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亀裂とおっさんと美少女の取説  作者: 大路 将臣
1ページ目『表紙』:おっさんの記憶しかない現実に絶望する

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前編:異世界ではなくちょっぴり未来の現代日本だった

 目を開けても暗く、閉じても暗い。

 気づかぬうちに寝て夜になったのか、巡る思考は、動くのが億劫であるという別の事実をはじき出す。

 しかも身体という個体の感覚が薄い。否、ない。


 夢か。


 彼は、そう予測した。

 家に帰ってきたことは覚えている。だが、それがついさっきだったのか、定まらない思考、不可思議な状況、夢ならあり得る。しかし、覚えている夢の中で夢を認識したことは、彼にはなかった。


 暫くすると、遠くから何かが響き、耳を凝らせば、それが、問いであると分かった。


 オレツエーして目立ちたいのか。


 これは、まじで夢だわ。


 彼は、そう結論付けた。

 寝る前に何かやっていたかと思えば、仕事から帰宅したばかりのところで途絶えている。

 直前に見ていたテレビや小説の変な影響を受けて見ている夢ではないようである。


 オレツエーして目立ちたいのか。


 答えないと繰り返されるのか、同じ問いが訪れた。単なるエコーなだけかもしれない。次の音の訪れを待てば、やはり同じ内容だった。


 オレツエーして目立ちたいのか。

 そんな問いに、彼は、いいえ、と応えた。


 パチンッと微かな音がする。その音が何であるか、わからない。


 無双して晴れやかな気分になりたいのか。


 異なる問いがやってくる。

 目が覚めるまで答えてやるかと、彼は、ちょっと興味ある、と応えた。


 やはりパチンッと微かな音が鳴った。


 知らぬ間に女にモテて、ハーレムを作り上げたいのか。

 彼は、そんな甲斐性ありません、と応えた。


 続けられていく問いに疲れた思考で応えていく。何問、応えれば終わるのか。

 無数のパチンッが脳裏に木霊している。


 新たな世界で、新たな生で、新たな運命を受け入れるか。

 彼は、仏教程度のことしかわかりません、と応えた。


 延々と応えながら、男は自分自身を振り返る。

 平凡な男の、平凡な人生。

 そこそこ歳は取ったものの、大きな波もない人生だった。

 少し若い頃は、数々のモテる妄想も、ある日突然異能に目覚める妄想も、ひと通りこなしたが、もうそんなことに時を費やす歳でもなかった。


 あいわかった!


 無機質に響いた問いの数々と、最後に楽し気に応えた低い男の声、それが何であったのか。

 思い返しても、答えはない。


 後に、彼が知るのは、生まれ変わった、ということである。

 良く知る、けれどどこか歪んだ世界に、彼は新たに生を受けたのであった。






 ** *** **






 確かに、無双はなかった。

 ハーレムもない。

 普通の人生。

 だが、世界が大分物騒であった。


 時は現代よりやや未来の日本。

 世界は、亀裂ゲートと呼ばれる、突発的な底の見えぬ大穴や空中に浮かぶ円形の発光する淀みが各地に発生していた。

 その発生時は、すさまじい吸引力で周囲のものを吸収し、亀裂内に取り込む性質がある。

 まるで、大地を蹂躙する巨大な台風ハリケーンのような力であった。

 亀裂の発生を感じたら、その側から迅速に逃げるのが鉄則である。

 その中にはゲームに存在するような怪物モンスターに類似した生き物が存在した。

 怪物を倒せば、高額で取引されたり、自身が使うのに有利になったりする特別なアイテムが手にはいることもあった。

 そして、中の特殊な怪物(ボスモンスター)を倒せば、必ず高価なアイテムが手に入り、亀裂は閉じる。

 亀裂の中の生物、植物、鉱物等も、種類モノによっては高額な取引がされる。

 亀裂には攻略時間という制限リミッターがあり、その時間内にボスモンスターを倒し、亀裂を閉じられなければ、崩壊ブレイクが起きた。

 崩壊とは、その亀裂の中に存在した怪物達が飛び出し、周辺の都市に甚大な被害をもたらす事象のことである。

 亀裂を攻略できるのは、一定の確率で特殊な能力に目覚めた状況にある人間、覚醒者イニシエイトであった。

 もちろん非覚醒の一般人(モータル)も亀裂に入れるが、危険行為であるため、亀裂発生時の現象以外で、侵入するのは、法律で禁止されている。

 覚醒者は、大きく三つに分類されている。

 一つは、亀裂や崩壊に対応できる攻撃能力者(アタッカー)防御能力者(ディフェンダー)、その能力を補助する力を持つ者(バッファー)、怪我等を癒す力を持つ者(ヒーラー)を指す、前線系覚醒者(イヴォーカー)である。

 一つは、亀裂の中で取得された、生物や植物、鉱物を使い、武器や防具、装飾品、回復薬を作ることのできる生産系覚醒者クラフター

 そして、攻撃系覚醒者と生産系覚醒者が能力を使用するごとに蓄積する疲労イロージョンを解消することができる浄化系覚醒者セイヴァーである。

 覚醒した能力は、二つに分類される。

 一つは、覚醒体力といい、下は、F級から始まり最高S級の七段階、もう一つは、覚醒属性といい同じくF級から始まり最高SS級の八段階である。

 俗称として、SSS級といった呼び方がある。覚醒体力S級、属性能力SS級の覚醒者のことである。

 まさに、彼が、ゲームや小説、漫画やアニメで垣間見た世界があった。


「やべぇ。今思い出すとか……詰んだ。完全に俺じゃん」


 天梨あまなし花妃莉かいり、十八歳。

 入学式が終わり、国立国際アリーナから出たところで、女子大生一日目までの記憶が吹っ飛び、前世のおっさんの記憶が占拠していた。

 急に立ち止まる花妃莉かいりを心配そうに隣で見つめる女性が誰であるか、認識できない。

 上手に同期するとか、前世の記憶に喰われないとか、単なる幻想であったのだと知る。

 混乱しながらも、どうにか記憶の糸を手繰たぐり寄せ、断片的に拾えはするが、儚く散りそうなほどに危うい。

 社会人用語でいうならば、可及的速やかに鮮明にすべき事項である。

 なぜならば、手持ち鞄の隙間から、何の案内なのか「理学部:1階…」が垣間見れる。

 つまり、現世は理系、前世文系のおっさんに、四年も理系の大学に通う試練が待ち構えているのだ。

 だが、この状況を打開する方法は、記憶の糸が細すぎて、彼、いや、彼女には見つけられそうになかった。

 あまりの事態に天を仰げば、ぐらりと脳が揺れたのか、景色がぶれる。

 視界は、瞬く間に暗闇が支配した。体が、操り人形の糸が切れたように地に落ちていく。

 妙な会話をした、あの何も見えない空間を垣間見たような暗黒。


 夢落ちか!?


 それが、全ての感覚を失う瞬間の最後に花妃莉が思ったことだった。

 遠くには、彼女を呼ぶ声があったが、拾うことはできなかった。






 ** *** **






 花妃莉の目覚めは、どこかで嗅いだことのある独特な臭いに反応したせいだった。

 まだちょっと億劫であるのか意識はあるのに、瞳は開かない。

 この臭いが何であるのか、起きればわかる気がするというのに、なぜか頑なに思考していた。

 おっさんのこだわりであるのが、薄っすらとわかる瞬間である。

 仕方なしに開いた瞳は、白くどこでもみる模様の天井、左右の白いカーテンを映した。


「病院…」


 独特な臭いと情景で、花妃莉は、病院を認識した。


「天梨さん、失礼します」


 起きた瞬間の声である。

 驚きつつ目を彷徨わせれば、カーテンを少し開けて、看護師の女性が入って来た。


「あら、目を覚まされたんですね。先ほどまで、如月さんがいらしてたんですよ。ドクターの予測通り今日退院できそうですね」


 看護師の言葉に、花妃莉は微笑んで見せた。

 誰だかわからないが、知り合いであろうと笑ってごま化したのである。

 花妃莉が目覚めてからは早かった。

 医師による簡単な問診、その間に如月という女性が退院手続きをし、鏡も見ずに、渡された服を着て、病院を後にする。

 一時間もかからない速さであった。


 見知らぬ街の静かな歩道を花妃莉と如月は歩いていた。

 人の耳のないこの場所ならと、花妃莉は意を決して口を開く。


「あの…」


 その先が続かない。如月が、ん?と返した。


「記憶が混乱しているっていうか、何となく如月さんも知ってる人って感じになってて…」


 如月の目が大きく開く。


「そうなの!?花妃莉、覚醒したのよ」


 記憶に対する言及はないものの、如月は人差し指で、花妃莉の手の甲あたりを指さした。

 問診の時に気が付いた華やかな模様が覚醒の証であるようだ。

 何を描いているのか華やかな曲線、花々ではないのに、とても美しく、ほんのり発光してるように見えるそれに、見惚れてしまいそうになる。

 今どきのお洒落ではないようだ。


「認定所、近いのよここから。実は車もそっちに止めてあるの」


 声のニュアンスで、どこに向かっているのか判明する。

 花妃莉は、如月の言葉にいちいち頷いてしまっていた。


「覚醒の発熱で一時、記憶があいまいになることもあるらしいわ」


 花妃莉に向けられた如月の眼差しは、優しく細められた。安心させようとしているようである。


「認定所には相談役メンターもいるからちゃんと聞いてみましょう」


 花妃莉は、わからないことが多いながらも、はいと返事をした。


「私のことを何となく知ってるって感じなら、色々記憶が遠いかもしれないわね」


 現に花妃莉は、遠いどころか、記憶が浮かび上がる前に断片さえも砕ける勢いである。


「私は企業ギルド『天照大神あまてらす』のギルド長の養子なの。それが何に繋がるかっていうと…」


 如月は言葉を探すように言い淀む。だが、花妃莉はギルド名を聞いて陽光を見た。

 太陽の女神。あと二神の名を冠するギルドはあるのだろうか、と思考が脱線する。

 切り替えようと思っても、余計な引き出しが開き、神社庁が浮かぶ。現世にあるかは不明であるが、企業ギルド『天照大神』は、神職系のギルドであろうか。

 だが、それであれば、企業ギルドとは言わない気もする。


 花妃莉が一人思考の海に沈んでいるうちに、如月が意を決したのか話し始めた。


「うちのギルドは社会福祉にも力を入れていてね。特に養護施設をいくつか運営しているの」


 その言葉に花妃莉は、脳裏に、白く立派な見知らぬ門、誰かの部屋、自分に笑いかける複数の子どもたちの姿が流れ、霧散する。


「あ、私、そこに…?今少し、記憶が…」


 如月の瞳が揺れた。どこか、悲しげ、いや、この瞳に映る感情が何なのか。

 今の花妃莉には、深く読み取ることはできなかった。


「こんな歩きながら話していいのか…。今ので記憶が鮮明になりつつあるなら、言っちゃうわ。花妃莉は十歳で、ご両親を事故で亡くして、うちの運営する養護施設に引き取られたのよ。あと、私のことは「お姉ちゃん」って呼んでくれるようになったわ」


 如月は呼び方について言及したとき、深い笑みを浮かべて花妃莉を見た。話の重さを振り払うために、如月らしい優しさを込めた会話の締め方だった。

 花妃莉の中で、何かが腑に落ちた。

 何故、如月といると、安心するのか。

 無意識に頼って良い相手だと、理解しているのだと。


 それでも、今の花妃莉には、感情に起因する何か以外、記憶の断片に掠りもしない情報であった。






 ** *** **






 覚醒者認定所はとても広かった。

 建物に入るアプローチの広さもさることながら、建物内の、ロビーといって良いのか。

 広大だが緑もなく、ただ柱と柱を囲うようにデザインされている椅子だけが目立つ、そんな空間の遥か先に受付のような、とても横に長く続くカウンターが等間隔に区切られ、その奥に人影が見える。

 花妃莉は、きょろきょろと観光客のように、内部を観察してしまっていた。

 床から壁、天井まで大理石のような輝きがある。

 カウンターから手前、自分自身が歩いているフロアは、あまり人がいないのも気になるところである。

 その様子に如月は口元をそっと上げて笑う。


「ふふ。キラキラしてるわよね。亀裂産の防御石で造られているのよ。初期覚醒者がたまに暴走して大変なことになるらしくて。コレのおかげで、認定所は壊れないらしいわ」


 なんという危険地帯に来てしまったことか。

 花妃莉は内心、冷や汗を感じながらも考える。


「危険な場所でもあるってこと…?安全?」


 花妃莉の小さな声に、如月はさらに笑みを深めた。


「あぁ。違うのよ。防御石が防いでくれるから、安全ってことなの。普通の建物とは違うってことね」


 如月が、普通の建物が壊れる様をジェスチャー付きで表現してくれる。

 花妃莉は、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 見慣れた何かを感じたのだ。だが、それも瞬きの間に消えていく。

 花妃莉の中に、この新世界が予測を遥かに超えるものであったという感覚だけが残った。

 そして、説明を聞きながらも不安が拭えないのは、前世の感覚があるがゆえとも言えるだろう。

 花妃莉は、先に歩く如月について行きながら、ゆっくりと緊張していくのがわかった。

 遠い位置にあったカウンターは目の前に迫り、さらに広さと案内板のなさが、官庁らしくないと花妃莉に感じさせる。


「如月さん、お待ちしていました」


 そんな中、カウンターの左端に、手を軽く振って、如月を呼ぶ男がいる。

 花妃莉は、その男を見て、若い、と思い、自分よりは年上かと、認識を改めた。

 如月は、その声に、頬まで上がる深い笑みと、手を振ることで答えている。


 男のシングルのスーツタイプのジャケットは藍色ネイビーで、左胸には銀の円を背景として枝の伸びる木が描かれた記章が光る。

 肩の縫い目は、肩骨の端にキッチリあっている上に、袖口は手首の骨が隠れる絶妙な長さである。

 スラックスもジャケットと同色の藍色、カウンター越しからも垣間見える上部は、センタープレスがくっきりとしていた。

 白のワイシャツはパリッとして黄ばみもなく、その上には濃い臙脂の、隙のないノットが収まっている。

 制服らしいが、その手入れは個人の采配であろうことがわかる。


 別に粗をさがしていたわけではないと、花妃莉は内心自分自身に言い訳していた。

 観察は、社会生活の長いおっさんの習性であった。


 そう、たとえ、近づいてしっかり見えた男が、世にいうところの、異性受けしそうな顔の良い男だとしてもだ。

 身だしなみからは、好印象ながら、油断ならない雰囲気さえあった。


「受付は、随分前に卒業したのではなかったかしら?」


 如月の浮かべる表情は、往年の友人に対するような深さがあるというのに、目に浮かぶ光が平坦である。

 知り合いではあるが、それだけではない何かがあるようだ。

 これは、友好的ではないな、と花妃莉は思った。


「課長補佐、こちらにいらしたんですね。課長が探されていましたよ。招集とのことです。所内チャットを確認してください」


 若い女の声が、静かな何かの交差を破り、二人の間に届く。

 課長補佐と呼ばれた男は、如月から視線を外して、スマホに指を走らせる。

 男は一息つくと、如月をちらっと見てから、花妃莉に視線を向け、柔らかく微笑む。


「担当できなくなりました。申し訳ありません」


 会釈をすると男は、若い女の方を見た。男が指示を出す前に女が頷く。


「受付は私が担当しますので、お急ぎください」


 あうんのやり取りに、花妃莉の額にそっとしわが寄る。

 あの若さで課長補佐、目の前の女も若いが、本来、本当に受付を担当する人間なのか。

 側にいる如月の雰囲気が和らいだのが救いである。


「如月さん、また機会があれば…」


 鼻でも鳴らしそうな感じで、如月の鼻に一瞬しわが寄るのを花妃莉は見た。


「ええ、機会があれば、また」


 できた女性ひとである。この平穏を崩さない鉄壁さに、花妃莉のおっさん精神からの好意が爆上がりである。

 男がフロアから消える前に、女が口を開いた。


鷹司たかつかさの代わりに、受付を担当いたします千種ちくさと申します。よろしくお願いいたします」


 如月の瞳がほんの少しだけ細まった。

 この女にも何かあるようである。

 二人とも苗字は妙に、格がある、と思いつつ、代々続く家柄ってわけでもないかと花妃莉は切り替えた。


「天梨です。よろしくお願いいたします」


 腰の辺りから、背筋を真っすぐに少し折る会釈。

 千種の視線が感心したように花妃莉に留まった。

 如月も優しい笑みを浮かべている。

 花妃莉の腕が、うっかり体の横になってしまったのは、手持ちの鞄でごまかせたようである。

 女性は、手が腹の前だったな、と花妃莉は、そっと嘆息する。


「別室に鑑定士も待機しておりますので、そちらで全ての手続きをする予定です。恐れ入りますが、五階までご一緒にお願いいたします」


 目の前のカウンターで、通常の役所なら全て、手続きが終わりそうであるが、覚醒手続き自体未知の世界である花妃莉に、この案内の正常性は判定できないものである。

 隣りの如月は、頷いた。

 カウンターの左に呼ばれた意味をここで理解する。

 受付の途切れ目であり、その奥にはエレベーターが数機見えた。






 ** *** **






 人間の自然現象というものは、ある意味待ってくれないこともある。

 五階へ到着と同時に、花妃莉はレストルームに駆け込んだ。

 もちろん、ウィメンズを真っすぐ選択するというファインプレーである。


 そして、現在、手洗い場に立ち、据えられたお洒落な鏡の前で呆然としていた。


 小さな頭、大きな瞳はくっきりとした二重。

 筋の通った鼻と控えめな小鼻。

 大きすぎず小さすぎない唇は、驚くほど発色のよい薄紅色。

 この美女が俺なのか、余韻に耽る時間もないとは、花妃莉にとって、二重に惜しい発見であった。 

 赤裸々だが、そもそも胸は大きいと認識していたのだ。

 しかしこれは、それ以上の衝撃である。

 花妃莉は、手をしっかり洗いハンドドライヤーで乾かすと、身だしなみを整え、後ろ髪を引かれる思いで廊下へ出た。


 花妃莉がある種の衝撃を抱えたまま、案内された部屋は、重役室である。

 おっさんがそのように認識したというべきかもしれない。


 踏み入れた途端、眼前に広がる天上から床までガラス窓、そして床は、どんな足音も吸収されそうな厚手のカーペット。

 花妃莉は、地震や台風にこの部屋では、遭遇したくないという気持ちが過りながら、その窓の近くにある大きなデスクに視線が走る。

 ウォールナットかと思ったが、浮き出る模様が石のようにも見える。明らかに定番ともいえる重役デスクではなく、特注品に見える。

 据えられた椅子は、黒色で、両肘にクッションが付いている。合皮独特の薄さを感じない重厚な革の風情がありながら、長時間座っても体をフォローするような曲線が見える。

 重役室に付き物の木製キャビネットがない代わりに、壁面に大きく広がるスクリーンは、上部にプロジェクターらしき物がない。大型LEDビジョンの可能性があった。

 その隣には、廊下ではなく、室内同士を繋げているのか、別の木製扉がある。


「こちらへどうぞ、お座りください」


 千種に案内されたのは、部屋の手前に設置された革張りと思われるソファーである。

 花妃莉は、年上である如月に奥へどうぞと目を向ければ、首をふられて、自分自身が奥側に座ることになった。

 向かいには、ソファーと同質の、一人掛けの椅子が2つ。

 立ち位置的に、千種は、扉近くの椅子側に座りそうである。

 ソファーと椅子の間を隔てるようにローテブルが置かれていた。

 その上には、一般書類サイズにみえる置物がある。

 一見、厚手のフェルトシートに見えるものの上に、切り出しの岩が横たえられているように見える。

 厚みは硯ほど、表面は平であった。さらにその上に何かが置けそうにも見える。

 芸術的センスには全く自信のない花妃莉は、こういう物もあるのだなと、黙殺した。


「ごめん。ごめん。遅れてしまって」


 室内側の扉から、柔和な雰囲気の壮年の男が入ってくる。

 無造作に花妃莉の前の椅子に座る。

 続いて千種が如月の前に座った。


「鑑定士の真田さなだです。早速鑑定しましょうか」


 真田は、仕事に追われているのか、自己紹介もそこそこに動き始める。

 最低限の身だしなみ。

 やはり制服なのか、色は藍色、だが身に纏うジャケットと記章が、階下で会った男と若干異なる。

 そして、テーブルの置物の位置を微妙に調整している。


「手袋越しとはなりますが、手に触れます。忌避感あれば、明日でも大丈夫ですよ。同性の鑑定士が担当します」


 真田と名乗った男は、両手に黒い手袋をしていた。

 布ではなく、革だろう。

 そういえば、如月も千種もデザインも色も違うものの手袋をしている。


「問題ありません」


 花妃莉は、まだ同性の方が緊張する気がする。

 真田の方がいい。


「おっと、その前に定型があったんでした。すいません。鑑定前の説明は受けましたか?」


 真田が、うっかりを誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。


「真田室長、申し訳ございません。こちらの不備でまだご説明しておりません」


 千種が間髪入れずに謝罪し、花妃莉を見ながら申し訳なさそうに眉を寄せた。

 真田が、壁に掛かる時計を目にとめて、瞳を若干開く。


「あ、時間早かったのか。ごめん。ごめん。休憩になるし、ここで待機しとくよ。どうぞ」


 千種は、手に持っていたタブレットをつけると、タブペンとともに、花妃莉に差し出した。

 そこには、鑑定の注意事項と同意について書かれた非常に長いページが表示されている。


「読み上げますので、文字で追いながら、分からないところ、気になるところはご質問ください」


 読めだけではないとは、丁寧である。

 鑑定の範囲や、危惧、認定所の知り得たプライバシーに関する事項の守秘義務等が延々と説明されていく。

 正直、説明内容よりも、鑑定範囲を絞ることができる等、鑑定士の良心に関する部分ではなかろうかと思う。

 花妃莉は、たまに、説明を止めて、千種に質問し、如月に困惑の気持ちを表しつつ、最後のページの署名欄に記名した。


「おつかれさま。聞くだけでもつかれるでしょう。じゃ、鑑定しましょうか」


 説明を終えると休憩もなく、真田が右手の手のひらを差し出した。

 余計な雑談も、間もない、ビジネスライクである。

 この後も予定がありそうな気配であった。


 花妃莉は、躊躇いながらも、説明を受けた通り、文様の浮かんだ左手を真田の手のひらに乗せた。

 真田の文様は右手なのかと思いながら、花妃莉は鑑定が終わるのを待つ。

 だが、説明のあった一分以内は、すでに過ぎている。

 少し、花妃莉の手を握る力が強くなったが、花妃莉以外が気づくほどでもない。


「室長?」


 千種も不審げに、真田に声をかける。

 真田は、手をそのままに、千種を見た。


「千種さん、如月さん、申し訳ないけど別室か、廊下へいったん出てもらえますか」


 真田の眼差しは強い。

 千種も如月も戸惑いながら頷く。


「花妃莉…」


 心配を乗せた如月の呟きに、花妃莉は大丈夫だと笑みを見せた。

 如月は頷くと、千種とともに廊下出ていった。


「天梨さん、手を受けたままですいませんね。ちょっと結果が…。とりあえず石板で見てもらいましょうか」


 テーブルの上にあった石は、芸術品ではなく、スキルで鑑定した内容を表示する道具であったのだ。

 真田が右手で、花妃莉の手を触れたまま、左手を石板に置くと、文字が表示されていく。


【名前:天梨 花妃莉(■■■ ■)】


 花妃莉は目を見開いた。氏名の後ろの■の数が、前世の名前と一致する。


【性別:女(■)】


 この四角は何なのか。花妃莉は、ヒヤリとする。


【覚醒体力等級:C】

【覚醒属性等級:■■】

【覚醒体力レベル:1】

【覚醒属性レベル:■】

【スキル:■■■鑑定■】

【パッシブスキル:■■■域、■■■域、■■■■■■■■■、■■■■■質】


 多すぎる。不明なことが多すぎた。

 だが、大事なところはわかる。


 真田が手を下した。


「天梨さんは、覚醒体力C級なので、レベルが上がれば五階程度のビルを飛び超えられますよ」


 真田は黒い四角をあえて指摘せずに結果を口にする。


「覚醒属性等級は不明ですが、スキルに鑑定とあるので、鑑定士は確定ですね」


 説明が、仕事人プロである。

 花妃莉は、鑑定士で決定したようであった。


「鑑定は、対象が限定される場合もあるので、鑑定を試して対象を絞るのがいいでしょう。基本触れて鑑定する人が多いですが、等級が上だと触れなくてもできますよ」


 これは、鑑定士の先輩としての助言だろう。


「スキルを認識すると使えるので、私でも鑑定してみますか?対人が可能かわかるので一石二鳥ですよ」


 不明の部分を全く指摘しない。

 年の功とはこういうものをいうのだろう。


「私事ですが、私が最初鑑定した時は、よくわからなくて目を閉じて、スキル名を脳裏に浮かべました。天梨さんは鑑定というところを強く思えば発動すると思います。その時に何が必要かもわかるはずです。私の場合は触れる事で分かるという感覚を伝えてきました」


 花妃莉は、真剣に頷いた。


「お言葉に甘えて、試しますね」


 真田は目元を緩めて、花妃莉を見守っていた。

 花妃莉は、脳裏に鑑定という言葉を強く念じる。少し、気合いが入りすぎた念であったかもしれない。

 対象は目の前にいるはずの真田である。


 すると、脳裏にすさまじい情報が流れてくる。

 真田が息を強く吸う音がするが、花妃莉は情報量に、それを気にするどころではなかった。

 この時、花妃莉の額には、金色に光る模様が浮かび上がり、それが瞳の形を象り、鑑定対象である真田を強く見つめていたのであるが、本人だけが知らぬ事実である。

 慌てた花妃莉は、自分自身の鑑定情報が表示された石板をとっさに両手で触れた。


 石板に、花妃莉が初めて鑑定した結果が表示されていく。


【名前:真田 壮一朗】

【年齢:42歳】

【覚醒体力等級:C】

【覚醒属性等級:B、物品鑑定アクティブ化でAに昇級】

【覚醒体力レベル:51】

【覚醒属性レベル:61】

【スキル:人物鑑定】

【ノンアクティブスキル:物品鑑定(覚醒属性レベル70でアクティブ化)】


 さらに表示されるが、情報量が多すぎる。


「これは…」


 真田の呟きに、花妃莉は、瞳を開いた。


「天梨さんは、人物鑑定能力が判明しましたね」


 真田の声がやや揺れている。

 だが、花妃莉には、世界が見えていなかった。


「天梨さん、どうしました?」


 花妃莉の様子に、やや動揺していた真田が訝しる。


「あの…、目が見えなくて…」


 静かな沈黙がおりる。

 そして、真田の深い呼吸が聞こえてきた。


「スキル使用に、代償があるようですね。失明ではなく、一時的だとは思いますが。千種と如月さんを呼びましょう」


 真田が立ち上がる気配がする。扉を開けて二人を呼ぶ前に、真田が静かな声を発した。


「天梨さん、石板に乗せる情報は選択できます。次からは、絞って出すようにしましょう」


 それが、あなたのためになるでしょう、という気遣いを、花妃莉は感じた。

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