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第85話・ミュウのクッキー

 新しい魔溜石を得て、新魔法も身に付けた。

 しかし最近起きた変化はそれだけではなかった。

 

 俺の問いかけに、ミュウが答えてくれることがあったのだ。

『北の森』から戻って来てからは初めてのことだ。

 

 それまでもミュウは相変わらず部屋の女性たちとも完全には打ち解けてはいなかった。

 中間(なかま)たちはもちろん、鹿角(かづの)玉城(たまき)、松川さんが優しく話しかけても内容によっては黙ったり、その場から逃げ出したりした。

 まぁ、そういう場合の鹿角たちの話はいやらしいことやくだらないことが多いので、ミュウの気持ちもわからなくはないが……。


 美咲や坂出(さかいで)、浅川と小牧の若い二人はようやく話しかければ返事をもらえる程度には打ち解けたようだったが、それでもまだまだ距離があった。

 やはり、ミュウが心を許しているのは雛季だけという状況のままだった。

 

 そして俺はと言うと、この部屋の住人の中で一番ミュウに避けられている状況は変わっていなかった。

 ミュウは、俺の妹・咲花(えみか)よりも歳は下のようだが、人見知りする性格が似ていて(外見も少し似ている)、俺もついついミュウを妹のように思って話しかけてしまうのだが、必ず雛季の後ろに隠れてしまうか逃げられてしまっていた。

 

 そんなミュウが、ある日、声を掛けてみると言葉を返してくれたのだ。

 少女から返答があったぐらいで喜ぶというのは情けない気もするが……。

 

 それは、一人、魔法術者としての仕事をして帰ってきた時のことだ。

『ビッグドーナツE』の外壁沿いにミュウが一人立っていたので、無視されるのを覚悟でとりあえず挨拶をした。

 ミュウはチラッとこっちを見ただけで、挨拶はやはり返ってこない。

 俺は一人苦笑い。


「あまり遅くまで外にいないようにな」と兄貴ぶったことを言ってから、立ち去ろうとした矢先、ミュウの方から鳥のさえずりが聞こえた。

 よく見れば、ミュウの胸の前にある小さな両手の中にレインボーバードがいた。


「レインボーバードか……。ベランダで飼っているやつか?」

「……」

「ハハハ……。君は人よりも動物や植物が好きみたいだな? 犬とか猫とか、花に話しかけていたりもするもんな」

 精一杯の笑顔を作って、独り言のように呟くと、囁くようなミュウの声が返ってきたのだ。


「動物や花は……傷つけない」


「え? い、今、何て?」

 ミュウはわずかに上げていた顔をまた下げ、両手の中のレインボーバードの羽根をそっと撫でた。

「また黙っちゃったか……え~っと……。ああ、その鳥、可愛がるのはいいけど、逃げないうちに戻した方がいいと思うぞ? 逃がしちゃったら、あのお姉さんたちがうるさいからなぁ」

 

「これは上のコじゃない」

「ん? え? ああ……『グラジオラス』が飼っているレインボーバードとは違うのか……」


「違う。この前飛んできたコ……」


「あ、ああ……なるほど。『SDG』から手紙を届けに来た奴か……。あれ? でも、その鳥って元の場所に帰って行くんじゃなかったっけ?」

「……羽根、痛めてる。枝で傷つけたみたい」

 

 この子とこんなに言葉のラリーが続くとは思っていなかった。

 恥ずかしながら少しためらってしまったが、慌てて言葉を繋ぐ。

「う~ん……俺にはよくわからないけど、どの辺を痛めてるんだ?」

 

 歩み寄って、レインボーバードの羽根を少し触ってみる。すると確かにピーピー鳴いて、ミュウの腕の中で羽根をバタつかせた。

 ミュウは俺の方を一目見てから、少し横歩きして距離を取った。


「ま、待ってくれ……。ここに治癒ポーションがあるから、使ってみたらどうかな?」

 俺は腰にぶら下げた袋を持ち上げてみせた。ミュウは怪訝な表情を向けている。


 すかさず袋の中から、治癒系の魔溜石の粉を混ぜて作られているというポーションを取り出した。

 瓶のふたを開けて歩み寄るが、ミュウはまた後退りしようとした。


 俺は優しい言葉をかけてミュウを止めてから、ポーションの滴をレインボーバードの羽根に垂らしてみた。

 白い光が煌めき、レインボーバードはすぐに羽根を動かした。

 そしてミュウの肩に飛び移る。ミュウはそこで初めて、薄い笑みを浮かべた。


 しかし、レインボーバードはまだ鳴きながらミュウの肩から腕を行ったり来たりしている。

「あれ……? 羽根の傷は治ったと思うんだが、『SDG』の所に帰らないな……」

「羽根はよくなった。でも、お腹が空いていると言っている」


「言っている? 言葉がわかるのか?」

「少し……」

 ミュウはミステリアスな少女だ。動物の言葉がわかると言われれば、ある程度納得できてしまう雰囲気を醸し出していた。

 

 ミュウはおもむろに、斜め掛けしている鞄の中を漁った。

 そして、ここから少し大広場の方に進んだ場所にある『チャイカ』というお菓子屋の判が押された紙袋を取り出す。


「……それは?」と訊くと、しばらくの間の後、「クッキーをあげる」と小さな声が返ってきた。


 ミュウは黙って紙袋の中から折り畳まれている包みを取り出し、手のひらの上で丁寧に広げた。

 包みの中にはまさに、こんがり焼かれたおいしそうなクッキーが二枚あった。チョコチップがまぶしてあるやつだ。

 

 ミュウはそのうち一枚を包みでくるみ直し紙袋に戻すと、もう一枚を小さく割って、右の掌に乗せた。

 途端に、彼女の肩の上にいたレインボーバードがトコトコと腕の上を歩き手の平に乗ると、クッキーをついばみ始めた。

 クッキーはあっという間になくなり、レインボーバードは他にもないかと、忙しなく頭を動かし辺りを探している。

 それを見つめ、ミュウはまた小さく口の端を上げ、残りのかけらも与えた。

 

 それもなくなると、ミュウはレインボーバードに優しく触れて言った。

「おしまい」

 レインボーバードは本当に彼女と会話ができているかのように、急におとなしくなって、彼女の肩に飛び移った。

 

 その時、丁度仕事を終えた琴浦姉妹が帰ってきた。

『ビッグドーナツ』の階段傍にいる俺たちを見るなり、雛季が声を掛けてきて、ピョンピョン跳んで駆け寄ってきた。


 雛季は俺たちの前まで来ると、目を閉じ、動物のように鼻をクンクン動かした。

「んん? 何か甘い匂いがする! こんがりとした、バターの……これはクッキーの匂いだ!」

「食い物に対しては凄い能力発揮するんだな……」

 俺は半ば呆れて言ったのだが、雛季は腰に手を当て、まんざらでもない表情を浮かべた。


「今、このコにクッキーをあげていた」

 ミュウは左手の紙袋を振った。


「あっ、それ! 『チャイカ』のクッキー? おいしいよね~!」

 雛季の唇によだれと思しきものが光っていたのを俺は見逃さなかった。本当に食べ物には目がない子だ。

 

 雛季が急に接近したからか、レインボーバードがミュウの肩から飛び立った。一度、路傍の木の枝に止まってから、レインボーバードは大空へと帰って行った。

 

 ミュウは空に向かって長い間手を振っていた。

 その隣で雛季も手を振っていたが、やがて彼女が今一番気になっているだろうクッキーの話に戻した。

「クッキーもらって元気になったのかな? 今まであんなに飛べなかったのに……。それで~……ミュウちゃん。そのクッキー、全部あげちゃったの?」

 ミュウを見る雛季のその目は、完全に催促する目だった。


「ダメだよ、雛ちゃん」と、後ろにいた美咲が微苦笑を浮かべて言った。

「いつももらって……。ミュウちゃんが買ってきた物なのに、ミュウちゃんの分がなくなっちゃうでしょ?」

「いつももらっていたのかよ……」と俺は呟く。

 

 雛季は大げさに肩を落としてから、小さく何度か頷いた。

「うん、そうだね……。ごめんね、ミュウちゃん。雛季、我慢するよ」

 考えて見れば至極当然のことなのだが、その落ち込みようを見せられると、我慢してくれてありがとうと言いたくなるほどだ。

 

 ミュウも持っている紙袋に視線を注ぎ、残りの一枚を雛季にあげようか悩んでいるようだった。

 だが、結局彼女は紙袋を鞄の中に戻した。

「ごめん、雛季ちゃん。明日……あげる」


「本当? やったー! ありがとう、ミュウちゃん!」

 両手を上げ喜ぶ雛季の横で、美咲が首を横に振った。

「いいのよ、ミュウちゃん。無理しないで。クッキーだけでも、いつものことだとお金が大変だし……」

 

 ミュウは頭を横に振った。薄紫色の長い髪が揺れる。

「お金は家からたくさん持ってきている」


「家って……お世話になっていたところの、ってことだよな? それは……そこの人のお金じゃ……」と、俺は言った。


 ミュウの代わりに雛季が語勢強く返してきた。

「ミュウちゃんのだよぉ! ミュウちゃんはいっぱい働かされていたし、お父さんお母さんが亡くなった時に持っていたお金も、預かっておくって言われて取られたまま、返してもらってないらしいの! だから、少しぐらいはミュウちゃんのお金なんだよ」


「う~ん……なら、まあ……」

 俺は肩をすぼめ、曖昧な返事をした。


「ここでお世話にもなっている……。雛季ちゃんにもお礼したい」

 ミュウが静かにそう言うと、雛季は喜んで彼女に抱きついた。

 

 ややあって、俺は姉妹とミュウの陰に隠れながら部屋に上がって行った。

 その後もミュウに話しかけてみたが、いつものように迷惑そうな視線を向けてくるだけで、言葉は返ってこなかった。

 それでも、今日だけで随分距離は縮まった……と俺は思っている。

 目線すら合わせてもらえない鮫川に比べれば……うん、間違いなく縮まっただろう。


**********************************************


「くだらねぇ」

 翌日、日も暮れた頃。琴浦家の庭。

 農園の手伝い後、『エイト剣』の訓練をしながらそのことを話すと、鮫川は鼻をフンと鳴らしてそう言った。


「あのガキは俺らの邪魔をしたんだぞ?」


「明石のことはともかく、俺たちの邪魔をしたわけじゃないだろ……」


「お前はあいつを助けに行って不合格。俺は助けに行かなかったから不合格。あんなことさえなければあのまま終わっていて、二人とも認められていただろう。とにかく、明石を襲ったというのは犯罪だ。そんな奴をかくまっていると、中央本部とかいう奴らに目を付けられるんじゃないか? 早めに追い出した方がいいと思うぜ?」

 鮫川の剣から発せられた気が、訓練用に立てかけた鉄板を大きく歪めた。


「何て冷酷な奴だ。お前のそういう所が、あの子を怖がらせているんだ」


「知るかよ。むしろ近寄ってほしくはないな。今度パーティーの試験がある時は、誰かに見張っていてもらおうぜ」


「今度って……前も言っていたけど、他にもいいパーティーがあるのか?」


「あるさ。だが教えたくないもんだな、味方を裏切る奴には。……まぁ、また前みたいなことがあっても、パーティーの試験の方を絶対優先すると誓えるなら教えてやらないこともないが?」


「裏切ったわけじゃねぇし、希望するパーティー名教えるだけで随分エラそうだけど……わかった。今度は試験に集中するさ。ミュウはそもそも明石に恨みがあっただけみたいだから、今度邪魔することはないだろうし……で、どこのパーティーだ?」

 

 その時、背後で足音が聞こえた。

 咄嗟に振り返ると、家の前の道を影が横切った。パタパタという足音が遠のいていく。

 もう魔溜石灯がない所は暗くなっているし、その上、植木が邪魔していてよく見えなかったが、白っぽいワンピースだけは確認できた。

「……ミュウ?」

 

 柵の前まで駆け寄って、少女が走り去った方に目を向けたが、もう道には彼女らしき人影はなかった。ただ……。

「……ん?」

 道の端に、チョコチップのクッキーの欠片が落ちていた。

 ……やはりミュウだったみたいだ。


 今の話を聞かれてしまったのではないか?

 そう思うと鼓動がわずかに速くなった。


 鮫川が「どうしたんだ?」と能天気に訊いてきた。鼻をほじっていたわけではないが、鼻をほじっていてもおかしくないぐらいの能天気さだ。


「あ、いや……何でもねぇよ。……それで、何て言うパーティーに入ろうとしているんだ?」

 鮫川は怪訝な顔をしてから、話を続けた。

「ああ……『プライド』だ」


「『プライド』……。なるほど、伝説の三英傑の一人……八頭(やず)って言ったっけ? そいつがキャプテンをしていたパーティーか」


「そうだ。他の二人のパーティーは消滅したと言っていたが、そこだけは残っているのさ。北部と北西部エリアで幅を利かせているらしくて、『北北西通り』の近くにたまり場があるらしいこともわかっている。『SDG』なんていうのは、『プライド』のおこぼれをもらっているようなショボい連中だったってわけさ」


「しかし、そんなパーティーに入れてもらえるのかよ?」


「『SDG』と同じで、魔巣窟に行く試験があるらしい。そこで大活躍すれば認めざるを得ないだろ? とにかく、お前はどうするか知らんが、俺は近いうちに訪ねるぜ」


「お、俺も行くって。行く時は俺にも教えてくれ」

 俺がそう言うと、鮫川は嘲笑して返した。

「ハンッ……足を引っ張らなければいいけどな……」

 そして背を向け、再び『エイト剣』を構えた。

 

 俺も誇らしげに笑って鮫川の横に並び立つ。

 そして自分の『エイト剣』に気を溜めた。すぐさま前方へ剣先を突き出す。

「チップ・オブ・ダイヤモンドッ!」

【TIP(=先端)・カケル所持魔溜石、H、『I』、『P』、『T』】


「あん?」と、鮫川が面食らった横で、青白い光が勢いよく前へ伸びていった。

 鋭利な先端をした青白い気は、庭を横切って、その先の鉄板に刺さる。

 激しい金属音を響かせ、気が鉄板を貫く。さらにその先へ伸びて、木の端をも貫いた。その後何本かの木に穴を開け、煙のように消滅した。


 実は鮫川にはこの新魔法を初めて見せた。

 鮫川は、差をつけたと思っていたライバルに、新たな魔法を見せられ、あきらかに焦っていた。

 

 俺は静かに笑って言った。

「人は日々進むんだ。昨日と変わらないように見えても、今日行く道は今日の道なんだぜ」

「ぎぎぎ……」と、鮫川の口から歯ぎしりの音が聞こえる。


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