第1112話・エスケイプ・フロム・トゥモロー
走る牛車の荷台から池田さんが最後に叫んでいたが、車はそのまま彼を連れ去ってしまった。
俺が最後の言葉を聞き取ったか気にした池田さんが車を降りるか、車を引き返させるかして戻って来てくれる……そう思ってその場に3、40分待ってみたが……来なかった。
池田さんも、連れの2人の女性を待たせて不機嫌になってもらっては困るのだろう。
まぁ、それならいい。
オッサンが最後に叫んだことは、何とか聞き取っていた。
池田さんは、彼にとっての本日6日目の残り一つの『変化』を叫んで教えてくれたのが、それは『知り合いが坊主になっている』というものらしい。
それがわかって、自分の方の残り一つの推測が補強された。
『諸塚が坊主頭になっている』
これは当たりだったようだ。
もし今日、わざわざ『牙』の寮まで確認しに行っていなかったら、この『変化』に気づくことはなかったに違いない。
逆に、このモブキャラ・諸塚くんの髪型の『変化』という、およそ興味の湧かない事柄を奇跡的に拾うことができたことは、俺を大いに安堵させた。
『ビッグドーナツE』に帰ると、中庭の出店は撤去され、代わりに母娘や年寄りが寝るためのテントが張られ始めていた。
そして部屋に上がると、『グラジオラス』メンバーが安堵のため息と叱責の言葉と共に迎えてくれた。ちょうど美咲たちもつい先ほど、一旦帰って来たらしい。
「お兄ちゃ~ん! 遅くまで、ダメじゃんか~」
「し、死んじゃったかと思いました……」
雛季をはじめとした『妹』たちや桜川が、泣きそうな顔で駆け寄って来た。
「す、すまん」
「美咲ちゃんと東御ちゃんにも謝りなよね? 一人出かけたきりなかなか帰って来ないから、二人とも顔を真っ青にして心配していたんだから」と鹿角が含み笑いをして言うと、美咲は眉根を寄せた。
「い、いつ、誰が顔を真っ青にしたのよ? そ、それは、子孫として心配したけどね!」
そう言った美咲の紅潮した頬に、少し光るものがあったのは気のせいか?
東御も緊張がほどけたような顔で続く。
「う、うん、そうだね。でも、まぁ、瀬戸君。言っておいた方がいいよ? 美咲ちゃんたちには。遅くなる時は、こんなに……」
「あ、ああ……すまん」と俺は頭を下げてから、「色々調べることがあって」などと言い訳がましく言った。
「あ、でも、もう大丈夫だから! もうどこも行かない。みんなの傍にいるぞ! ハハハ」
「……何か変なテンションだね」と、美咲。
「『神々』にデモ行ったんじゃナイノ?」と、玉城も怪しむ。
だが、もう適当でも嘘でも何でもいいし、怪しまれてもいい。この日、そしてこの『世界』から抜け出すのだ!
この後、ほうれん草パスタ(ベーコンなどはなし)を食べた。
『神々』内での食べ歩きでお腹は空いていなかったのだが、またその辺を蒸し返されるのも面倒なので、夕食を無理に腹へ押し込む。
そしてその後、歩き回って疲れていたので、自分の布団の上で一休み。賑やかに遊ぶ女子を横目で見ていた……と言うか、この半裸状態も今日で終わりなんだな、などとしみじみしながら見ていた。
途中で妹たち(浅川、小牧、ミュウ)が「おにいちゃ~ん、疲れてそうだね?」などと寄って来て、脚のマッサージをしてくれた。
しかし彼女たちも半裸に下はショーツとも言えるような薄手の短パン。そして無意識的に鼠径部へ手を伸ばされると、俺の『息子』の方が怪しくなってしまう……。
それに気づいて顔を赤くした浅川と小牧に、「……ちゃんと、美咲ちゃんたちにシてもらった方がいいと思うよ? こんな風になると痛いんでしょ?」、「エッチできれば、治まるんだよね? それなら、シた方がいいよ」と指摘された。
ミュウは恥ずかしそうに俯いていただけだが、トラヒメが喋りながら動き出す。
「ボクが伝えてくるよ。カケルのそれがそうなっているところは見るに堪えないからね」
「いや、待て、トラ!」と、俺はトラヒメのプリケツを押さえ込んだ。
「あ、後でいい。今疲れているし……って言うか、お前が急に喋ると未だに驚くんだが……それに、結構きついこと言うじゃないの、トラヒメ君?」
とにかく俺は浅川たちにも同じように説明して、今は休養の時間に使った。
それから美馬さんや安城さんたち隣室の者も加わって、入浴タイム。
入浴は男女で分かれることはないという習慣は『4日目』まではあることがわかっていて、今夜が最後と言うわけではないので無理して彼女たちと一緒に入ることはなかった(『神々』でも入っているし)……が、まぁ、帰り道で汗も掻いたし、清潔にして損はない。
と言うことで、篠山佳織を除く『グラジオラス』の女性ほぼフルメンバーと、大浴場で入浴。いろいろと堪能した。
部屋に戻ってからも、美馬さん、松川姉さんたちから誘惑され、そこへ玉城や中間や宇佐らも加わり、鹿角や安城さんは美咲や青葉たちを誘い、乱れた夜へ突入。
美馬さんたち隣室の者たちは一向に戻らず、そのままこちらで寝ることに。
それぞれの布団はあってないようなもので、みんなが身体を絡めるようにして横になり、徐々に疲れてそのまま寝る者が増えていき、11時過ぎまで騒がしかった。
風呂に入ったのに、俺の上半身はまた汗やら何やらで濡れてしまった。
とにかく俺は『冷蔵庫』の麦茶をゴクゴク飲んで、一度小便に行ってから、自分の布団に入る。
そこで、美咲がすでにスーピーと鼻を鳴らして寝ている妹の腕を払いのけてこちらへ転がって来る。
「カケル君、大変だったね……お疲れ様。でも、楽しそうだったし、気持ちよさそうだったね?」
「な、何のことだよ? 美咲まで誤解を招くような言い方しないでくれ……」と、俺は顔が熱くなるのを感じながら返した。
「どうだか……。でも、その……」と、床に頬杖を突いた体勢で視線を乱しながら、美咲は言う。
「な、何だよ?」
「その~……。私は鹿角さんたちに絡まれてばっかりだったからさ……今度は、カケル君……。いつか、私と、シようね?」
「ううっ」と、俺の方が恥ずかしさで顔を覆った。
「そ、それじゃあ、おやすみ!」
美咲は顔を赤くしたまままた転がり、妹の横にピタッと体を寄せ眠りに入った……と言うか、こちらに背を向けているので、まだ恥ずかしくて狸寝入り……英語で言えばFox Sleep(キツネ寝入り?)をしているだけかもしれない。
この美咲の言葉で、静まっていた心臓の鼓動はまた少し速まり、今夜が『愛情表現が過剰』になった6日目の最後、どうせ『幻影の世界』でもあるし、彼女の気持ちに応えておこうか……などと煩悶し始めたが、俺の足元にあるケージで丸くなっているケルベロキャット(今はカンナが主体)が声を発し、俺は我に帰った。
「カケルさんも、早く寝た方がいいですよ? もう0時近いです……おやすみニャさい」
そしてカンナも目を閉じた。
「0時近い……確かに!」
危ない、危ない。今日起きた『変化』を繰り返し念じながら、寝に入らなければ、5日目に戻れない!
カンナにそのつもりはなかっただろうが(もしかしたら前に感じたように、何か動物的・魔獣的な勘で言ったのかもしれないけど)、そのことを思い出させてくれたカンナに感謝しつつ、俺も目を閉じた。
そして本日から起きた『変化』5つのことを繰り返す……が、昨夜やその前よりも雑念(卑猥な情景)がすぐに頭の中で膨らんでいき、何とかそれを頭の隅へ押し込み、『変化』について考え込むようにする。
だが、メンバーの、速見先生たち女教師の、月形さんや水巻さんたち、白鷹や目黒さんたち、星野さんや『黒衣の花嫁』メンバー、街行く若い女性たちと熟女たち、たくさんの女性たちの裸身が増殖し、気づけば桃色の世界が頭を占拠している。
『無』になろうとすれば、『無』にはなれない。
だから、女性たちのことは極力小さく、解像度を低くし、頭のどこかへ流せ。
俺の中の快川紹喜が言う。
『安禅必ずしも山水を須いず……心頭滅却すれば火も自ずから涼し!』
そして……しばらくまた女体に振り回されつつも、0時直前、5つの『変化』を繰り返し思い浮かべていた俺の意識は、底なしの水たまりに嵌ったように、眠りの底へ落ちて行った。
**************************************************
朝……。
本日は暑さや明るさというよりも、女性たちの声で目を覚ました。
と言っても、俺があくびをしながら上体を起こした時、雛季や桜川や青葉たちはまだ眠っていたし、真面目なメンバーであるはずの美咲や坂出もまだ布団の上で横になっていた。
でもそれは構わない。うまく5日目の朝に戻れていても、午前中はみんなダラダラするという習慣に変わったのは4日目だから、まだみんながこの時間にルーズでも問題はない。
ただ、松川姉さん、広尾、亀岡さんや本庄さん(本来なら隣室の住人)など一部のメンバーは起きていて、玄関横のソファーなどで朝食を取っている。
その朝食が魚や肉であれば、6日目以降に加わる『人が肉や魚を食べなくなっている』という変化が起きていないことになるので、本日は『この世界』の5日目に逆戻りしたという確証を得られ、俺もその時点で安心できたのだが、一見して彼女たちは甘いケーキやドーナツしか食べていない。
俺は隠れるように舌打ちした。
だが、『朝食は甘い物』という習慣が生まれるのも4日目からなので、『5日目へ逆戻り』は成功している可能性はまだまだ残っている。
自然と恐る恐るという動作になってしまうが、俺はゆっくり立ち上がり、トイレへ小便に行ってから、部屋に戻り、ソファーに近寄って行く。
そうしながら、暗澹たる気持ちになっていた。
実は、トイレで出す物を出した途端に新しい一日へのスイッチが入った俺は、ショッキングなことを思い出したのだ。
『5日目へ逆戻り』しているのなら、メンバーは上半身裸じゃないんじゃないか?
男女問わず『この世界』の市民が上半身に何も身に着けなくなったのは、6日目以降なはずだ……。
トイレ前に視認した女性たちは、多くが上半身裸だった気が……いや、美咲や東御や桜川は布団でよく見えなかったし、坂出や浅川たちも二段ベッドで寝ていて格好まではわからなかった。そしてソファーにいた広尾、亀岡さんや本庄さんの胸は何かで覆われていた気がする。
だから俺はわずかな希望を持って部屋に戻って来たのだが……広尾たちは肩にスポーツタオルを掛けていて胸が隠れているだけだった。
その横にいる松川姉さんや、台所の方にいる中間と宇佐は、やはり思いきり、それぞれがその豊かな乳をさらしていた。
そうなると、もう左手のカーテンの隙間から見えている窓の外の違和感も、起きてから最初に見た時よりも鮮明に思える。
俺は自分の布団の上に載って、カーテンをより大きく開いた。
「空が……」
空の色がやはりいつもとは違う、黄緑色だった。
この『現実世界』の『惑星サライ』では、地球ではあまり見られない色の空の時が稀にある。夕焼け時に、オレンジよりも桃色がかった空になったり、地球でも黄ばんだような空の時はあるが、それよりも濃い黄色の空だったり。
ただ、ここまではっきりした黄緑色の空は初めてだ。
実は起きた時に一瞬、視界の端でこの空の色を捉えてはいたのだが、あえて直視はしなかった。そんなはずはないだろうと自分に言い聞かせ、トイレへ向かった。
だが、やはり起きていたのだ……。『変化』が……。新しい『変化』……7日目へ突入したことを知らしめる『変化』が……。




