第1134話・日常、僕がいる場所
『幻影の世界』1日目の夜、脱出を祈って眠りについた俺……。
「……? んん? ここは!」
目を開くと、やけに眩い。視界が白く、なかなかその場所の輪郭を捉えることができない。目が痛むほどチカチカと明滅もしている。
ただ、テントで迎えた朝……つまり『幻影の世界』の2日目に進んでしまったという嫌な感じは、しない!
テントの中にしては明るすぎるし、徐々に伝わってきた肌感覚から、テントで寝ている時の硬さが感じられず、布団のような柔らかい物に寝転がっていることがわかる。
そして、目が徐々に慣れてきて、壁や天井が見えてくる。室内だ。
俺が寝ているのはやはり白を基調とした清潔な寝具のあるベッドの上!
俺の格好は……白いシャツと黒いトランクス、その上にクリーム色のガウンを羽織っている。これは……いかにも入院時の格好。
ならばここは……。
「あぐっ!」
少し上体を起こした俺は、背中に痛みを感じた。
そこで、右足の斜め先にあったこの部屋の入り口から、まず雛季が顔をのぞかせた。
「あ! やっぱり、カケル君が変な声出したんだ! カケル君、起きてるよ、お姉ちゃんたち!」
そしてすぐに美咲や桜川、鹿角などが入って来た。
「カ、カケル君……」
「あ~、よかったね、美咲ちゃん!」
鹿角や玉城が美咲を囲む。
「アンジェリーヌちゃんも。甦ったよ、カケル君!」
松川姉さんや青葉は、東御の肩を優しく叩く。
美咲や東御の他、桜川や二宮、ミュウまで涙目のようだ。
俺がこの状況を整理している間に、廊下にいたメンバーも時折顔を見せた。美馬さん、安城さん、葉山。そして鮫川と鳩ケ谷だ。
あとのメンバーは『ビッグドーナツ』に帰っているらしい。
「何じゃ、生きておったんか。お前の代わりにワシがアパートに住もうかと考えていたんじゃが……」と、鳩ケ谷は言った。そのセリフがあまりにも『幻影の世界』の彼のセリフと似ていたため、また不安になる。
「俺があの森からここまで担がされたんだ、感謝して、余生は俺のために尽くせよな?」と、鮫川も腕を組みながら言った。口調や態度は、まさしく現実世界の鮫川だ。
「まぁ、目を覚ましたばかりだから、お医者さんにも報告しなくちゃいけないし、話は後からゆっくりしよう」
美咲が泣き笑いのような顔で言い、「美咲ちゃんが一番興奮しているくせに~」などとからかいつつ他のメンバーも一旦医者を待つことにしたようだ。
医者……つまりここは、やはり病院の病室なのだ。
それに、松川さんや玉城などの雑談を小耳に挟んで、『ゴブレット』北部の病院まで連れて来られていることもわかっている。
医者と話をしながら、俺の混乱も特に大きくはないということで、美咲たちメンバーからもこれまでの流れを聞いた。
やはり、俺が魔植物に捕まった鳩ケ谷を救出する際に地面を転がって、そのままその下にいたナイトメア・リバティーンに運悪く呑まれてしまったらしい。
当然、鳩ケ谷に呼ばれた美咲たちが駆けつけて、すぐに魔獣を退治。俺を魔獣の体内から引き出してくれた。
しかし、俺の意識は体から乖離しており、魔獣が創り出した『幻影の世界』をさまようことになる。
その間、本当の身体の方は、拍動があり呼吸もしていたが、何をしても反応がない……深い眠りに陥っているような状態が続いていたとのこと。
安城さんや美馬さんも、ナイトメア・リバティーンに呑まれた者がどうやって目を覚ますのかは知らず、とにかく森を出て、『大型マレンゴ』により『ゴブレット』へ。
その時の中央本部の運転手から、ナイトメア・リバティーンに呑まれた者は被害者自らの意思で戻ろうとしないと意識が回復しないらしいこと、その間、点滴や魔法などで延命を続けることはできるが、結局意識は返らず、待っている家族の方などが根負けしてしまうということがあるらしいことを聞いた一同は、憔悴しながらもこの病院へ俺を運んでくれたのだ。
ここの医師たちも、かつてナイトメア・リバティーンに呑まれた者を連れて来られた経験があるらしかったが、その人は5年経っても意識が戻らず、家族が延命措置を断念した。
正直、ここの医師たちも俺のような患者がまた運び込まれ困惑したことだろう。
『グラジオラス』一同は、俺の意識が戻るまで何年でも信じて待つと決めたそうだが、美咲や桜川たちがその頃のことを思い出して涙ぐんだのを見ると、かなり不安だったのは間違いない。
俺も、あの奇妙な『変化』が次々に起こる世界と、そこをループする状況に何年も置かれていたらと考える。
こっちで眠る身体はともかく、向こうでの心が壊れてしまっていただろうことを考えると、また肌に粟が立った。
とにかく、俺はここで5日間、治癒魔法と点滴をされ、長い夜をさまよっていた。
5日間……そう、たった5日間しか経っていなかったのだ。俺が『幻影の世界』でさまよっていたのはおよそ1カ月ぐらいだから、6分の1しか時が経っていなかったわけだ。
現実の世界に戻って来られた今、それだけは助かったという気分だ。
こっちでの状況を聞いてから、俺が『幻影の世界』で過ごした不可思議な時間を、ある部分は端折って話した。
ある部分……それは混浴が普通になったり半裸が普通になったり、もちろん愛情の表現が過剰・性行為へのハードル低下という『変化』が起きることなどで、そこはオミットした。この場にいる鳩ケ谷が異常な興味を持ち、あえて自分からナイトメア・リバティーンに呑み込まれに行くことも考えられるし。
そこで、話に出した池田さんのことをみんなに訊く。
オッサンは俺と同じナイトメア・リバティーンの個体から発見され、一緒にここへ運ばれていたらしく、一同はすぐにその人のことだと理解した。
「ああ! みんなで運んで連れて来たオジさんだね!」
「雛季は手伝わなかったけどね」と、すかさず鹿角に言われ、雛季は「ブ~」と頬をふくらませる。
「カケル君は鮫川君に負ぶってもらったけど、その池田さん? って人は知らない人だったからね、魔獣の中でカケル君が知り合いになっているのも知らなかったし……だから、持って行っていた簡易の担架に乗せて、みんなで担ぎ手を交替しながら運んだの」
青葉がそう説明すると、安城さんが付け加える。
「鳩ケ谷君が血にまみれた男性を背負うのは嫌だと、断ったのよね。そんなこと言っている場合じゃないのに」
「いや、安城さんや玉城ちゃんたちも無理って言っていたじゃないかい?」と、鳩ケ谷は言い返す。
「それより……」と、俺は言った。
「血まみれ? 池田さん、そんなに傷を?」
これには美咲がうなずいて答えた。
「うん。歯による傷のせいだと思うけど、何かカケル君よりも衰弱していて……」
「そう、だろうな……。その人は俺が食われるよりも前に呑み込まれて、さっき話した『幻影の世界』にも先にいて、一人さまよっていたみたいだ。でも、その人のおかげでこうして戻って来られたと言っていいんだ。で、その池田さんは今、どこに?」
俺は病室を見回した。
俺のベッドとその正面のベッドを除けば、奥に4つほどのベッドがあり患者も二人は姿が見える。
残りの2床はカーテンが引かれていて確認はできないが、美咲たちは頭を横に振った。
「あそこではないわ。その人は別の病室にいるよ」
「……俺より、マズい状況なのか?」
そこで、医者が口を開く。
「身体の方がね。ただ、君と同じように先ほど意識が戻ったみたいだから、あとは治癒魔法を続ければ回復はするだろう。今は安静にしておかなくちゃならないから、君が話したいことがあるなら、早くても明日までは待ってもらわないと」
「そうですか……。わかりました。でも、回復はしそうだと言うことで、安心しました」と、俺は頭を下げる。
「カケル君にとっては命の恩人なんだね?」と、美咲たちが微笑む。
「運んでやった俺も敬えよな」と、廊下から鮫川が口を挟む。
治癒魔法などのおかげで俺の体はみるみる体力を戻して行った。
食欲も少し出て来て、夜に病院から出されたヨーグルトや栄養ゼリーだけでは満足いかないほどだった。
歩行等も問題なく、激しい運動さえしなければ普段の生活が送れる。
と言うことで明後日には退院できることに。それを聞いて、最後まで病院に残ってくれていた琴浦姉妹、桜川、二宮、青葉、東御も安心して『ビッグドーナツ』に帰って行った(ちなみにミュウも残りたそう? であったが、トラヒメの散歩などがあるため他のメンバーと先に帰宅している)。
一人になった俺は、まだ寝るには早いけど、することもなく、病室を出てただ廊下を歩き回ってみる。
すると、ロビーの方で「迎えに来ました~」と数名の男女が患者らしき一人の女性を囲んでいた。
その一団の一部の人間の顔には見覚えがあった。いや、厳密に言えば『現実世界』では知り合ってはいない。しかし、『幻影の世界』では会っていて……しかもそれは『前日』のことだ。
そう、集団の前の方にいたのは、『グア・ハム』のショートカットの女性と、グレーの髪のふくよかな中年女性だったのだ。
数秒見て気づくほど、彼女たちの容姿は『幻影の世界』の彼女たちとほぼ同じだった。
俺は彼女たちのことをこれまで知らなかったし、同じく池田さんが知っていたとも思えない。つまり、彼女たちのことが頭に入っている者が別にいて同じナイトメア・リバティーンに呑まれていたか、あるいはあの魔獣自体が彼女たちと出会って、彼女たちの容姿や性格などを『幻影の世界』に取り込んだということだろう。
それにしては、正確にそのデータが入っているもんだ、と本物の彼女たちを見て改めて感心する……まぁ、もちろんあちらには二度と戻りたくはないけど。
そしてよく見れば、その奥にはなぜか別パーティー『ハイペリオン』の鎌ケ谷さんと色麻さん、川口さんがいる。その後ろにいる2名の者も『ハイペリオン』のメンバーのようで、その特徴である黒いスカーフを首に巻いている。
そうなると……やはり、そうだ。こちらに背を向けていたこの病院の患者らしき女性は、上高井さんだったのだ。




