第835話・或る雨の夜の出来事
俺はその後、改めて二宮に謝り、また、黙って救出に行ったことを美咲たちに謝って、ようやく解放された。
夕方、風呂の前にもう一度、寮の裏の訓練場で『GRAPH=図表』の発動の確認をした。
この魔法はまだ全容を把握できていない。
他の能力を犠牲にすることで一時的に攻撃力アップ、防御力アップ、速度アップ、体力アップ、発動範囲拡大ができることはわかったが、諸塚に対して最後に起きたあれはよくわからない現象だ。防御力を上げるつもりがイメージの失敗で、相手への攻撃のようになってしまった。しかもそれは普通の攻撃ではなく、諸塚のミスを誘発する形だった。
まだ別の能力をアップすることができるのかもしれない。
そう考えて『GRAPH』を確認していたのだが、結局諸塚に対して最後に起こった現象について解明されることはなかった……。
だが……。
「ん? ああ、に、二宮……。どうした?」
そろそろ訓練を終えようと振り返ると、そこに二宮が立っていた。帽子の耳当てから垂れている紐をいじりながら、モジモジしている。
「み、美咲さんに言われて来ました……」
「美咲に?」
「瀬戸さんは私を助けてくれるために駆けつけてくれたのだから、そんなに責めないであげてほしい、と言われて……。確かに自分でも言い過ぎたと思います。ごめんなさい。それと、ありがとうございました」と、二宮は素早く頭を下げた。
「ああ、そうか。わかってくれて嬉しいよ。俺も改めて、すまん」と、俺は硬い笑みを浮かべる。
「あと、これも美咲さんに頼まれたのですが……仲良くしてほしい、と……。だから、これからもよろしくお願いします」
「あ、ああ。よろしく」と、俺は照れながら手を前に出した。
しかし二宮は握手することなく、頬を少しふくらませた。
「美咲さんに頼まれたので、言っただけです。まだ私、瀬戸さんに警戒心を持っていますので」
「ハハハ……参ったな」と俺はこっそり手を戻して、『エイト剣』の柄に添えた。
「それじゃあ、これからもっと信頼を得られるように頑張るよ……っと! うわっ!」
両手で柄を握ったまま剣を少し下げてしまい、その瞬間、刀身が銀に発光。キラキラした煙のような光が二宮の足元へ。
「へ? うわっ……キャッ!」
光が通過したことで二宮のミニスカート、Tシャツの裾がめくれた。上下白の下着が間近で見えた……。
その上、二宮は慌てたのか、スカートを押さえながら後ろに転んでしまった。それによってまたショーツが見える。
「ラッキー……ラッキーか……?」
諸塚が攻撃してくる際も、奴がタイミング悪く転んだ……。今も、二宮の下着が見え、転んでさらに見えた。
『GRAPH』という特殊攻撃魔法が持つ、もう一つのパターン、それはラッキー度のアップということなのだろうか?
「な、何がラッキーなんですかぁ?」と、二宮は急いで足を閉じて金切り声を発した。
「あ、いや、そういうつもりでは……」
「やっぱりあなたとは仲良くできません!」
顔を紅潮させながら、二宮は俺にくれようとしていたらしい瓶入りジュースを投げてきた。
「び、瓶を投げるな! ぶへっ……!」
俺はそれをあごに食らった。手でキャッチしようとしたのだが間に合わなかった。『GRAPH』でラッキー度(仮)が上がった代わりに、体の動きがあきらかに遅くなっていたのだ。
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後日、寮の近くの店に篠山純太、佳織、黒石さんがやって来て、俺たち『牙』に通う『グラジオラス』メンバーは呼び出された(雛季や桜川やミュウや二宮はついて来ていない)。
「勝手に諸塚をクビにしてしまったらしいな?」
「本人が嘆いていたの」
純太に次いで佳織が言った。
「勝手にと言うけど、一応私がキャプテンだし……」
「それに事情があって」と、鹿角や美咲がいきさつを話した。
「諸塚が俺たちにした話とは少し違うな……。眠りの魔法を悪用? それは初耳だ。マジか……」
顔をしかめる純太。
「そう。とんだ下衆野郎だったんだ。お前たちが優秀だと言って連れて来た男はな」と、俺は嫌味っぽく言ってやる。
「だが、剣士としての能力は高かっただろう? 今後の魔溜石採取で役に立ってくれるかもしれなかった」
「少なくとも、お前たちよりは」と、黒石のオッサンもボソッと付け足す。
「さっきからこれなのよ……。私は、二宮さんのことを考えると、諸塚君に辞めてもらうことは仕方がないことだと言っているんだけどね」と、佳織は困り顔で肩をすくめる。
「それはもちろん、奴には反省してもらうさ。彼女を傷つけた分、慰謝料のようなものも払うべきだとは思う。だが、やめさせたらそれもさせられねぇし、これからのことを考えればパーティーとしてはマイナスじゃないか?」と、黒石のオッサンは力説した。
「なるほど、慰謝料を取った方がよかったかな」と鹿角が腕を組んで呟くと、美咲は眉をひそめる。
「鹿角さん……。お金よりも、二宮さんのことを考えてあげて」
「わ、わかっているよ……。悪いけど、彼を戻すことはできない。いくら剣士として優秀だとしてもね。彼女の傷はお金で癒えるものではないのよ。彼女は諸塚君の顔も見たくないでしょう。せめて、そんな彼女の意見を優先してあげるべきよ」
美咲や青葉や東御もうなずいた。
「私もそう思う」と、篠山組の方では佳織も同調する。
鳩ケ谷も、自分のしてきたことは端に追いやって、か弱き者の味方のように優しい顔で同調した(まぁ、俺も他人のこと言えないかもしれないが)。
同調する者が他にいなくなった純太と黒石のオッサンは頭を抱え、結局諸塚の復帰を諦めたようだ。
「……その代わり、お前たちもしっかり働いてくれよ?」
去り際に、黒石のオッサンは不満を漏らした。
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それからすぐに、俺の『個人戦』・第3戦……夏休み前のファーストシーズンの最後の試合の日が訪れた。
相手は犬上という男子だ。
しかし、応援に来てくれた琴浦姉妹や桜川と共に会場のある体育館に行くと、主審を務めることになっていた蒲生たちが舞台の傍らで何やら話し合っていた。
蒲生が気づき、こちらに寄って来た。相変わらず、切った足の爪の匂いを嗅ぎそうな顔をしている。
「瀬戸ぉ、遅いじゃないか? 今年の卒業は諦めて逃げ出したのかと思ったぞ?」
「そ、そんな遅れていないでしょう?」と、俺は苦々しく呟く。
「それに、相手も来ていないみたいですが?」
「本当だ。相手もいないし応援もいない。カケル君の応援も雛季たちだけみたいなの」と、周りを見回しながら雛季。
「お、俺の応援の少なさは今関係ないだろ……」と、ツッコむ。
「ああ、それが相手の犬上なんだが……」と、蒲生が耳をほじりながら言った。
「最近授業にも出ていなかったんだが……」
「そうなんですか?」と、美咲。
「この試合も休み……。で、今ようやく家族と連絡を取って、奴は……死亡したことがわかった」
「……え?」
あまりにもサラッと言った蒲生に、俺たちは一瞬その言葉を聞き流すところだった。
「し、死亡?」
「亡くなっていたんですか?」
「ええ~? 死んじゃったの? 何で?」
俺に続いて琴浦姉妹が問い質し、桜川はわなわなし出した。
「死亡と言ったんだから、わかるだろう? 死んだから、『牙』も除籍だな」
「死亡って、魔獣退治でということでしょうか?」と、美咲が少し血の気の引いた顔で訊ねる。
「いいや。相手は魔獣ではない、人間だ。悪党だな。この前の雨の日らしい。『ゴブレット』内の夜道で急に襲われたそうだ」
「強盗とか、か? それとも……」
魔獣人か?
知能が高く、見た目も生きた普通の人と大差ない魔獣人が、『ゴブレット』内で普通に生活している場合があるなんて話も聞いている。
しかしその場合も、魔獣としての本能……つまり人を殺めるという本能を持ち合わせているらしく、その手の魔獣人も『ゴブレット』内で人知れず殺しを行っているそうだ。
「雨の日の夜だ、目撃者もあまりいなくて犯人は捕まっていない。まぁ、『牙』としては、中央本部の捜査に任せるしかない。ただ……」
そう言って蒲生はそのひげ面をわずかに近づけてきた。
「瀬戸、お前は幸運なことにこの第3戦、不戦勝だ」
「は、はぁ……まぁ、そうなりますね」
「あ~、いいな~、カケル君。勝手に勝ちになるんだ~。1年生の時も相手が休みで勝ちになったよね? ズルいと思うの」と、雛季が頬をふくらませる。
「いや、相手は死んでいるから……さすがにそれで喜べねぇって、気の毒すぎる……」と、俺は言った。
美咲も同感のようで、妹を軽くたしなめる(あくまで軽く)。
ただ、蒲生は何度か小さくうなずいて話を続けた。
「そうだな。琴浦の言った通り、お前は1年次の『個人戦』でも不戦勝で勝ち星を手にしている」
「いや~、不戦勝って、学校側の評価もあまり高くないですよね? それを得たからと言って素直には喜べませんって」と、俺は頭を掻きながら愛想笑いを見せる。
「完敗するよりはマシだ。だから俺は、その点で、個人的に興味を持っている」と、蒲生は眉間にシワを刻んだまま続けた。
「はい?」
「瀬戸。お前は犬上戦に勝利したくて……いや、完敗を喫してマイナス評価になるのを恐れていたのかもしれないが……夜道で犬上を襲うことにした、違うか?」
「はぁ? いい加減にしてくれ、オッサン!」
思わずそう言ってしまって、慌てて口を塞ぐ。
「オッサンとは何だ? 教師に向かって!」と、蒲生が眉間のシワを深くした。
「す、すみません……。しかし、あまりにも突飛なことを言うもんですから……」と、俺は頭を下げつつ言い返した。
「そうですよ、先生。カケル君は……それは、少しずる賢いところもありますけど、成績のために人を襲うようなことはしません」と、美咲がすかさず援護。まぁ、ずる賢いは余計だけど。
「カケル君がやったって思って疑われているの? しないよ、カケル君は。そんな勇気ないし、そんなに強くないから逆にやられちゃうもん!」と、雛季も訴えてくれた……まぁ、だいぶ悪口に近いけど。
「は、はい。私も、やっていないと言えます。瀬戸さんはいつも私たちと行動を……あ、そ、そんな変な意味はないんですが……」と、桜川も援護してくれようとしたが、自分で照れてうつむいてしまった。
「カケル君がするのはノゾキとか……う~」
「いや、もう雛季はいいから! 少し黙ってようか?」と、俺は慌てて雛季の口を塞いだ。
そして、蒲生に向き直った。
「と、とにかく、俺はもちろんやっていません! 調べるなら勝手に調べればいいけど、冤罪を生むようなことだけはやめてくださいよ?」
「そうですよ、蒲生先生。そんな理由で生徒を疑ってはいけませんよ。私たちは中央本部の捜査に正しく協力するだけです」と後ろで聞いていた田野先生が割って入ってくれ、蒲生も苦々しい顔で離れて行った。
「……ったく、俺を目の敵にしているからな」
「まぁ、君が体育で怠けたり遅刻したりするからでもあるでしょう……。とにかく、また生徒に死亡者が出てしまったなんてね」と、美咲。
「こ、怖いですね。でも、今回は『牙』の生徒さんだからというより、街の治安さんが悪化しているということでしょうか……」と、桜川。
「そうだね。夜道の一人歩きは極力避けないと。雛ちゃんも、カケル君も、気をつけてね」と、美咲は雛季と俺の肩を叩いた。
「美咲や桜川も、な?」と、俺は返した。




