第1133話・死との約束
水筒を忘れて行ってしまった上高井さん一行を追い、俺が森の中を進んでいると……。
「大丈夫なの、カケル君? 私も行くよ?」と、美咲がすぐに追いかけてきた。
「……さっき鳩ケ谷が言った、『痴漢みたいなこと』を心配してるんじゃないだろうな?」と、俺は歩きながら背後の美咲に言った。
「そ、そんなわけじゃ……。ただ、暗い森の中は危険だから」と、美咲はごまかし笑いを浮かべた。
「ほら、まだ灯りは見えるし……すぐに追いつく。だから美咲はここまででいいよ。すぐに戻るから」
俺は自分の魔溜石ランプを翳し、小走りで前方に揺れる微かな灯りを追いながら言った。
美咲はそれでも黙って15メートルほどついて来た。だが、前方の幾つかの灯りが大きく見え、上高井さんたちの背中に近づけたとわかると、安心したのかそこで止まる。
俺だけ尚も急ぎ足で10メートルほど進むと、最初に長身の女性の背中が見えて来た。彼女が上高井一行の最後尾を歩いていたわけだ。
こちらの気配か、彼女は立ち止まって振り返る。
「待ってください! 水筒! 多分あのショートカットの人のやつですけど、向こうに忘れて行ってましたよ!」
大声を発しながら、彼女に近づく俺。
その声で、さらに先を歩いていたグレーの髪のふくよかな女性が振り返り、慌ててこちらへ引き返して来た。
「ああ、ありがとう! 確かに、あの子の水筒ね。ごめん、わざわざ。私が渡しておくわ」と、ふくよかな女性が水筒を受け取った。そして彼女はまた急いで前方に向き直り、草を掻き分けて進んで行く。
黒髪の大柄な女性も「ありがとう」と小さく言い、前を向いた。
安堵した俺は、「お気をつけて」と彼女の背に言ってから、美咲の待つ方へと踵を返す。
と、そこで後ろから呼び止められた。
振り返ると、黒髪の大柄な女性がこちらに向かって立っていた。いつの間にか、先ほどよりも接近していた。
「あなたたちには、出会ってからずっと感謝しているわ。ありがとう」
「いや~……そんな大げさな」と、俺は少し照れる。
女性は優しく微笑み、続けた。
「あなたたちはまだ若い。振り返らず、前を見て。自分たちの道をしっかり見極めて、ゆっくりでもいい、その道を信じて進んで行きなさい。ずっと、あなたたちの幸せを願っているから……見守っているからね」
「……は、はい……ありがとうございます」
そこで、美咲が俺を呼んだ。美咲の灯りが近づいて来ている。
俺は最後に一礼した。しかし、もう黒髪の女性の方は闇へと消えていた。
俺と美咲でみんなの所に戻り、水筒を渡せたことを報告。
「少し遅かったけど、暗がりでイチャついたんじゃないでしょうね?」と鹿角がにやけて言い、「なぬ?」、「そ、そんなこと美咲先輩は、しませんよ~!」などと鳩ケ谷や二宮がわざわざ反応し、美咲本人も険しい顔で鹿角に応じる。
「当然、違うわよ! 私は途中までで、カケル君だけが先に行ったんだけど、なかなか戻って来なかったから……何をしてたの? 水筒渡し終えてから」
美咲は八つ当たりのように俺へ向けてきた。
彼女が指摘したように、黒髪長身の女性と別れた後、美咲の背を追ったがすぐに追いつけず、結局この広場から木立の中へと少し入った場所で美咲を待たせてしまった。彼女は彼女で、この広場へ向け歩き出した自分の背後を、しっかり俺がついて来ていると思っていたのだ。
「いや、あとからまた呼び止められて、改めて感謝されていただけだよ」と俺は真面目に返したが、美咲の方はまだからかう鹿角や玉城、美馬さんなどを注意していて聞いていなかった。
その後、東御や坂出がカップを片付けるため、立った。
他のメンバーはまた篝火を囲み、ゆっくりしていて、それぞれ手には水筒のコップやマグカップを持っているようだから、東御たちが片づけようとしているのは『グラジオラス』共有のカップ……つまり上高井さんたちが使ったカップだ。最初の『1日目』の時と同じように、彼女たちにもコーヒーを勧め、飲んでもらったらしい。
ただ、東御が一つ、坂出が二つ……二人は計3つのカップを持っていた。
確か、最初の『1日目』では、こちらの勧めるコーヒーを飲んだのは上高井さんと……多分、グレーのふくよかな中年女性だけが飲み、長身黒髪の女性とショートカットの女性は遠慮したはずだ。
「上高井さんたちにあげたコーヒーの、カップだよな?」
俺が座る場所の少し後ろに背嚢が一つあり、そこに洗ったカップをしまおうとしている東御や坂出がいるので、振り返って何気なく訊いてみた。
「そうだよ。淹れてくれたの、松川さんが。飲みたい? 瀬戸君も」と、東御。
「ああ、いや、別に。……じゃあ、残り二人のうち、誰かが飲むことにしたわけだ」と、俺は独り言のようにこぼす。
勧められてコーヒーを飲んだ人が、二人から三人へ。最初の『1日目』の出来事と、本日この『1日目』には、このような些末な違いが幾つも生まれているわけだ。ただそれは、『現実世界』との違いではないため、この『幻影の世界』を抜けるための最後の『変化』5つとは関係ない……と思う。だから、無視していい……はず。
「ん? 残り二人?」と東御の声で、俺は一旦考えるのをやめ、面を上げた。
「まぁ、最初は、苦いのが苦手みたいで、断ったけど、あのショートカットの子……」
「ああ、あの子が飲まなかったわけね」
俺のその呟きに、東御は目を瞬き、横にいる坂出の顔を見る。
坂出が軽くメガネを押し上げ、少し笑みをこぼしながら話を継いだ。
「だから、あの子も飲んだんですよ、結局。松川さんたちが砂糖を多めに入れればおいしいからと勧めて……。苦手な物を飲ませるのは~って、私たちや美咲ちゃんなどが注意したんですけどね。でも、彼女も結局飲んで、おいしいと言ってくれましたからホッとしたんだけどね」
「そう……。じゃあ、あの黒髪の長身の人だけが飲まなかったわけか……」
これも独り言みたいなものだったが、二人は思いのほか目を大きくして首を傾げた。
「黒髪の長身って?」と、坂出が代表して言った。
「いやいや、いただろ? 黒髪の人。筋肉質で、ちょっとおとなしめの中年の女性。カップが3つだけってことは、その人は飲んでないんだよな、って話。まぁ、どっちでもいいんだけどさ……」
「中年の……? あの人は黒髪と言うよりグレーだし……」
「いや、その人じゃなくてもう一人の……え? え?」
坂出と東御の顔が怪訝な……と言うより可哀そうな人でも見るかのような表情になっているので、俺こそ困惑した。
「中年の女性は一人でしょう、瀬戸君? グレーの髪の、少しふくよかな人」と、坂出。
東御もうなずいて言った。
「それに、言っていたけど、飲んでいない人がいると。でも、飲んでいると言っているのに……向こうの三人全員」
「さ、三人で……全員? 上高井さんも含めて? 『グア・ハム』の人が今、三人しかいなかった……と?」
俺は高鳴る胸の鼓動と混乱する頭の中、何とか整理しようと訊いた。
二人は揃って首肯した。
「ずっと三人だったじゃない」と、坂出。
「ず、ずっと?」
「そうだね。ずっと。ぼんやりしているんだよ、しばらく寝ていて、まだ頭が。それに、抜けてしまったし、途中で。だから、勘違いしているんじゃないかな?」
東御も優しく言い、一応納得した様子になってくれたが、俺はもう真相がわかっていた。
この世界の『本当の1日目』の変化によって幽霊が見えるようになっている俺は、やはりさっきまで一人の幽霊を見ていたのだ。
上高井さんのものでも、他の二人の霊でもなく、あの黒髪長身の中年女性の幽霊を……。
思い返してみれば、あの人が最後に俺に声を掛けた以外、誰かに話している場面を思い出せなかった。消沈する上高井さんを慰めるため、優しく肩などに触れていただけだ。それも、俺にはそう見えていただけで、上高井さんからすれば何も起きていなかったに違いない。
先ほど水筒を持って行った時も、一番近くに彼女がいるにも拘らず、少し前を歩いていたグレーの髪の女性がわざわざ近づいて来て俺から水筒を受け取り、持ち主のショートカットの女性に渡しておくと言ったが、グレーの髪の女性にはあの時、俺の姿しか見えていなかったのだ。
そしておそらく、黒髪長身のあの女性が、上高井さんたちが話していた本日この森で命を落としたというメンバーなのだろう。
『白夜』もない、『気温40度近く』でもないし、夜ではあるが、初夏の生暖かい空気がまだ森の中にも漂っている。だが、妙に冷ややかな……魔女の手のような一陣の風が、俺の首筋や腕を撫でて行った。そして、全身が粟立つのを感じた。
亡くなった人の霊を見た。そう言っても、また嗤われるか疲れているのだと言われるだけなので、黙っておいた。
そして、いよいよ眠る時間が近づき、まず雛季やミュウなど年下組や桜川、青葉、東御などが各々テントへと消えて行った。
年上組や旧『メドゥシアナ』、旧『バンクシア』メンバーはしばらく火の周りで談笑をしていたが、そのうち美咲や坂出などもテントに行き、鮫川や葉山が男子テントに向かったところで、俺も眠ることにした。
男子では鳩ケ谷だけが、テンションが上がった美馬さんや鹿角や玉城あたりがセクシーなことをするのではないかと期待しているのだろう、その場に残った。
後からテントにやって来た鳩ケ谷に邪魔されて、『幻影の世界』からの脱出に失敗しないか少し心配だったが、テントで横になり、早くも聞こえ出した鮫川のイビキを聞き流しつつ頭の中で『本当の1日目』の『変化』5つ(ほぼ池田のオッサンが導き出した答えだが)を繰り返し列挙していると、眠りに落ちた……。




