後編:新しい人生を自分なりのイージーモードで歩みたい
視力は、鑑定後五分くらいで回復したが、明日改めて認定所へ行くことになった。
花妃莉は、現在、住まいである養護施設に、如月の運転する車で向かっていた。
「疲れてない?」
如月の気遣いが車の中に優しく響く。
「はい。びっくりしましたけど…」
自分自身の鑑定結果、スキル使用時の失明など、色々ありすぎたが、疲れてはいない。
「曖昧な記憶については、明日、相談役に聞きましょう」
まだ硬い花妃莉の口調に、如月は気遣わしげである。
しかも、明日も同行してくれるようである。
花妃莉は、ひとりで大丈夫と言えない不得手さがこの世界にはあった。
ありがたいことである。
花妃莉を思ってか、車の中は心地よい静寂とたまにの会話があるのみであった。
そして、思いのほか、目的地は近かったのか、車がすっと止まる。
その場所は、左右に白い岩から削り出したような石柱が置かれ、頑丈そうなアイアン製と思しき門扉は優美な唐草模様があしらわれ白く塗られている。
門は、左右の幅の広さもさることながら、高さも花妃莉が見上げるほどであった。
しかも、右の柱に『天照・布刀玉寮』と縦に毛筆調で造られた館銘板が埋め込まれている。
センサーがあるのか、その門がゆっくりと開いて行く。
車が速度を落として通るとても長いアプローチの左右には、庭園のような風景が広がっていた。
さらなる先で出迎える『寮』は、壮麗な城である。
呆然と見上げるそれは、一見、最高級のコンセプトホテルにしか見えない。
「花妃莉?右奥から六階に上がってね。部屋の鍵は、顔認証だから大丈夫よね。困ったら二階のギルド事務所の方にいるから、遠慮しちゃだめよ」
大学進学に合わせて、四月一日から、現在の個室に移動したことを車の中で、聞いていた。
花妃莉は頷くと寮の一階で、如月と別れた。
そして、部屋にたどり着けば、寮の外観から想像できる範囲を超えた豪華な……客室が広がっていた。
ホテルの部屋紹介で見るメゾネットタイプを彷彿とさせる雰囲気である。
入口はやや段差があり、白のふわりとしたスリッパが置かれていた。自分自身の趣味であろうか。
余談であるが、この部屋は、エレベーターで六階という場所にある。さらに広いエレベーターには最大定員二十四名と書かれていた。
養護施設という名の上流階級子女の隔離施設ではあるまいか、と花妃莉の脳裏に過るが、少なくとも自分自身はソレではないはずである。
スリッパに履き替え、見渡す部屋には、広いだけあり一般的なサイズより大きな机、椅子も今日見た重役椅子を彷彿とさせる代物が目に入る。
八十型はありそうな液晶テレビ、その前に据えられたソファーは布製であるが、きっと安くはない。
だが、ベッドがない。別室がありそうである。
室内には廊下以外に続く扉が三つ。
入口近くの扉を開けば、トイレであった。
タンク式ではあるが、ウォシュレットが完備であり、操作盤は壁面に独立して付けられ、その内容は細かい。
お高いんでしょ、という通販番組の女性の声が、花妃莉の脳内を木霊した。
気を取り直して、その隣の扉を開けるとパウダールームであった。
等身大の鏡もある。その奥には、乳白色のガラスに覆われた扉がある。風呂だろうと予測できた。
花妃莉は意を決して、鏡の前に立った。
現世の自分の姿に、キチンと向きあった瞬間であった。
「まつ毛なげー。ばっさばさかよ…」
見落としていたところに視線が行く。
そういえば、外でも部屋でも目元に影を感じたのはこのまつ毛のせいかと、納得する。
気を取り直して、ゆっくり眺めれば、記憶がざわりと動いた。
知らない、だが、それだけではない自分。
容貌は、あの時確認した通りであるが、スタイルも大分いい。
「足が、新人類だな…」
最早、なげぇ、という言葉さえ出なかった。
肩よりやや長めのふわりとした髪は黒というよりは、焦げ茶色よりやや明るめである。
そして、自分自身の欲目ではなく、美女である。
好みという趣向を介さない圧倒的な美貌だ。
動画で美人や可愛いが氾濫していた前世を思い返しても、ひれ伏す勢いだと思う。
この美女を前にして、鷹司と真田はあの場所では平常心を崩さなかった。花妃莉が二人に持つ印象は異なるが、社会人としての態度に関しては、二人ともプラスとしか言いようがない。
自分自身を認識し直して、花妃莉はパウダールームを後にする。
少し離れた三つ目の扉を開けば、これまた広いベッドルームである。
「贅沢だろ…」
身の丈に合わない。それが、花妃莉が感じたこの部屋と自分自身の評価であった。
花妃莉は息を深く吐くと、踵を返した。
おもむろに机に近づけば、花妃莉が想像する学生らしい教科書やノートがブックエンドに挟まって並んでいた。
花妃莉は、長く息を吐き出しながら、適当に教科書へ手を伸ばし、パラパラとめくってみる。
そこには謎の言語が存在した。表紙を見れば、畑違いの『化学』だった。一人納得し、『精選・古典探求・古文編』と書かれた教科書を手にとった。
ぎりぎり何とか読める程度であった。
文系であっても、非常に困難な大学生活になったであろうことがわかる厳しい現実と向き合った束の間の時間であった。
「生きづれぇ…」
花妃莉は、世知辛いの実体験真っ最中であった。
転生での有難味といえば、驚くほどの美貌、だが、おっさんの精神にとって何の足しにもならない。
覚醒能力が鑑定で、危険地帯がやや遠いこと、だが、車内できいた疲労の蓄積問題がある。
そして、養護施設が、学生でなければ居られない現実。
この歳で、また勉強か、と花妃莉は思っているが、現世は十八歳であることを失念していたのであった。
とりあえず、とりあえずであるが、花妃莉には、現世知識が必要であった。
正しく、おっさん語録でいうところの、なるはやで、現世の記憶を取り戻すことが、急務である。
前世の知識も、小説も漫画もアニメもドラマも、ありったけの知見をかき集めても、この現実は、合致しないことが多すぎるのであった。
** *** **
今朝、花妃莉は、夜同様に設置されているボディーソープで顔を洗い、タオルでごしごし拭くという暴挙をした瞬間、如月が訪ねてきた。
手入れの行き届いていない状態で、はーいと出迎えれば、拭きすぎて赤くなっている顔を見咎められ、手入れの仕方のレクチャーを受ける始末であった。
元々手入れが最小限だったのか、化粧水、美容液、クリームときて、日焼け止めであった。全て、パウダールームに順番で並んでいる。
おっさんでも覚えられる範囲である。
とはいえ、認定所についても、今朝の手入れ順を脳裏で反芻しているあたり、容易くはないのであろう。
今日も千種が案内をしてくれるのか、如月と三人で認定所の三階に踏み入れた。
思いのほか端まで歩き、数回のノックとともに、返事を待たずに千種が扉を開けた。
中は、小さめの応接室といった風情であり、照明が点いていたにもかかわらず、誰もいなかった。
奥側に座るように、案内され、如月と共に座った。
そして、扉を開けたままで、向かいに千種が座り、手元のタブレットを確認しながら話始めた。
「今日は、九時から、こちらの部屋で相談役と面談をしていただきます」
予定を一つ区切って、花妃莉と如月を見た。同意を伝えるために頷くと続く予定がわかる。
「十時に、別の鑑定士に会って鑑定を実施します。その際は、真田も同席しますので、ご承知おきください」
頷きながら、花妃莉は、開いたままの扉の先に、ノックをしようと手を握っている壮年の女に気づく。
黒髪に多めの白髪が混じり、後ろで結っている。
パリッとした制服を纏っていた。
ノックとともに、ほんのり笑みを乗せて女が入ってくる。
「皆さん、おはようございます。本日の相談役を務める多岐川と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げる女に、花妃莉と如月、そして千種が立ち上がる。
「天梨です。隣りが付き添いの如月です。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
花妃莉は、身振りで如月をしめしてから、背筋を伸ばし、腰から頭を下げた。
「多岐川さん、終えられたら、チャットをお願いします」
多岐川がひらひらと手を振ると、千種は、花妃莉を見た。
多岐川と千種は中々気安い間柄なのかもしれない。
「私は一度席を外しますので、また後程参ります」
離籍を告げると、千種は会釈をして、部屋を出て扉を閉めて行った。
「さて、座りましょうか」
多岐川は、花妃莉の前に座り、タブレットをつける。
「では、始めますね。昨日、覚醒認定されたようですね。何か不安や、困りごとはありますか?」
相談役と対面での会話は、花妃莉にとって初めてのことである。
花妃莉は、如月をチラリと見た。すると、こちらの不安を感じとっていたのか、如月が花妃莉をみていた。
如月は、口元を微かに上げ頷いた。
それに後押しされて、花妃莉は口を開いた。
「実は、記憶がはっきりしなくて、結構長い期間といいますか。大学の勉強や覚醒という社会的な現象とか、色々遠いんです」
前世の記憶が、などと言えるわけもなく、記憶がないとは言わずに、遠いと表現した。
「それは、不安ですね。覚醒熱の後は、そういう症状がでる症例もありますが、回復期間は断定できません。ただ、戻らないことは今までの記録ではありませんので、安心材料になればよいのですが…」
多岐川の表情に驚きは浮かばず、症例の説明も特別感がない。
多くはないが少なくもない症状なのかもしれない。
花妃莉が如月と顔を見合わせると、如月の目元が優しく下がる。
「戻るなら…」
多岐川も頷いている。
覚醒の発熱のせいで記憶が遠いわけではないのだ。
花妃莉は、申し訳ございません、と謝罪したい衝動を抑えながら殊勝に頷き返す。
「ただ、大学は差し迫った問題かもしれませんね。講義はこれからでしょうが、始まってから考えられますか?」
一度、カリキュラムを決めて、講義を受けて見ようか。
異次元の言語が、日本語として認識できるのか、悩ましいところである。
如月は、そっと花妃莉の手を握った。それをぎゅっと握り返す。
「覚醒者は一年の休学が許されています。そちらの申請をご案内しましょうか」
長く悩む花妃莉に、多岐川は別の解決策を示す。
休学をした花妃莉は、学生として認定されるだろうか。
養護施設は、大学生の間しか居られない。
「私は、養護施設に居ますので、それだと出なくてはいけないかと…」
小さく呟くと、如月と多岐川、二つの声が否定した。
「あらあら、同時に…。安心してくださいね。出る必要はないですよ。休学中も学生証は有効なんです。天梨さんは国立大学ですし、授業料は全額免除になりますね。実は私立でも覚醒者の休学は全額免除なんですけどね」
多岐川は、クスリと笑った。
とはいえ、一年の休学で記憶がどうにかなるとは花妃莉には思えなかった。
「休学中は、この認定所で働くこともできますよ。国家公務員の身分も与えられますし、記憶の遠さが長引くなら覚醒者専門大学への進学も視野にいれるのもいいかもしれませんね」
急な情報に、花妃莉は一つ一つ吟味する。
「えっと、アルバイトのような感じでしょうか?」
ついつい国家公務員に飛びつきたくなるが、情報整理が大事である。
「天梨さんは、鑑定を覚醒されましたし、この施設ではとても募集している職種なので、正規雇用になりますね。もちろん人事部門への通知が必要ですが、特別処置で採用は確実ですよ」
試験もなく国家公務員。花妃莉からすればイージーモードが急に開けた瞬間だった。
「覚醒者専門大学って何ですか?」
多岐川が、じっと花妃莉を見つめ、如月にも視線を向ける。
常識の部分に抵触したのかもしれないと、花妃莉は思った。
「記憶が遠いのは、かなり深刻かもしれませんね。覚醒者専門大学は、覚醒者が通う国立大学ですよ。亀裂の攻略や亀裂産の物での生産、覚醒者に関することを学ぶ場所で、通常の大学で学ぶ一般教養も講義に含まれてるんですよ」
つまり、記憶が遠いなら覚醒者専門大学がおすすめであるということであろうか、と花妃莉は思う。
「実は、認定所の実務が単位になるので、おすすめの進学先です。入学もこの時期なら、来年を待たずに可能ですしね」
花妃莉は、まてまて、と自分自身を落ち着かせようと内心呟いた。
これこそ都合が良すぎる話である。
「在学されている大学ですが、退学されても、三年次の編入が可能ですよ。ゆっくり考えてくださいね」
多岐川が、さらに好条件を上げてくる。
新手の詐欺でもここまで好条件はないだろう。
「…つまり、今の大学は退学しても、覚醒者専門大学を卒業していたら編入ができると?」
この理解、本当に都合が良すぎるかもしれないと、多岐川の言葉を詳しく引き出すことにした。
「ええ、三年次編入が可能ですよ。もちろん受験はありますが、三年次編入の条件に、覚醒者専門大学卒業者も該当していますね」
間違いないようである。
「そうなんですか」
花妃莉は、納得するように、小さく言葉を吐き出した。
「編入については、卒業後十年以内となっていますが…」
「十年……」
猶予期間を脳裏で噛み締める。
「それと、天梨さんは有利かもしれませんね」
元々編入予定の大学へ通常の入試で合格し、現在在学しているからだろうかと、身を乗り出す。
「私が、有利ですか?」
「ええ。鑑定という、理系分野の分析にも適性を発揮しやすい覚醒能力ですから。専門大学での成績次第では、さらなる特別枠をいただける可能性もありますよ」
まさかの鑑定能力による特別枠である。最早、退学を後押ししているとしか思えない状況であった。
握り続けている如月の手をさらに強く握る。
人物鑑定以外の鑑定能力がなければ、現世の記憶が統合されたときに、勉学に励もう。
如月を見れば、好きにしていいのよと言ってるような穏やかな表情である。
花妃莉は決断した。
「……特別枠。……現在の大学は退学しようと思います」
ゆっくり考えて良いといわれているのに、花妃莉はすんなり、その言葉が出た。
「よろしいんですか?ひと月くらいご考慮いただいて大丈夫ですよ」
多岐川の眼差しに微かな憂慮が映る。
悩み過ぎると、思考の迷路に入る事柄は、打算と決断が握手した時に、表明する方が良い。
「はい。必要になったら、その時に編入試験を受けます」
多岐川は、花妃莉をじっと見つめて、その瞳の強さに憂いを消した。
そして、隣にいる如月に視線を移し、頷きあう。
「では、覚醒省の職員としての採用について、人事部門へ通知しておきますね。帰宅時には、覚醒者専門大学の入学書類一式をお渡しできるようにしておきます」
花妃莉は慎重に顎を引いた。
多岐川の知識の引き出しの口車に乗ったわけではない、はずである。
皮算用かもしれないが、十年ある。十年あれば、現世と前世の意思の折り合いがついているだろう、と花妃莉は考えた。
未だ遠い現世の自分と、前面に出ている前世の自分。
今の俺は、前の私の可能性を残しつつ、未来に進む。
花妃莉が、その線引きをした瞬間であった。
** *** **
パチンッ!部屋に厳しく響く音がする。
花妃莉は、どこかで聞いたような、と考えるが思い至らない。
「え?鑑定が発動しない…」
花妃莉の左手に触れているのは、鑑定士の女、行野である。
やや茶色に染めた髪は、ゆるく後ろに束ねられ、自分を美しく見せるのに慣れている気配である。
藍色の制服もよく似合っていた。
一言でいえば美人、花妃莉の好みでいえば、可愛い系の如月の方が好感度が高い。
話では、行野は、真田より属性等級が上のA級であった。
昨日と同じ部屋で、今は、花妃莉、真田、行野の三人で、別室で如月と千種が待機している。
行野が何度か試しても、パチンッ!という音とともに鑑定は発動しない。
真田は、花妃莉と行野の触れ合っている手を凝視していた。
行野の視線は、困ったように花妃莉と真田を行ったり来たりしていた。
「行野さん、ありがとう。相性がよくなかったのかもしれないね。申し訳ないけど、次の業務へ向かってくれるかな」
真田は、行野に労わるような視線を送り、退出を促した。
花妃莉は、真田の言い回しにピンとくる。自分も使ったことがある流れである。
経験が足りなかったり、能力が足りなかったりする場合に、否定するのでなく、やんわり伝える「相性」である。
行野は、腑に落ちない雰囲気のまま、表情を変えずに、部屋を出ていった。
退出の言葉もお辞儀もない。
教育案件であるが、花妃莉の仕事ではないのは確かである。
「天梨さん、せっかく再鑑定に来てもらったのに、申し訳ないね」
そこには、鑑定の不発以外に、行野のマナーについての謝罪もあるように思った。
花妃莉は、何て答えるべきか悩み、頭を横にふることで、その場を逃げる。
「相性で鑑定できない、という記録はないんだ。ここからは完全に私の予測なんだけど、天梨さんが、鑑定というスキルを認識したことによって、昨日鑑定で表示されなかったパッシブスキルの何かが発動した可能性もあると思うんだ。鑑定で判明ができていないけどね。」
問題は、何がトリガーになって鑑定が発動しなかったのか、である。
行野はA級、真田はB級、初回の鑑定が、自分でなかったら、という思いが真田の中にありそうである。
花妃莉から見れば、人間性でいえば、どう見ても真田が上である。
属性等級とはそういうのを勘案されない残酷な等級分けなのだと花妃莉は認識し、真田が早くA級に昇級することを祈った。
「もう一度、私が鑑定してみてもいいかな?」
少し好奇心が乗った輝きが、真田の瞳にあった。
もちろん、全ての鑑定が弾かれるのか確認する必要もある。
花妃莉は、頷いて、手を差し出した。
「失礼するよ」
真田は、花妃莉の左手を握ると、己の左手を石板に乗せる。
変な音は鳴らない。
しばらくすると、昨日と相違ない結果が、石板に表示されていく。
これには、二人もしばらくお互いの手をにぎりながら、石板を見つめてしまう。
「んん?これは、何が違うのかな。属性レベルは私の方が彼女より上なんだよ。いや、でもなぁ」
真田も口に出しながら困惑気味である。
「……好感度」
花妃莉は小さく呟いた。真田はその音を正しく拾えなかった。
「あ、ごめん。ごめん」
真田は花妃莉より先に気づいて、ゆっくりと手を放す。
お互いに思考の海を漂っていたが、真田の方が先にかえってきたようである。
それから、真田は制服のポケットから五百円玉くらいの黒い石を手のひらの上に取り出した。
「これもやってみよう。せっかく鑑定能力あるんだから、物もできるか確認しておこうか」
黒い石は、不思議な光を放っている。
それをテーブルに置くと、真田は小さな観葉植物、液体の入ったデザイン性のある瓶、と色々机に並べ始めた。
結局、用意された物全てが鑑定できた。
視力の回復は一つにつき約三分ほどだった。
人と物で差があるようである。
花妃莉は、真田から「素晴らしいよ」という言葉まで頂戴したのである。
真田は、花妃莉が真田との予定をすべて終えて席を立つと、エレベーターまで見送ってくれた。
その時、千種へ小さく囁いた指示を花妃莉は拾った。
「行野の資料を私に送っておいてくれ」
花妃莉の鑑定に対する抵抗力について研究するのか、それとも別のことなのか、わからなかった。
だが、業務連絡であるのは確かである。
次は人事部門へ向かう、花妃莉は自分自身の予定に気持ちを向けたのであった。
** *** **
「朝も思いましたけど、今日は人が多いんですね」
人事部門が、認定所の隣に建つ覚醒省にあるということで、花妃莉と如月は、千種に案内されて一階に降りてきたところである。
花妃莉は、認定所の広い一階フロアを見て、柱ごとに人が集まり談話している様子を眺めた。
「昨日が少なかったのよ。普段はこんな感じだと思うわ」
如月の返事に、千種が補足する。
「亀裂の処理が重なって昨日はほとんど覚醒者がいなかったんです。正面から右側のカウンターは、亀裂産の鑑定依頼を受けたり、本人の能力上昇の確認依頼を受け付けたりで混んでいることが多いですね」
鑑定士をとても募集しているという相談役の言葉が腑に落ちる話であった。
今日は、なんとなく視線も感じると、花妃莉は思う。その何かを孕んだ視線の先には如月と、たまに千種がいるように思った。
「ギルドに所属しない友人同士のチームや覚醒者学校の討伐過程での集合で、このフロアは大体賑わっています」
気づいていると思うのに、その視線については黙殺され、この場所の補足が追加される。
フロアの様子を眺めながら、如月と千種が同時に足を止めた。
二人の瞳の先は、遠くフロアの入口に向けられている。
チッっという舌打ちが聞こえる。
如月なのか、千種なのか、花妃莉は聞き取れなかった。
「申し訳ございません。少し連絡をさせていただきます」
舌打ちは千種であったようである。謝罪するとはさすがであるが、一体何があったのか、花妃莉は同時に足を止めた如月を見る。
如月の手はさりげなく、花妃莉を守るかのように広げられ、唇がきつく閉じられていた。
「千種です。一階入口に、マル特Sδ、Aβ、Aγ、計三名確認。対応願います。こちら、地下から覚醒省へ移動します」
千種の言葉を拾った如月が、花妃莉をエレベータへ誘導する。
専門用語の羅列に気を取られていた花妃莉は誘導されるままに動いた。
「あれぇ?如月さんじゃないですか~」
声音からして気に入らない、花妃莉は、そう感じた。
如月はその声が届いた途端、花妃莉と千種をかばうように前に出る。
「葬儀屋に宣戦布告された人達がここにくるなんて、真っ当な覚醒者を巻き込むつもりなの?それともこの頑丈な場所を選んだってことかしら」
如月の口調は静かながら、厳しさに満ちている。
落ち着きがあるように見えるのに、如月の周りに何かが薄っすら光っているように見えた。
会話の間に、千種がさりげなく、花妃莉の前に陣取った。
男が、要注意人物であり、予想外にここにいるという事なんだろうと、花妃莉は様子を伺う。
声をかけてきた男の見た目は、目算二十代後半から三十代前半。
髪は、根本がやや黒く、金に染められているのがわかる。
顔立ちは、そこそこ良いが、鷹司のような品の良さ、真田のような落ち着きがない。
整えられた眉毛が細すぎて、花妃莉の想像するチンピラとチャラ男を足して二で割った人物を体現したような雰囲気である。
体形は逆三角形、不快な気持ちがなければ感心するほどの完成度であった。
顔の雰囲気はさておき、モデルか、俳優かといったところであるが、シャツのボタンが3つも外され、素肌がさらされているところで、身だしなみもマイナス点である。
たとえそれが、高級ブランド品のように見えたとしてもである。
「如月さん、ひどいなぁ。さすがに俺でも、無関係な人を巻き込んだりしないよぉ。ずっと籠っててもね~。たまたま来ただけで、すぐに帰りますよぉ~」
信用ならない野郎である。如月を舐めるように見るのも気に入らない。
ゆっくりと男が如月に近づいてくるのも、何もかもが悪い印象に繋がる負の連鎖。
花妃莉は、イラッとした。
その瞬間のことである。
凄まじい音が、轟いた。
ちょうど男を見ていた花妃莉は、その背後、少し遠い場所の入口のガラスが大破したのを目の当たりにした。
一部が吹っ飛ぶのではなく、ガラス自体が木っ端みじんである。
いくつかのガラスだけが鋭い形に割れて、件の男にめがけて飛んでくる。
軌道は意図的である。
だが、この時、花妃莉は、ガラスも亀裂産で丈夫にするべきじゃないのか、という現場の緊迫から外れたことが過っていた。
彼女の中で、亀裂産は丈夫という構図ができあがっていたのである。
周囲は悲鳴もない。
あれだけの人がいたというのに、全員が覚醒者だったのか、両端に移動し、防御のような体制で、逃げたり、散ったりしていない。
男に迫っていたガラスは、男が手を払えばそのまま、元の場所へ加速して戻って行く。
同時に、入口から、黒ずくめの何かが無数に侵入し、男と仲間らしき者へ襲いかかる。
男がわざと狙ったのか、ガラスの一かけらだけが如月へ向かってきていた。
如月が危ないと花妃莉が感じた途端、花妃莉の内心が悲鳴を上げた。
自分じゃない、そう、思った。だが、自分の内心。
目を開いて観察していたおっさんとは違う精神が、瞳をぎゅっと閉じた。
それが合図だった。
花妃莉は瞳を閉じただけだというのに、人物鑑定が発動してしまった。
おいおい、まじかよ、と花妃莉は思った。
目を閉じたら発動するとか、聞いていないと。
急激に訪れる情報量に眩暈がする。
誰かを鑑定すると強く思い浮かべたわけでもない。ただ、この空間に行使される鑑定。
もはや整理するとかではない、とりあえず、一人五分として、何分目が見えないんだろうと花妃莉は計算する。
如月が無事であるのは、流れる鑑定の結果で垣間見た情報にあった。
ある意味安心できるが、この先どうなるのか、目が見えないというのは、この状況では足手まといでしかない。
千種がいるはずの場所に手を伸ばし、掴んだ何かを確り握る。
ジャケットの端を掴まれた千種は、驚いて振り向けば、報告で聞いていた花妃莉の鑑定発動時の金色の瞳と目があった。
「天梨さん…」
千種は、ジャケットを握った花妃莉の手を取り、背後へ隠す。
能力を開示すべき状況ではない。
だが、千種が花妃莉を背後に隠して、振り返ったとき、全てが終わっていた。
何故かはわからないが、マル特達と襲撃者達が、床に伏している。
重力能力者がいるのかと、目を走らせる。
ほんのり輝く姿はない。能力を発動している覚醒者は見当たらない。
理解が追い付かない。
どちらにしても制圧されたということではある。
千種は、そっと息を吐いた。
そんな中、如月の瞳はフロアを冷静に検分している。
この異常事態の中、花妃莉は、己の鑑定スキルと向き合っていた。
情報量と、感覚として、ひしひしと伝わる鑑定の底にある『何か』。
言葉にするなら、憤りのような、苛立ちのような、胃の腑をざわめかせるモノが潜んでいる。
だが、深く思考に沈むには物騒な状況である。
この状態で何かできるものでもないな、と花妃莉は耳をすまして辺りの状況を読み取る努力をしていた。
** *** **
やはり動いたか、予想通りの動きにほくそ笑む。
襲撃者達は、ターゲット達を長い間監視していた。
そして、奴等は、読み通り隙を見せた。
場所は、予想通り、覚醒者認定所。
戦う意思のない覚醒者を巻き込んだ、ターゲット達への襲撃が決定した瞬間だった。
今日は、脅しである。
次が、本命、だが、今回を生半可なことで終わらせる気はなかった。
狙われていた彼は、散歩のつもりだった。
こそこそ隠れるのも趣味じゃない。
ちょっとしたイザコザが、ここまでの『事』になるとは思っていなかったが、彼の中に、自分が負けるという選択はなかった。
これがS級覚醒者の傲慢さである。
そして、予想どおり覚醒者認定所で、『事』は起こった。
誘発してやったともいうが、思い描いた通りであった。
予想外に、同等級の覚醒者に会ったが、それは些末なことだった。
協力し合う仲でもなく、脳内の計画が崩れることもない。
――この両者の思惑は大きく崩れることになる。
襲撃者達もターゲット達も、決して触れてはならぬ絶対的存在の『何か』に触れたのには気づかなかった。
作戦を遂行する全ての者達が、そしてターゲットに連なる全ての者達が、急に大地へ押し付けられ、動くことを許されなくなった。
それは、別の覚醒者を発露とする重力属性のような、抵抗し抗う術のあるモノではない。
人々が認識できない巨大な何かが、己を認識し、天と大地が自分自身の敵となり、存在自体を許されなくなったような、奈落に絡めとられ抗えぬ絶対的支配。
意図的に、けれど大したことのないことのように、プチリと軽く潰されるような感覚という名の恐怖。
回避できぬ絶望。
世界に見捨てられ凍えた魂が、無作為に塵と化す、許しのない無慈悲なまでの抗えぬ蹂躙。
そう、己は元々塵芥であり、存在という言葉さえも烏滸がましい。
もはや恐怖という表現では足りぬナニカが、彼らに畏怖を刻みつけ、燦然とそこに存在した。
地に伏せた彼らが、『束の間の終焉』から立ち直るには、想像以上の日数を要した。
** *** **
思わぬ騒ぎと、うっかり発動した鑑定による一時的な失明に、花妃莉が覚醒省へ行くのは、後日ということになった。
改めて連絡が来るらしい。
この事件の検分義務が生じた如月は、花妃莉を寮に送ると、認定所へ戻ってしまった。
寮につくと、視力が戻り、ほっとした如月の様子に、花妃莉はくすぐったい気分になったものである。
花妃莉は、部屋のソファーに座り、テレビをつけると、件の事件が流れてきた。
この世界でも普通にテレビ局あるんだな、と思いながら眺める。
葬儀屋は、ギルドだったのか、とニュースの説明を見ながら、この世界の知識を蓄えていく。
意外に知らぬ言葉が多く、思わず真剣に聞き入ってしまう。
一通りニュースが終わると、特集に変わる。
それをぼんやりと流し見しながら、そういえば、と花妃莉は思った。
すっかり抜け落ちていたが、転生テンプレといえば、ステータスと叫ぶか、自分自身を鑑定する、ではないだろうか。
花妃莉の場合は、鑑定だろうと早速、瞳を閉じて、自分自身に鑑定を向けてみる。
予想どおり溢れんばかりの情報が流れてくる。
名前、性別と、■だった情報が一気に開示される。
【スキル:盲目の鑑定神】
そこから羅列される情報の数々に、花妃莉は、絶句する。
これは、笑うべきか、泣くべきか。
そして、見なかったことにした。
これこそ、長年培った処世術である。
** *** **
その日、ベッドで深い眠りについた花妃莉は、暗闇にいる夢を見た。
どこか、記憶を揺さぶる場所である。
とはいえ、喉から出てきそうな答えが、なぜか出てこない。
夢の中でも、これか、と前世の物忘れを思い出す。
そんな中、遠い、とても遠い、だが、急に近くなる笑い声が訪れる。
それは、表情が見えぬものの、楽しさを乗せて届いてくる。
いうなれば、爆笑。
そして――。
いと、をかし!
笑いを含んで響く低い男の声が暗闇に太鼓のように鳴り響いた。
花妃莉はその声を遠くで認識し、深い夢の底に沈んでいく。
朝、目覚めた時、夢を綺麗さっぱり忘れていたのだった。
「めっちゃ寝たな…」
その睡眠時間、約四時間。短いとはいえ、充足した眠りであったようだ。
パウダールームに向かう花妃莉は、脳裏でスキンケアの順番を復唱していた。




