野さんの横に、日焼けした顔をさらに黒くした鮫川がいる。
彼の髪は一部チリチリになっていて、焦げ跡の付いた防具の下の、衣服にも黒い穴が開いていた。
「何とか大きなやけどは避けられたみたい。治癒魔法もしたわ」
「そうか。よし、じゃあ、行くか……」
小鹿野さんの言葉を受け、加西さんは何でもなかったように歩き出した。
鮫川も俺の横を通り過ぎて行った。上半身火だるまになったばかりの者とは思えない勇ましい後ろ姿だ。
独り気おくれした俺は、思わず後ろを振り返る。
木々の間に小さく琴浦姉妹が見えた。
彼女たちはジェスチャーで何かを伝えようとしている。
雛季のジェスチャーはよくわからないので美咲の方に集中していると、どうやら今の戦いを見ていた彼女たちは俺たちの体を心配しているらしい。
俺は両手で小さな丸を作って、大丈夫だと伝えた。
行く手を阻むように両側から伸び出した木々の葉を払いのけて進んで行くと、その魔巣窟は忽然と目の前に現れた。ここが俺たちの目指していた魔巣窟だ。
苔むした岩肌にできた洞窟は、やはり不気味な風の音を響かせながら、剣士たちが入ってくるのを待ちわびているようだった。
加西さんと小鹿野さんがそれぞれ背嚢から小型の魔溜石灯を取り出し、早速突入しようとしたその時……。
「キイイィィィ!」
四人の背後から奇妙な声が聞こえた。
一斉に声がした方を振り返る。
もちろん琴浦姉妹の声でもない。彼女たちの今いる位置は、声がした方よりもっと左の幹の陰だ。
彼女たちも不気味な声に反応し、視線を斜め上へ向けている。
「新たな魔獣か?」
「魔巣窟に辿り着くまでにどれだけ遭遇するんだよ……」
鮫川の後に続いて、俺が滅入ったように呟くと、横で小鹿野さんが真剣な面持ちでかぶりを振った。
「多分今のは、魔獣ではなさそう……。いや、やっぱり魔獣に分類されるのかな?」
「どういうことですか? 確かに、人が叫んだような声ではあったけど……一体何なんですか?」
「リイィィィ!」
「見ろ、瀬戸! あそこの樹の上だ! あれは……人か?」
鮫川の指の先を辿って見ると、樹の枝に男が座っていた。
髪はボサボサで長く、一瞬性別の判断に迷いはあったが、おそらく男だ。
彼は裸だった。かろうじて汚れたトランクスを下に穿いてはいるが、股間はしっかり膨らんでいるし、上半身は裸で、厚い胸板や筋肉質な腕で男のものだとわかる。
全身がやけに毛深く、土や葉っぱなどがくっつき汚れている。そして裸足だ。
「……野生児か?」
俺はまず思ったことを口にした。
近代的な都会で生きてきた俺や鮫川にとっては珍しいことかもしれないが、考えてみればこの世界では街を出て世捨て人のように暮らしている者もいると聞いているし、狩人のように森の中を駆け回って獲物を捕らえ生活している者も多くいる。
まだそこまでの気温ではないからこの目で見かけたわけではないが、夏になったら街中でもパンツ一丁で過ごす男はザラなのかもしれない(女性の玉城でさえアレなのだから……)。
外で服を身に付けていないと罰するという法律があるのかもわからない。
街中でも際どい格好の女性たちをこれまでも何度か目にしているので、きっとその辺は俺たちがいた時代の日本よりは緩いのだろう。
男がパンツ一枚で森を駆け回っていることぐらい驚くべきことではないのかもしれない……。
だが、それにしては小鹿野さんの顔が引きつっていた。そして小刻みに震えた声で言った。
「やっぱりね……。あれは人型の魔獣よ……」
「ひ、人型の魔獣?」
野生児や自然主義者あるいは人の目を気にしない者……ということではないのか?
俺と鮫川の視線は小鹿野さんに刺さる。
「私も初めて見たんだけど……そういうのがいるのは耳にしていたわ。ねぇ、そうですよね? 加西さん?」
話しを振られた加西さんは、樹上の男を睨みつけながら頷いた。
「普通の人間ではなさそうだ……。おそらく、そうだろう。『キリシマ』だ」
「キリシマ……?」
「俺たちの間ではそう呼ばれている。ああいう奴が何人いるのかはわからないが、見かけた奴の話では『キリシマ』とだけ喋るから、そういう名で呼んでいるんだ」
「シイィィィ!」
男がまた奇声を発した。
「ほら、聞いただろう? シと叫んだ。さっきはリ、その前はキと叫んでいた。続けると『キリシ』と言っている。間違いない、あれは『キリシマ』だ!」
加西さんがやや興奮気味に言った。
「よく聞いていたな……。じゃあ、次は『マ』と叫ぶってわけか?」
鮫川が問うと、加西さんはすぐに口に指を当て黙るよう促した。
直後、樹上の男は口を開き、確かに「マアァァァ!」と発した。
「キリシマ……」と俺は呟きながら、何かを思い出しそうになっていた。
キリシマ……キリシマ……キリシマ……霧島……。
そうだ……。
以前戦った菊池たちの仲間に霧島という奴がいると、彼らが話していなかったか?
その者との関係は……いや、いくら菊池たちでもこんな魔獣を仲間にしているとは考えにくい。
その霧島と目の前にいる人型の魔獣キリシマは関係ない可能性が高いか……。
「キィ……リィ……シィ……」と、再び樹上から鋭い声が発せられる。
しかしなぜキリシマ?
いや、単にそう聞こえるだけで、別の言葉を発しているのか?
まったく意味のない叫びがつなぎ合わせるとキリシマと、俺たち人間には聞こえるだけなのか?
「マアァァァ!」
人型の魔獣が今まで以上に大きく叫んだ。
見れば奴がこちらに両手を振り下ろした姿勢でいた。
その瞬間、薄暗い森の中が明るく照らされる。木々の枝葉が荒れた海の波のようにざわめく。
直後、一番前に立つ加西さんが自分の肩越しに振り返って叫んだ。
「……! お前たち伏せろぉ!」
「え?」
いきなりのことで固まった俺。傍で小鹿野さんも目を白黒させている。
次に起きた明滅、そして爆音。
巻き起こった爆風によって体が吹っ飛ばされる。
視界が回転し、木々の緑、空の青、大地の茶色……目に映るものが目まぐるしく変わり、気がつくと草むらの中に尻から突っ込んでいた。
痛苦の声を漏らし、回る眼を何とか定めようとする。
さなかにどこかで鮫川のうめき、琴浦姉妹のものと思われる甲高い声が聞こえている。
その合間に弱々しい声が断続的に漏れ聞こえてくる。
ようやく落ち着いてきた視線を自分の胸元に向けると、女性の背中があった。
黒いショートボブ……それは小鹿野さんであった。
彼女はゆっくりこっちに顔を向け、俺との距離がものすごく近くことに気づいて、慌てて反対を向いた。
「ご、ごめん」
「あ、ああ、はい……」
ワンテンポ遅く俺の顔も熱くなる。
「あ、あと……お尻の手、どけてくれるかな?」
「え? あっ、すみません!」
右手が無意識(間違いなく!)に小鹿野さんのお尻に触れていたのだ。
小鹿野さんは照れ臭さをごまかすためか、あるいはそれどころではないと思ったのか、強引に体を動かし草むらから転げ出てから言った。
「君も見た? あの男、気を放ってきた……『エイト剣』もないのに。まさしく魔獣だわ」
俺もはっきり見てはいないが、そのようだった。
相手が両手を振り下ろした瞬間、周囲に光が広がって、爆発が起きたのだ。
「加西さんっ? 加西さんっ!」
小鹿野さんが小走りで土煙の中に飛び込んで行った。俺も草むらから出て前進する。
目の前には先ほどまでなかった開けた場所ができていた。
先ほどの爆撃で直径約10メートル範囲の木々や草むらが跡形もなく消えていて、地面もくぼんでいる。
そのほぼ中心の場所で、座した人の影があった。
土埃が霧散してそこに現れたのは、片膝を立て、両手で頭上に『エイト剣』を掲げている加西さんだった。
「加西さん、大丈夫ですか?」
「ああ……。ちょっとビックリしたがなぁ、咄嗟に防御魔法を張って助かったよ。しかし……」
加西さんは「よいしょ」などとオジサン臭い声を発しながら立ち上がり、男がいた樹の上を見据える。
「奴はどこか遠くに去りやがった。魔獣ならもっと執拗に攻めてくると思ったんだが……まったく、よくわからない奴だ」
俺たちはしばらく辺りの樹の上を見回し、奴が戻ってこないか警戒していた。
しかし戻ってくることはなかった。
あんな爆撃を平気でしてくる相手に戻ってきてほしくはないから、自分から去ってくれたのは正直ありがたい。
一体何だったのか、というクエスチョンは残ったままだが……。




