第852話・【前半三人称視点】真夜中は別の顔
林に囲まれた場所に建つ世羅大和邸、その2階の寝室。
前日のハードなトレーニングで疲れベッドで泥のように眠る世羅は、それが数々の闘いで身につけた勘なのか、突如何かの気配を感じて目を覚ました。
ベッドに体を沈めたまま開いた彼の目に、自室の天井や壁の模様がぼんやりと浮かび上がってくる。
疲労感が残っていて頭がぼんやりしているからか、ここがどこなのか、自分の寝ている頭の向きさえ分からない、そんな模糊とした感覚が数秒続いてから、ようやく目が冴えてくる。
カーテン越しの窓から青白い光が差し込んでいるにしても、やけに室内は明るい。
気がつくと、窓とは逆側、ドア付近の間接照明がオレンジの光を灯していた。
消し忘れたまま眠ってしまったのか……。そこまで疲れていたのだろうか……。
額に汗をにじませながら、世羅は思考を巡らせる。
先ほど感じた気配もあって、この空間はいつもと変わらぬようでいて、何か異様な雰囲気が漂っている。
そう思った矢先、窓際のぼんやりとした光の中で微かに動く黒い影を捉えた。
心臓がごとりと鳴った。
目も、頭も冴えた今ならハッキリと見える。
窓際に黒いロングコートを纏った何者かが立っていた。
そして闘いを商売としている人間ゆえに、その者が放つ只ならぬ気も感じた。
殺気。
そう結論付けた世羅は、乾いた声で目一杯に叫ぶ。
「だ、誰だ! どこから入ったんだ?」
居直り強盗か? あるいは恨みを持った闘技場関係者か?
混乱した頭では男の動機を導き出すことができない。
世羅がまだ疲れの残っている上体を起こし、ベッド脇の剣に手を伸ばそうとした時にはすでに遅かった。
男の左手が世羅の口を抑え込み、そのまま一気に後ろの枕へ頭をうずめさせられた。
世羅は慌てて抗い、その鍛え抜かれた両腕で男の左手を自分の口元から引きはがそうとした。
いくら寝込みを襲われたとは言え、世羅は百戦錬磨の闘技場のスター選手で、『エイト剣』がなくてもケンカで負けを知らない。魔法能力だけではなく、力にも自信があった。
その左手を力ずくで捩じって、そのまま男の首を絞めれば、向こうが魔法を出す前に逆に相手を気絶させられる。
はずだった……。
しかし、世羅がどんなに力をこめても、口を押さえ込んだ男の片手一本まったく動かせない。
上と下という体勢の違いはあるにせよ、男は別段工夫ある押さえ込み方をしているわけでも何でもない。
それに、男の垂れ下がった銀髪からのぞく表情は、押さえ込む間際に見たそれと何一つ変わらず、いたって冷静で冷酷な人形のように無感情なままだ。力を込めているようにはまったく見えない。
それなのに、片手一本、いや、引きはがそうとしたその親指一本動かすことができない。
世羅の顔は紅潮し、むき出しの白目が血走る。
殺される……。見ず知らずのこの男に、殺される……。
理由もわからずに。
そのことだけが頭を巡りながら、ついに世羅は全身の力を失い、ベッドに深く沈んだ。
寝室の掛け時計の秒針が静かに時を刻んでいる。
その男……射水夜紗は、世羅の死に絶えた顔をしばらく無表情で眺めた後、おもむろに掛け布団を世羅の頭の方まで引っ張り、顔をスッポリ覆った。
そして部屋の奥のシャワールーム前にある洗面台の前に立ち、全身が映るほどの大きな鏡を見る。
黒いロングコートで覆われた、黒と灰色を基調とした防具姿が映る。
そして、顔。
さっきまでの銀色の前髪で目が隠れがちの、陰のある顔は鏡の中になく、金色の短髪、顔の輪郭ががっちりとした、世羅大和そっくりの顔が映っていた。
射水は元々の背丈も世羅とさほど変わらず、首から下は世羅より細身だとしても、ロングコートで隠れているので、少なくとも見た目だけでその男が世羅とは違う男と断定できる者などいないだろう。
そしてそのまま、射水は世羅の邸宅を歩き回る。
性格まで似せるつもりなど毛頭ないが、世羅という男の最低限の予備知識だけは頭に入れておく必要があった。
様々な器具の置かれたトレーニングルーム。ここにもシャワールームらしき場所が備わっている。
その他にも書斎、ドレッシングルーム、ビリヤード台の置かれた部屋や持て余した部屋など、いくつもの部屋がある。その各部屋や廊下の至る所に立派な絵画が掛けられている。
『惑星サライ』に生きる一般市民としては、立派な家だ。
「……贅沢な生活だ。こんなくだらない男に金は廻り、不幸な奴はますます不幸になる」
それらを一通り眺めた射水は、棚に並ぶ写真立てに目をやった。
子供時代の世羅らしき少年と、良い身なりの父親と母親らしき人。裕福な家庭の一コマを収めた写真の数々を眺める。
他にも大人になった世羅が数人の子供と映っている写真や、世羅宛の沢山の手紙、世羅の書きかけの手紙に、無言で目を通していった。
*******************************************
俺たち『牙組』メンバー(俺、琴浦姉妹、桜川、鹿角、青葉、東御、美馬、二宮)は昼食後しばらくして、ミュウとトラヒメと共に『ビッグドーナツ』を出て、外で鳩ケ谷と鮫川を拾い、『北東エリア』の孤児院に向かった。
そして孤児院の院長と職員1名と13歳から14歳までの男女5名と共に、馬車で『神々の黄昏』に向かった。
道中、いつものように雛季や鹿角はテンション高く、孤児院の子供たちの方が落ち着いていた。
また、いつもは俺たちに同行することを面倒臭がる鮫川もやや鼻息を荒くしていた。『闘技場』での観戦に、すでに武者震いをしていた。
さらに美馬さんも、「魔法対決以外にも、男たちがカチカチの筋肉をぶつけ合って素手で闘うのもあるのよね。今から体がうずいているわ」と興奮し、桜川や二宮を困らせていた。
俺も、彼らと同じパーティーの者として少し恥ずかしい。
……が、やはり一番の恥ずかしいのは鳩ケ谷で、彼は今日という日を美馬さんたちとのデートのように捉えていて、昼から緩みっぱなしの顔だ。
さらに女性同士の対戦をいやらしい目線で見て楽しもうとしているし、一番首を絞めてやりたくなったのが、孤児院の女子三人にまでナンパのようなことをしていたことだ。
とにかく俺たちはそうして『神々の黄昏』前に着いた。
門から中に入る際、年齢を確認される。12歳以下は問答無用で入れず、13歳以上、15歳未満の者は20歳以上の者となら入れる。孤児院の子たちは院長たちの付き添いがあって入れるわけだが、孤児院の2名の女の子と今年13歳になったばかりのミュウが12歳以下に見られたり、雛季や桜川や二宮が15歳未満に見られたりして、思わぬ時間が掛かってしまった。これには文句なしに入場できた(中年顔の)鮫川がイラついていた。
それから、大人メンバーで子供たちの視線を遮るようにしながら、セクシーな格好で店へ誘うお姉さんたちや甘い言葉で誘う男たちの横を通り抜け、『入浴施設』横も通り過ぎ、北側にある『闘技場』に入った。
一行は観客席へ行く前に、まず『闘技場』の職員に案内され、スタンド下の通路を進んで選手の控室が集まる場所へ行った。
選手には個室が与えられ、試合前に集中力を高めたり所属養成所のスタッフたちとのミーティングを行ったりできるようになっている。
中でも、スター選手となっている世羅大和の控室は、廊下の一番奥にある他よりも大きな部屋らしい。
部屋前にいた世羅選手の所属養成所のスタッフのおじさんと孤児院院長たちが挨拶した。そして子供たち、俺たち『グラジオラス』メンバーも軽く挨拶する。
孤児院の子供たち以外に12名と1匹がいるので、思ったよりも多いと思ったのだろう、養成所スタッフのおじさんはあきらかに笑顔を引きつらせていた。
とにかくその後、世羅選手と会えることになった。彼の試合は本日の最後の対戦なので、それまでまだ余裕があるらしい。
「わ~い、どんな人だろう、楽しみなの!」と、『闘技場』の選手などまったく知らないであろう雛季が一番喜び、子供たちも同じ孤児院が生んだスターに会えるとあって今まで以上に興奮、緊張気味だ。
「まぁ、一応、憶える価値があるのか見ておいてやるか」と、鮫川はいつものように大口を叩く。
「お前な……くれぐれも本人の前で不遜な態度とるなよ?」
「そうじゃ。お前のせいで『闘技場』はおろか『神々の黄昏』の出入り禁止になったらたまんないからのぉ」と、俺や鳩ケ谷は苦い顔で言う。
そうしているうちに、養成所のスタッフが世羅選手の控室のドアをノックした。
「大和! 例の子たちが来たぞ」
言いながら、スタッフのおじさんはドアを開ける。子供たちや雛季、鹿角あたりは自然と前進し、おじさん越しに中を覗こうとする。
「ノックの返事をしていないが?」と、やけに冷ややかな声が聞こえてきた。
「え? ……ああ、すまん。いつも気にしていないようだったから」と、おじさんは苦笑いを浮かべる。
「エネルギー有り余った男性だもの、ゆっくりと一人でしたいこともあるんでしょうね」と、美馬さんが囁き、近くにいる青葉や東御は面を伏せる。
その後も反応が薄い世羅選手に、スタッフがもう一度言った。
「あの……ほら、例の招待した子供達が挨拶に来ているんだ」
それからスタッフのおじさんはこちらを振り返って、孤児院院長や子供たちを中へ誘った。
彼らの後に、俺たちも少しだけ前に行った。琴浦姉妹や鹿角や、二宮、青葉あたりが中に流れ込み、あとの者は廊下から窺うといった感じだ。
それでも、長椅子に座った世羅選手の姿が何とか見えた。全身を黒のウェアが包んでいる。膝に肘を突き、視線を落としたままだ。
「あれがスター選手か? オーラは感じられないな」と呟く鮫川に、俺は肘を食らわせ黙らせる。
しかし、実際、世羅選手からは試合前の戦士の覇気のようなものは感じられない。それどころか、生気のようなものも感じないといっていい。
まぁ、試合直前の一流のアスリートに会ったことはないので、実際はこういう無の境地に近い状態のことが多いものなのかもしれない、と納得させる。
「すまんね、大和。試合前なのに……。ほらお前たち、早く応援のメッセージを伝えなさい」
孤児院の院長も緊張した顔つきで、子供たちに応援を促した。
しかし子供たちがしゃべり出す前に、世羅選手がうつむいたまま言った。
「……集中したいのだが?」
「あっ、すまんな。そうだよな……」と、院長の笑顔が固まる。
養成所スタッフのおじさんも驚きの顔をし、あたふたしている。
女子3名と男子1名は少し早口で、用意していた応援のメッセージを伝えた。
そして残るはもう一人の男子だけだが、彼は思いのほか不愛想な世羅選手に、正直な態度を取ってしまった。
「なんだよ……。いつも子供たちには優しく接するってインタビューで言っていたのに……」
「何、言ってんの? しょうがないよ、試合前だもん」と、女子たちが顔を引きつらせる。
雛季や鹿角もなだめる。
「でも、世羅選手はいつも余裕なはずだよ? 強いんだから」と、男子は続けた。
院長はガヤガヤと騒ぎ出した子供たちの頭を軽く叩いてから、世羅選手に向かって言った。
「すまんね、招待してもらっただけでも感謝しなければいけないのに。本当にこの子たちは図々しくて。でも、みんな今日の日を本当に楽しみにしていたんだ。……応援しているよ。頑張ってくれ。君は我々孤児院のヒーローだよ」
そして院長や孤児院職員は急かす様に子供たちを連れて控室の外へと出てきた。
「す、すみません。いつになくピリピリしているようです。今日は50連勝目が掛かっている試合ですからね、ハハハ……」と、養成所スタッフのおじさんは無理に笑った。




