第89話・犬探し……そして
人型の魔獣は俺たちに爆撃を食らわせてから、いつの間にか去っていた。
あいつは一体何だったのか、謎が残る……が、とにかく俺は安堵の息をついた。
それから、顔を横へ向ける。
木に寄りかかるようにして倒れていた鮫川が丁度起き上がろうとしていた。
背にしていた樹は比較的細く、鮫川がぶつかった衝撃で大きく折れ曲がっていた。
鮫川の方はと言うと、ぶつくさ言いながら腕や足を振っている。残念ながら骨折しているということもなさそうだ。折れ曲がった樹の方が気の毒な気さえする。
俺は小さく見える琴浦姉妹たちの方にも目をやった。
自分の腰に手を添えている前かがみの雛季に、姉の美咲が心配そうに寄り添っていた。
彼女たちも重傷というわけではなさそうだが、今の爆風で飛ばされ、体のあちこちを打ちつけたらしい。
その後、加西さんが俺や鮫川に状態を尋ね、大したケガはなかったとわかると、予定通りすぐそばにある魔巣窟に踏み込んで行った。
そのすぐ後を行く小鹿野さんはこちらを振り返って、ついて来るように合図した。
俺も鮫川と共に、魔巣窟入り口に立った時……。
けたたましい鳥の鳴き声が空から降ってきた。思わず振り返る。
後方の空に虹色の羽根を持った鳥が舞っていて、やがて降下。
鳥は、琴浦姉妹の頭上を一回りしてから、手を伸ばしていた雛季に止まった。
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約一時間前。
「オ~、いないですネ~、ドッグちゃん……」
『ゴブレット』東部エリアの住宅密集地の路地をダラダラ歩きながら、玉城フェリシーが溜息交じりに呟いた。
「そう遠くへは行っていないと思うのだけれどね……。もし遠くに行っていたとしたら捜す範囲も大きくなって大変だわ」
松川杏華もアリバイ的に軽く路地裏に目を向けて呟く。
坂出珠実はそんな二人を横目で見て、やや冷たい口調で言った。
「それでも捜すしかありません。お金を受け取るわけですから」
「マジメだネ~、珠ちゃん。ソリャ、見つけられた方が報酬もアップするけど、見つけられナクてもいくらかはもらえるし……そろそろギブアップしてもいいんじゃナイ? ヨクやったよ、私たち」
「まだちょっとしか捜していません! そんないい加減な仕事をしていたら、今後もっと依頼が減っていきますよ? やれるだけやりましょう、ねぇ、しっかりして、玉城さんも松川さんも!」
坂出はメガネの奥の目を三角にして、疲れたようにわざとらしくヨロヨロ歩いている二人の腕を引っ張って背筋を伸ばさせた。
『グラジオラス』の四人は今朝から、パーティーに来ていた依頼を受け、迷い犬捜しをしていた。
『スピリット・オブ・セントルイス』の近辺の家から、飼い犬が逃げ出してしまったから捜してほしいということだ。
坂出の言う通り、こういう近所からの小さな依頼をおろそかにしてしまうのはよくないことだ。
こういう人たちは近所というだけで『グラジオラス』に頼んでくれている。
別に『グラジオラス』を気に入っている、期待しているから頼んでいるわけではないのだ。
たまたま『グラジオラス』の集合場所である店が一番近くにあるから依頼を出しただけなのだ。
『グラジオラス』のような知名度の低い小さなパーティーは、こういうたまたま来る依頼を大事にしなければならない。
いいイメージを持たせ、リピーターになってもらい、そうやって徐々に顧客を増やさなければならないのだ。
逆に悪い印象が一度つくと、次回は少し遠くても別の信頼できるパーティーに頼もうということになってしまう。
それなのに……。
坂出は眉間にシワを作り、メガネのつるに触れながら、鹿角の方を睨んだ。
「鹿角さん……ちゃんと捜していますか? あなたがキャプテンなんですよ?」
「あ、ああ……もちろん、捜しているよ。麦ちゃ~ん?」
坂出に声を掛けられるまでボーっと突っ立っていた鹿角は、急に忙しく辺りを見回した。ちなみに『麦』というのが捜している犬の名前だ。
しばらく姿勢を低くして歩きながら左右の路地裏を交互に見ていた鹿角だったが、溜息をついてやはり立ち止まった。
「……しかし、カケル君たちの方も気になるなぁ……。魔巣窟のレベルが上がるらしいから。大丈夫かな?」
「も~う、さっきからずっとそれじゃないですか……?」
「そんなに気になるなら愛海那ちゃんも美咲ちゃんたちについて行けばよかったじゃない? ワンちゃん捜しだけなら、私たちでもできたわけだし」
坂出に続いて松川が言った。
「それは結果論だよ。迷い犬捜しの依頼以外にも何か依頼が来ていたとしたら、私もこっちにいなきゃならないでしょ?」
「ソウなったら亜紗美ちゃんたちにサポートしてもらえばよかったジャン? って言うか~、イッペンにそんな依頼が重なるコトなんてほとんどナイし」
玉城が嫌味ったらしく言うと、鹿角は頬をふくらませた。
一同、辺りを見回しながら路地を抜け、いつの間にか自分たちのアパート・『ビッグドーナツE』の近くまで戻って来ていた。
「お?」と、先頭の鹿角が犬目線にしていた頭を上げ、手を振った。
「ミュウ~!」
『ビッグドーナツ』の階段下にミュウの姿があった。
鹿角に続き玉城たちも手を振ると、ミュウも仕方なくというように小さく手を振った。
鹿角は彼女に駆け寄りながら、すぐに大声を出した。
「ああん? ミュウ! その子……」
ミュウの肩にはレインボーバード。
そして足元に茶色い犬(『オルタナティブワード』で柴犬とされている種類)がいた。
「昨日仲良くなった。雛ちゃんたちには見せた……」
そう言ってミュウは自分の肩のレインボーバードを触ったが、鹿角は大仰に首を横に振った。
「違くて! その鳥が懐いてきたという話は私たちも知っているよ。そうじゃなくて、そっちの犬! その子どこで?」
ミュウは視線を足元の犬に向ける。
「ああ、確かに麦ちゃんって、柴ちゃんって言っていたわね」
松川たちがそう言って犬に近づいた。
犬は最初警戒し、体を引いたが、坂出が「チュ、チュ、チュ」と口で音を鳴らしながら手を伸ばすと、エサをもらえると思ったのか自分から歩み寄って坂出の手の中に鼻をうずめた。
その間、赤い首輪に書かれた文字を確認した坂出が言った。
「『ムギ』って書いているわ。あそこの家から逃げ出した犬で間違いないようです」
ミュウは目をパチパチさせながら、鹿角に向けて呟いた。
「……さっき近くを散歩していたら、ついて来た」
「ナイス、ミュウちゃん! 私たち依頼で捜していたのよ、この子。スゴイなぁ、この子の方から寄って来たなんて」
「ミュウちゃんは動物に好かれやすいからね」
玉城、松川がミュウの頭を撫でた。
ミュウは褒められて嬉しいというより、わずかに緊張した面持ちになっていた。
「偉いよ、ミュウちゃん! これで依頼主から報酬をもらえるよ。ミュウにも何か買ってあげる! クッキーも買えるよ?」と、鹿角も満面の笑顔で言う。
ミュウは口を引き結んだまま、寂しそうに犬の頭を撫でた。
不思議なことに犬は坂出に撫でられていた時よりも、目を細め幸せそうな顔をしていた。
「せっかくお友達になったのに、悪いんだけど、この子の家に帰してあげなくちゃならないんだよ。だから連れて行くよ?」
鹿角は困惑した顔で言って、犬の首輪に買い主から預かっていたリードを付けた。
ミュウは曇った顔のまま、小さく「うん」と頷く。
鹿角がリードを引っ張ると、犬はミュウの元から離れまいとしているようにしばらく抵抗した。
しかし一度ミュウに背中を撫でられてからはおとなしくなって、やがて鹿角たちにもついて来た。
「帰りにクッキー買って来てあげるから、待っててね」と、鹿角はミュウに言った。
「……うん」
鹿角たち四人と一匹の犬は、依頼主であり犬の飼い主の家へ向かった。
その姿が曲がり角で消えるまでずっと見届けたミュウは、それから、自分の肩に乗っているレインボーバードと遊ぶことにした。
ミュウが腕を斜め前にあげると、レインボーバードはそれを伝って飛び立った。
真上の空を旋回してから、『ビッグドーナツE』前の欅の木に止まった。
飛んで。木に止まって。
ミュウが頭の中で念じた通りに鳥は動いた。
そしてミュウが口笛を吹くと、その肩に戻ってきた。
ミュウは喜び、レインボーバードの羽根を優しく撫でる。
今は誰も見ていない。ミュウは心から笑顔になることができた。
それでも他人よりは控え目な笑顔だが……。
その時、突如ミュウの肩からレインボーバードが飛び立った。
慌ただしく鳴きながら、また樹に移る。
ミュウはやや驚き、辺りを見回す。
右側、『ビッグドーナツ』の曲線を描いた壁の先に何かの気配を感じた。
壁に沿って歩み寄ってくるその気配の正体は、すぐにわかった。
佇むミュウの前に、ツンツン立った頭で浅黒い肌の小柄な男が現れた。
明石俊行だ。
ミュウは小さなその手でスカートの裾を強く握り、反射的に後退りした。
「よぉ、お嬢ちゃん。一人かい?」
明石はいかにも不審者のような言葉を掛け、尚もミュウに歩み寄る。
口元は薄く笑みを作っているものの、その双眸には凶暴な鋭い光を宿していた。
ミュウは走り出そうと振り返った。しかし明石の手が彼女の細い腕を捕えた。
「待てよ、逃げるなよ!」
明石は片手で力強くミュウの腕を握りながら、もう一方の手で自分の後頭部を指差した。
「ここに傷が残っているんだ。見るか? まだ時々ズキズキ痛むことがあるんだよ。なぁ、参ったよなぁ~」
「離して……」
ミュウは消え入りそうな声を発する。
しかし、そんな声で明石が手を離すわけがなかった。
より握る力を強め、半笑いのまま言う。
「だが頭の傷はどうでもいい。いずれ消えるだろう。もう一つの、『消えない傷』の話をしようじゃないか……。なぁ、俺があの後どうなったか知りたくはないか? いや、お前は知るべきだ。俺はあのパーティーのメンバーに入れなくなってしまったんだよ、お前のせいで!」
明石は掴んでいたミュウのか細い腕を左右に大きく振った。
それに合わせて華奢なミュウの体も左右に動かされる。ミュウの瞳に涙が浮かぶ。
「お前があんな邪魔をしなければ、きっと魔獣退治もうまくいっていたし、俺は合格していたんだ! だがそれがパアだよ! おかげで今、俺は金に困っているんだよなぁ……お前のでたらめな復讐心のせいでよぉ!」
「……でたらめじゃない」と、ミュウは震え声を返した。
「赤いツンツン頭の人と一緒にいた。……絶対忘れない」
「とばっちりなんだよ! 俺はあの人たちと知り合いでたまたま一緒にいただけだ。犯罪者といたら、そいつまで犯罪者か? それなら世界中の人間みんな犯罪者だな? しかも、その知り合い……お前が殺したいほど憎んでいた相手はつい最近魔獣にやられて死んだんだよ。地獄で殺人鬼たちに自己紹介している頃だろうよ。お前が望んでいた通りになったんだ」
言い終わるが早いか、明石はミュウの首に腕を回し、足を蹴って前に歩かせる。
「とにかく、俺はお前に借りを返してもらうぞ! 抵抗しないで歩けっ! お前は人質だ。また正義の味方が助けに来るといいなぁ? 身代金を持って、ククク」
明石はあらかじめ用意しておいた置き手紙をその場に投げ、ミュウから鞄を奪ってその手紙の傍に置いた。
そうしている間、樹に止まっていたレインボーバードが二人の頭上を飛び回っていた。
ミュウの危機を感じ取っているらしかった。
だがミュウは、樹の方を指差した。
明石は今、手紙や鞄に意識がいっているが、すぐにレインボーバードの存在に気づくだろう。そしたら、今の男ならこの鳥にまで危害を加えかねない。
それに……それに……。
お願い、樹の方に逃げて……。
ミュウは心の中で念じていた。
それに従うかのように、レインボーバードはまた樹の方に戻っていった。
ミュウは誰にも聞こえないほどの声で、レインボーバードに「さよなら」を呟き、明石に押され、彼が路地裏に待機させていた馬車へと無理やり乗せられた。




