深紅の警告
イングランドの夜は、冷徹な論理によって支配されようとしていた。
王城ホワイトホール。そこは、幾重にも重なる魔導障壁と、王国最強の近衛騎士団によって守護された「絶対不可侵」の聖域である。しかし、エース・ランカスターにとって、その鉄壁の防御網は、解を待つ数式に過ぎなかった。
(魔法障壁の位相を反転させ、空間の『継ぎ目』を無理やりこじ開ける。物理学的に言えば、高次元を介したトンネル効果だ。……行くよ、セバスチャン)
エースの傍らには、かつて彼を疑いの目で見ていた執事、ミレー・セバスチャンが控えていた。今やセバスチャンは、エースが示す圧倒的な「真理」に魅了され、その影として動く最強の駒となっていた。
二人の影が、虚空からエドワード4世の寝室へと染み出す。豪華な天蓋付きベッドで眠る国王は、自らの命が風前の灯火であることすら気づいていない。
エースは声も立てず、国王の喉元を掠めるような位置に、一本の「赤いバラ」を置いた。
それはランカスター家の紋章。死の宣告よりも鮮烈な、警告の象徴。
翌朝、国王の悲鳴が城内に響き渡った。
「どこから入った! 警備を倍にしろ! 蟻一匹通すな!」
近衛兵が廊下を埋め尽くし、魔導師たちが結界を何層にも重ねる。しかし、次の夜には二本。その次の夜には三本。バラは増え続け、エドワード4世の精神を確実に削り取っていった。
エースが用いたのは、単なる忍び込みではない。生産魔法でバラの香りに微量な「精神不安を煽る化学物質」を配合し、闇魔法で「見られている」という錯覚を増幅させる心理戦だ。
「……殺される。赤いバラに、私は殺されるんだ」
ノイローゼ気味になった国王の元へ、一通の手紙が届いた。
差出人は、エリザベス・テューダー。
封を切ったエドワード4世は、その一言を見て絶叫した。
「明日」
それは死刑執行の宣告に等しかった。震える手で、国王はプライドを捨てた返信を書いた。
「助けてくれ、エリザベス。お前の望む通りにする。この恐怖から救ってくれ」
翌日、エリザベスは完全な勝利者の余裕を持って、玉座の間へ現れた。
「おくりものはいかがでしたでしょうか? 殿下。赤いバラの香りは、安らぎをもたらしましたかしら? オホホ……」
「お願いだ、助けてくれ! どんなに防御を固めても、枕元にバラが届くのだ!」
エリザベスの背後で、エースは影のように沈黙を守っていた。
エドワード4世は、目の前の少女の背後に、底知れぬ「深淵」が控えていることを本能で理解した。
「……何が望みだ。王位か? 領地か?」
「いいえ、殿下。私が望むのは、内乱の停止と『富国強兵』。そして、戦わずしてスコットランドとアイルランドを統合する……大ブリテンの礎を築くことですわ」
「統合だと!? そんな無茶な……」
「無茶ではありませんわ。私たちが、物理的に不可能を可能にしてみせます。……まずは、ヨーク公に連絡を。これ以上の争いは無駄であると、貴方の口から伝えていただきます」
国王は、もはや逆らう気力を失っていた。エースの計算通り、恐怖による統治は、剣による統治よりも遥かに効率的だった。




