第86話・『プライド』の英雄
朝。
窓から差し込む朝の光が眩しい。部屋の窓際で寝る者の宿命だ。
しかしいつも俺を確実に起こすのは朝日ではない。
朝のまどろみの中、寝返りをうつとなぜか必ず横に柔肌の感触があり、驚いて起きるのだ。
今日は左に玉城、松川さんが重なるように並んで寝ていて、頭の上には雛季の脚があった。
雛季はパジャマの上だけ着ていて、パンツ丸出しだし、松川さんは透け透けのネグリジェの下に毎日違う色のセクシーなランジェリーという姿(今日は黒地に赤い花の刺繍だ)、玉城に至ってはパンツ一枚のトップレス状態だった。
起き上がった後、慌てて視線を逸らす。
朝日の眩さには慣れても、これにはどうしても慣れないでいた。
雛季は別として、寝相がどんなに悪くても、玉城たちの布団からここまで来ることはないはずで、彼女たちを叩き起こすと、いつものように反省の色なくおどけるだけだった。
「でも、なんだかんだ言って、カケル君もなかなか起きなかったわね? 本当は途中で気がついたのに、この状況を愉しんだんじゃないの~?」
松川さんが蠱惑的な笑みを浮かべ、こちらに向けた人差し指をクルクル回す。
「そ、そんなことはないですって! ……昨日は遅くまで剣の訓練をしていたから、疲れていただけだよ」
「ふあ~、まったく、朝から淫らなことはやめなさいよ……」と、あくびしながら言った鹿角はなぜか自分のベッドではなく美咲の横で寝ている。
「あなたも言えないでしょ、鹿角さん! 何で私の布団に入っているの?」と、美咲が自分の体に乗った鹿角の脚をどける。
「あ、ハハハ……おかしいな」
「まったく……」と、美咲は起き上がって、鹿角を横に転がし布団を畳んだ。
そして振り返って、小さく溜息をつく。
彼女の見下ろした視線の先には、大の字で寝転がっている雛季がいた。
「雛ちゃんも……今日はそっちまで転がって行っちゃったのね……」
確かにここ最近は、寝相の悪い雛季が俺の横までやって来ることが減っていた。それが今朝は頭の上にまで接近していたのだ。
美咲の声で起きた雛季も、これには気がついたようで、寝ぼけ眼で周りを見渡し言った。
「ふあ……ん? あ、あれ……? アハッ。今日はここまで来ちゃった」
「ミュウちゃんが来てからは雛ちゃんの隣で寝ていたから、彼女が防波堤みたいになってくれていたのね」
そう言ってから、美咲は部屋を見回した。
「今朝は……ミュウちゃん、早くからどこ行ったのかな……?」
「案外、雛季の寝相の悪さに業を煮やして出て行ったとかな……」
俺が寝癖を直しながらそう呟くと、雛季がこちらにブーブー言い返した。
そんな中、「ミュウさんなら……」と、洗面所から戻ってきた坂出が首にかけたタオルで顔を拭きながら言った。
「さっき『チャイカ』に行くって出て行ったよ。いつものクッキーを買いに行ったんでしょう」
「そうだったんだ……。いつもより早く出かけたのね」と、美咲。
「本当に好きなんだな、あそこのクッキーが」と俺が言うと、雛季が開いた胸元に手を突っ込んで、胸を掻きながら答えた。
「うん。毎日買いに行っているみたいなの。それに昨日はミュウちゃん、食べられなかったからなぁ……」
「可愛そうだな。自分が買ったのに食べられなかったのか?」
「うん。一枚はベランダの鳥さんにあげてぇ、もう一枚は夜、雛季にくれたの。あっ、一枚じゃないや。半分はカケル君にあげるって持って行ったんだった。剣の訓練の練習している時、持ってきたでしょ?」
「あん? いや、ああ……」
あやふやに答えた後、昨日の琴浦家前に落ちていたクッキーのことを思い出した。
あの時、ミュウは俺にクッキーをあげようとやって来ていたんだ……。
それなのに、何もせず立ち去ったということは、やはり鮫川との話を聞かれたに違いない……。
昨晩ミュウはおとなしかったのだが、それはいつものことで気にしなかった。
しかし本当は傷ついていたのかもしれない。
もしかして、このまま帰ってこないんじゃないだろうか……?
急に心配になって、立ち上がりドアの方を振り返る。
と、そこにミュウが立っていた。ドアをゆっくり閉めると、つかつか入ってきた。
「あっ、ミュウちゃん、お帰り~!」
雛季をはじめみんなから挨拶され、「ただいま」と小さく返したミュウは、次に俺の前に立った。
何を言われるのか怖かったが、彼女はやや強張った表情で持っていた紙袋からクッキーを一枚取り出した。そして俺の前に差し出してくる。
「……鳥さん、治してくれたから」
「……く、くれるのか? ありがとう……」
ミュウの予想外の行動にあたふたしながら、クッキーを受け取った。
ミュウは無表情のまま頷くと、雛季たちのそばに歩み寄って行った。
よかった……。昨日のことは気にしていないようだ。
もしかしたら俺のただの思い込みで、話自体聞いてはいなかったのかもしれない。クッキーを落としてしまったから、何もせずに帰ったのかもしれない。
少し安堵し、もらったクッキーを齧った。
起きたばかりで甘い物……とは思ったものの、食べてみるととてもうまく、自然と笑みがこぼれた。
『ビッグドーナツ』の内側で、『グラジオラス』メンバーと共に屋台から買った朝食を取っていると、行き交う客たちの中に混じって鮫川が俺たちのテーブルに近寄ってきた。
そしていきなり「今日、『プライド』のたまり場に行く」と告げた。
俺たちが次に目を付けたのが『プライド』だということを初めて知った美咲たちは、当然難色を示した。
『プライド』の加入試験は『SDG』の時行った魔巣窟よりもさらに危険な場所に向かうらしいから心配しているのだ。
しばらく押し問答をした後、試験当日には美咲たちがまた少し離れてついて行くということで決まった。
仕事前の美咲たちに見送られ、『ビッグドーナツ』を出た俺と鮫川は乗り合い馬車を拾い、『プライド』が集合場所として利用している建物がある北部エリアを目指した。
それは、『北北西通り』から、住宅地へ少し入った場所にあった。
『プライド』のメンバーが集合する場所は、『グラジオラス』や『SDG』のように一般客も利用しているような店ではなく、『プライド』に所属している者だけが出入りする建物であった。
二階建ての木造の建物が三方向を囲み、残りの一辺は門のある土壁が塞いでいる。
建物の内側には広い中庭があり、大小さまざまな形の丸太が点在しているところを見ると、そこを剣の訓練場としているようだ。
門のそばに立っていた男に話をし、中へと案内された俺たちは、男に従い左側の建物に入って行った。
室内に入って正面にカウンター代わりの長机があり、奥に書物や雑貨を置いた棚が並び、いくつかの簡易の防具が置かれていた。
どうやらここは事務室のような場所のようだ。加入希望者などの来客はまずここに通されるのだろう。
長机の手前側には四つのテーブルと、それを囲んで何脚かの椅子が置かれている。
左右の壁にはそれぞれ中庭、外の通りが見える窓があった。
床板は、たくさんの人が土足で踏んでいるからか汚くなっていて、所々木が割れていたり剥がれていたりする部分もあり、通ると軋んだ。
しかしこの場所に入って何よりも先に目を奪う物は、正面の壁の上部に飾られている肖像画だった。
赤色をバッグに、重厚なシルバーの鎧(中世ヨーロッパの騎士が身につけていたような鎧だ)を身にまとった男の、腰辺りから上が描かれたものだ。
かなり繊細なタッチで写実的に描かれていて、よく見なければ絵なのか写真なのか見極めるのも難しかった。
そこに描かれた男は、短めの金色の髪に端正な目鼻立ちで、凛々しい顔つきをしている。
しかし、重厚な鎧がやや浮いてしまうほどの若い印象も受ける。
この肖像画が誇張などせず見たままを描いたものであるならば、男は二十代……あるいは十代後半のように見える。
その若さで肖像画に描かれる……。この世界では多分珍しいことだ。
そしてこの『プライド』というパーティーの言わば玄関という場所の正面に、堂々と掲げられている……。
おそらくこの男が……。
長机の向こう側に座って何やら作業をしていたメガネの中年女性が、初めてこちらに声を掛けてきた。
鮫川が加入希望だという話をすると、女性はメモを取りながら、いくつかの質問をし、あっという間に魔巣窟へ向かう試験の日取りを決めた。
女性はこの作業に慣れているようで、とても円滑であった。
それだけこの『プライド』への加入希望者が後を絶たないということなのだろう。
段取りのよい女性のおかげもあり短時間で申し込みが終わったところで、最後に俺はあの肖像画を指差して訊いた。
「あの絵に描かれている人って……」
「ああ、八頭さんだよ。八頭恵亮。ここの初代キャプテンで、三英傑の一人さ」
中年女性が即答すると、俺も頷いた。やはり八頭という男だったか……。
「あれが? なよなよした若僧じゃねぇか……」
呟く鮫川の腕を、慌てて肘で小突いた。
中年女性は微笑みながらも、「あまり他の人の前でそういうこと言わない方がいいよ」と低い声で言った。
「八頭さんに憧れてここのメンバーになった者も少なくないからね。そういう者たちが聞いたら、あんた、痛い目にあわされちゃうよ?」
「ほう、俺が?」と、反論しようとした鮫川を後ろへ押しやって、俺は愛想笑いを浮かべた。
「そうですよね。魔竜を倒した英雄二人……雨竜さんと剣淵さんでしたっけ? そんな二人と並び称されているわけだから、凄い人ですよ、ヤベさん。俺も憧れています」
「……八頭さんだよ」
「あっ、八頭さん……ハハハ、まぁ、若くても少し華奢でも、魔法剣の扱いが天才的だから、英雄なんだよ。わかったか、鮫川!」
苦笑して言う俺を冷めた目つきで見ながら、女性は話を継いだ。
「それに前の二人とは違って、最近の人物だからね。身近な英雄ってわけよ」
「しかしそいつも、死んだんだろう?」
鮫川が不躾なことを言うと、女性の事務作業の手が止まった。ゆっくり顔を上げこちらを見る。
「……死んではいないよ。消息を絶っただけさ」
「どこでいなくなったのか知らねぇが、もう何日も経っているんだろ? 生きているなら戻ってきているか、あの何とかバードって言う鳥使って連絡ぐらいしているだろ。『俺は生きています。森の熊さんたちとうまくやっています』って具合に。何もないってことは……死んだんじゃないのか?」
鮫川の遠慮のなさには俺まで辟易してしまう。
女性はにらみつけるような視線のまま返した。
「私は死んではいないと思っているよ。あの人はそう簡単には死なないさ。一度魔獣によって重体になったことはあったけどね、その時も医者の予想よりもはるかに早く復活したんだから……。死体なんかも見つかっていないし、魔獣にやられた跡もどこにもない。……八頭さんと、彼に同行していた数人のメンバーたちはね、消息を絶つ前、何度か中央本部の者たちとやりとりをしていたって話さ」
女性の声が後半小さくなったので、俺の方から耳を近づけなければならなかった。
「中央本部と……一体何を?」
「そこまではわからないよ。いなくなった彼らと中央本部の一部の者だけで秘密裏に何かをしていたらしいね。内容はわからないけど、中央本部から何か依頼があったのではと、ここの人たちの間では囁かれているよ。その後、八頭さんたちは消息を絶った」
「……それでも、オバさんは」と口を開くと、「オバさん?」と睨み返されたので、慌ててかぶりを振った。
「お、お姉さんは、それでも彼らが生きていると考えているんですね? まぁ、確かに死体が上がったわけではないのだったら、その可能性もありますが……」
「一つの仮説の上なら……生きている可能性は充分あるよ」とオバさん……いや、女性は言った。
「一つの仮説……?」
「彼らがいなくなった後、中央本部は例の……ほら、転移とか言って、どこからか数人連れて来たでしょう?」
「あ、はあ……。そうらしいですね」
俺は鮫川と目配せをしてから、『俺たちもその転移者である』ということは伏せることにした。話がややこしくなると思ったからだ。
女性が話を続ける。
「だから私はね、八頭さんたちがいなくなったのもそれと関係があると思っているのよ」
「……つまり、彼らも中央本部の連中と同じように転移して、俺たち……いや、連中を連れてくる任務を受けていたと?」
「そう。同時期だからね、あり得るでしょう? まぁ、私の推測でしかないんだけど、どこかで生きている気がするわ」
「なるほど……」
確かに同時期に中央本部と接触があり、そして消えたのなら、あの転移作戦に参加している可能性はある。
しかし、中央本部の他の者たちは戻ってきているはずだ。
それとも、色々トラブルがあったようだから、八頭という奴らだけ戻ってくることに失敗したのだろうか?
そうだとしたら、それはそれで辛いかもしれないと思う。
俺たちのように何でもある世界からやって来てこの『サライ』のように制限された世界で暮らしていくことも大変だが、その逆もかなり苦労するだろう。
とりあえず、八頭たちが生きていて戻ってくることを願っていると女性に告げて、建物を後にした。




