第1132話・落としもの
『幻影の世界の本当の1日目』に起きた『変化』5つを確認し、この世界からの脱出を誓い合った池田さんと俺……。
その時、少し離れた場所が一段と騒がしくなった。
この広場にいた『グラジオラス』一行の話し声だ。特に雛季や鹿角、青葉あたりの声が大きかった。
それを聞き、池田さんは一行のいる場所をしゃくった顎で指した。
「そろそろ戻った方がいいんじゃないか? 君の戻りが遅いから、捜し始めているのかも」
「いや、そこまで時間は経っていないし……。それに、雛季たちの声からすると、何か喜んでいる感じだし……ああ!」
俺はその途中で、上高井さんたちと出会ったことも思い出した。
「忘れていました……。最初に俺が気絶した後からが『1日目』なら、別パーティーの人たちと遭遇したのも、その後でした」
「ああ~……確かに、向こうの人影が増えたようだな」と、池田さんも目を細めて呟いた。
森の中はかなり暗くなってはいたが、一行がいるこの場所には篝火や各自の魔溜石ランプなどがあって、先ほど俺たちがいた木立の中よりは明るい。そのため俺と池田さんも、そこを動く人影がある程度把握できた。
篝火を中心に座っているメンバーが手招きの仕草を見せると、新たに現れた四つの影(上高井さんたちの影)がゆっくりと輪に加わって行った。
彼女たちについても池田さんへ軽く説明すると、オッサンの方は「それなら、君は戻りな」と俺の肩を叩いた。
「これ以上、前の時と違う行動を取って、狂いが生まれても嫌だろう? まぁ、それで5つの『変化』が変わるとは思えないけど、一応、君は前回と同じように過ごした方がいい。あとは眠る直前の『儀式』に集中するだけ」
「え、ええ……。それでは、明日、『現実世界』で……」
「ああ。もしも『現実世界』の俺がヤバそうだったら、できれば助けてやってくれ。なんせ、君より何週間か早く魔獣に食われて放置された状態だと思うからな、君より瀕死の状態になっている可能性は高そうだ」
「わかってますよ。こんなに協力してくれた人だ、命ある限り、できる限り助けますよ」
「まぁ、もう死んでいたら、かなり嫌なことさせることになるけど、『勇者の町』にでも運んでくれ。そこからは、中央本部の奴が『ゴブレット』に運んで、あとは数少ない知人が何とかするだろう……」
池田さんは言って儚げに笑う。
「ええ、任せて……いや、大丈夫ですって! 『現実世界』の池田さんもまだ生きていますから!」と、俺は根拠もなく強く言った。
池田さんは「まぁ、そう願うしかないな」とまた小さく笑い、「じゃあ、明日」と背を向けた。
俺も「また」と返してから、一行の待つこの場所へ歩を送ったわけだが……。
わずか5歩ほど行ったところで、臓腑を突き上げられたように体が引きつけのようなものを起こし、思わず立ち止まってしまった……。
頭の中を巡る、池田さんの先ほどの言葉。
『死んだ連中を見かけている』
同時に、以前見た一つの場面がぼんやり浮かび上がって来ていた……。
『以前』とは、もう数週間前のこと……。みんなとこの森へ入って、ナイトメア・リバティーンに呑み込まれ、魔獣が創り出すこの『幻影の世界』の……『本当の2日目』の朝を、最初に過ごしていた時だ。
目覚めてから、草むらにションベンをしに向かった俺は……落ちているハンカチに気づいた。
その場面は今、やけに白みがかった光景として思い出されるのだが、あの時見た赤い一点だけは、今も鮮やかに思い出されている……。
白いハンカチを染めた、赤い血……。
そして、その端に刺繍された……KAMITAKAIの文字……。
【第1074話・参照】
あれは……何だったんだ?
本当に、ケガで出た血を止めるために使っただけなのか?
まさか……。
俺はたまらず、池田さんに頼ろうと振り返った。しかしもうオッサンの背中は闇夜に隠れて見えなくなっていた。魔溜石ランプを持っているはずだから、その灯りもわからないということはだいぶ離れてしまったということだろう。
まさか、あの上高井さんたちは……この日の『変化』の一つで見えている……霊ってことはないよな?
あの血の付いたハンカチは……とめどなく流れ出る血を必死に止めようとした、最後のあがきの証拠では、ないよな?
上高井さん……。
元・『牙』魔法弓術部部長。真面目で能力高く、凛とした美しい女性。それでいて、謙虚で優しく、後輩思い……。
彼女の凛々しい姿と、柔らかな微笑みを思い出し、胸が苦しくなった。
そして数分後……現在。
俺は考える。
今、俺の6、7メートル横に座る上高井さんたちが、幽霊なんてことはない……だろう。
生きている俺たち『グラジオラス』メンバーとこうして近況を話し合っている。
確かに、本日メンバーを一人喪ったという彼女たちは鹿角や雛季などと比べると表情は沈んでいる……が、明るく励ます鹿角たちのおかげもあって時折笑顔を見せることもあるし、何よりみんなから姿が見えている。
この『幻影の世界』の人間ではない俺や池田さんだけならともかく、こちらの住人であるはずの他のメンバーも普通に接している。
それは、この世界の『変化』で『みんな幽霊が見える』という『常識』になったからでは? とも考えたが、そうではなさそうだ。
俺が鳩ケ谷の霊を見た時、一緒にいた白鷹や目黒さんからそのような反応はなかった。もし『みんな幽霊が見える』という『常識』になっているのだとしたら、あの時の白鷹たちも「幽霊は見えて当たり前じゃない?」となったはずだ。
つまり、『みんな幽霊が見える』という『変化』が起きているのではなく、俺や池田さんのような『現実世界』からこの世界へ引きずり込まれた、ゲームで言うところの『プレイヤー』だけが死者の霊が見えるようになった、という『変化』に過ぎないのだろう。
それが前提ならば、今こうして他のメンバーに認知されて、会話をしている上高井さんたちは、しっかり生きているということだ。
俺の速まった心拍が、やや落ち着いてくる。
それならば、あのハンカチはやはり……。
「……上高井さん。つかぬことをお尋ねしますけど……」と、俺は彼女へダイレクトにあのハンカチのことを訊ねた。
「ああ、あれ……。心配してくれたのね、瀬戸君?」
上高井さんに儚げな笑みを浮かべられた俺は、少し照れながら答える。
「ま、まあ……。それは、魔獣が闊歩するこんな森にあんな血の付いたハンカチがあれば……」
「ありがとう。確かにハンカチは私の物だけど、あれは私の血ではなく……」
上高井さんは一度視線を自分の膝辺りに落とした。
他の『グア・ハム』メンバーもそれぞれ顔を伏せたように思えた。
それで、その先の上高井さんの答えは推し量ることができた。
一方、『グラジオラス』メンバーの一部も続きを察し、俺へ咎めるような顔を向けてくる。
俺たちが思った通り、上高井さんは言葉を紡いだ。
「先ほど話した、命を落とした女性メンバーの血なの……。私も含め他のメンバーが全力で治癒魔法をしたけど、彼女の負った傷口は大きく、塞ぎきれなかった……。血も、止めどなく流れて……ハンカチなんかで押さえても意味はなかった……」
上高井さんが両手で顔を覆う。その震える肩を、隣に座っていた長身の黒髪女性がさする。彼女も沈んだ顔だが、他の2名も目頭を押さえ涙ぐむ。
やはり、そうだったのか……。
『幽霊が見える世界』になっているとわかって急に上高井さんの命が不確かに思え、悪い想像をしてしまったが、あれは亡くなったメンバーの血だったのだ。
もちろん、その人にも大切に思う人、思われる人がいるわけだから、全然嬉しいことではないのだが。
「上高井さん……。先ほど私たちも言いましたが、あまり自分たちを責めないでください」
美咲が声を掛け、安城さんも(彼女は上高井さんをあまり知らないが)続けて慰める。
「そうね。魔溜石を採取に来る魔法剣士、魔法弓士なら……いや、この星に生きる者ならみんなと言っていいかな? みんな、魔獣によって唐突に命を奪われてしまうことがあるわ。私も元・『バンクシア』というパーティーのキャプテンだったけど、そういう辛い経験もしたわ」
葉山、本庄さんや諏訪姉妹が一様にうなずく。
「亡くなってしまった彼らのことを、助けられなかったという後悔よりも、私たち残された者はそのような不幸をできるだけ起こさないために、より慎重に、強くなって、彼らの分も幸せに生きていくのよ」
他の者たちも首肯し、あるいは慰めの声を発した。
この安城さんの言葉や他の者たちの言葉は、魔獣・ナイトメア・リバティーンが創り出した世界で生きる仮の住人たちの言葉(魔獣の意思の代弁)としては奇妙に思えるが、『この世界』に閉じ込められている『現実世界』の住人の俺(あるいは池田さん他)の意思も少なからず反映されているとすれば、至極真っ当な意見だ。おそらく、他の場面でも度々感じたように、俺たちの意思も勝手に汲み取られ反映されているのだろう。
「……ありがとう、みなさん。確かに、そうですね」と、上高井さんは言った。
「私たちがいつまでも悲しみ、悩み苦しんでいたら、あの方も安心して天国に行けないですよ、キャプテン」
彼女たち一団の右端に座るショートカットの若いメンバーが言った。
ふくよかな体型の、グレーの髪の女性も、上高井さんの肩をさすりながら付け足した。
「そう。もちろん、しばらくは彼女のことを思い出しては胸が苦しくなるでしょうね。悼む気持ちは大事だし、いつも心の中には彼女がいるでしょう。それでも、残された私たちはいつまでも立ち止まってはいられない。命を落とした仲間が、空から安らかに見ていられるように、私たちはまた歩き出すのよ」
「……はい、そうですね。本当にありがとう、みなさん」
目を潤ませた上高井さんはパーティーの仲間、そして俺たちの方を見てから、力強くうなずいた。
その瞳に魔法弓術部部長だった頃と同じような、静かな、しかし凛凛とした炎が宿ったように見えた。
俺も安堵した。上高井さんは生きている、そして悲しみに打ち克つことができる人だと再確認できた。
彼女はまた強くなるのだろう。
しばらくして、最初会った時そうだったように、上高井さんたち『グア・ハム』の面々は『ゴブレット』へ帰るため歩き出した。
闇に溶けていく彼女たちの背に向け、雛季や青葉あたりがまた別れの声を掛けた。
彼女たちの持つ灯りも徐々に小さくなると、鳩ケ谷や鹿角が俺に文句をぶつけ始める。上高井さんたちを励ましていたのに、俺が途中でまた血染めのハンカチの話を持ち出したことに対して。
ただ、それを制するように宇佐が声を発した。
「あっ! これ、水筒を忘れてんじゃん! あの子たちのでしょう?」
「多分、ショートカットの子のやつですね。話している途中で何度か、中を飲んでいましたから。足元に置いたまま忘れたのでしょう」と、坂出。
「まだ、遠くには行っていないかな?」
「そうネ。届けに行くナラ、今シカナイ!」
広尾に次いで玉城が言い、メンバーの視線はなぜか男子の俺たちに多く集まった。
「忘れた奴が悪いだろ? そのままにしておけよ。たかが水筒だ。ゴッホの幻の絵とかってわけじゃないんだからよ」
鮫川はそう言って、動かない。
鳩ケ谷も家来のような愛想笑いを浮かべる。
「そうじゃな。すぐ『ゴブレット』に戻るんじゃし、飲み物が絶対必要ってわけでもない。仮にとても大事な物じゃったら、向こうが戻って来るんじゃないかの? ハハハ」
「森の中をちょっと進むのも怖いんだろ、鳩ケ谷? まったく、ほんと、お前ら二人は……」
「何だ、瀬戸。それなら、お前が届けろよ?」と、鮫川が顔も向けずに言い返す。
「そうじゃよ。ああ、でも、暗いからって、どさくさ紛れに痴漢みたいなことすんなよ?」と、鳩ケ谷も偉そうに続いた。
「お前じゃねぇんだよ」と、彼らを睨む俺に、水筒を持った宇佐が近寄って来る。
「じゃあ、頼める、カケル君?」
「早くしないと、追えなくなってしまいますね……あ、ごめんなさい、急かしているようで……」と、桜川がはにかむ。
「……わかった。すぐ行くよ」と俺は素直に宇佐から水筒を受け取り、上高井さんたちが進んで行った木立の方に小走りで進む。




