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ポスドクは異世界イングランドで無双する  作者: 橋平 礼


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資本の胎動

 ジェームズ・ワットとの共同研究は、驚異的な速度で進展した。


 学園の片隅で、二人は密かに「魔法圧シリンダー」の開発に着手した。ワットが緻密な生産魔法でシリンダーを鋳造し、エースが闇魔法による空間圧縮と、神聖魔法によるエネルギー安定化の術式を刻み込む。


 だが、プロトタイプから大規模な工場生産へと移行するには、天文学的な資金が必要だった。


「ワット、装置の設計図は完成した。あとはこれを形にするための『資本』だ」

「資本……。僕の実家の商会でも、これほどの規模の投資は首を振るだろうな。失敗すれば破産だ」

「心配いらない。僕には、最高の『投資家』に心当たりがある」


 深夜、エースは再び王族エリザベスと密会した。以前の救出劇以来、彼女とエースの間には、身分を超えた隠微な協力関係が築かれていた。


「……融資? 貴方が、はずれ魔法の仲間と、怪しげな鉄の塊を作るために?」


 エリザベスは呆れたように眉を寄せたが、エースが提示した「収益予測図」と、魔導蒸気機関がもたらす「物流と製造の革命」のプレゼンテーションを聞くうちに、その瞳に王族としての野心が宿り始めた。


「この機関があれば、イングランドの羊毛産業は十倍の速度で布を織り、軍船は風を待たずに海を渡ります。エリザベス様、貴女がこの事業の筆頭株主となれば、王室の財政は歴史上最も強固なものになるでしょう」


 エースの論理は完璧だった。情念に訴えるのではなく、数数値と利権をもって王女を説得したのだ。


「……いいわ。貴方のその『狂気』に賭けてあげる。ただし、失敗は許さないわよ、エース・ランカスター」


 エリザベスからの莫大な秘密融資を元手に、エースは「ランカスター・ワット重工」を設立した。  最初の実験場となったのは、学園の所有する古い鉱山跡地だ。


 ワットが震える手で蒸気バルブを開く。シリンダーが激しい蒸気を吹き上げ、ピストンが力強く上下を開始した。

 ドクン、ドクン、と。

 それは、新しい時代の鼓動だった。


 生産魔法で作り出された精密なガバナー(遠心調速機)が、過剰なエネルギーを自動で制御し、機関は一定の旋回速度を保ち続ける。


「成功だ……! エース、見てくれ! 魔法使いが絶えず念じなくても、機械が自ら動いている!」


 ワットは歓喜に叫んだ。  これこそが、エースが求めていた「自律するシステム」だ。


 この日から、数年でイングランドの風景は変わり始めた。


 各地に工場が建設され、生産魔法による「規格化」された製品が市場に溢れ出す。価格破壊が起き、既存の職人ギルドは混乱したが、背後に控えるエリザベスの政治力と、エースが握る圧倒的な資本の前に、反対勢力は沈黙せざるを得なかった。


(金は集まった。政治の糸も握った。次は、この経済圏を軍事力に変え、ヨーロッパ全域を『論理』で塗り替える番だ)


 エースは咆哮を上げる蒸気機関を見つめながら、次のステップを構想していた。


 ポスドクという「使い潰される歯車」だった男が、今、世界を回す「巨大なエンジン」そのものになろうとしていた。


 ジェームズ・ワットという最高の右腕を得て、エース・ランカスターの覇道は、もはや誰にも止められない加速段階テイクオフへと突入したのである。


 「行こう、ワット。次の目標は、この機関を搭載した『魔導蒸気列車』だ。この大陸の距離という概念を、僕たちの手で消し去るんだ」


「ああ、どこまでも付き合うよ、エース!」


 イングランドの空に、黒い煙ではなく、青白い魔力の残滓が昇っていく。


 魔導物理学がもたらす産業革命。それは、古き神話の世界を、鉄と論理の帝国へと作り変えるための、最初の一歩だった。


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