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ポスドクは異世界イングランドで無双する  作者: 橋平 礼


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死の二重奏

「エリザベス……エリザベス。女性の寝室に失礼ながら、お邪魔したよ」


 エースの声は、風に舞う羽のように微かだった。


 天蓋付きのベッドに横たわるエリザベスは、かつての凛とした面影を失い、顔色は透き通るような白磁に変わっていた。浅い呼吸のたびに、彼女の魔力が霧散していくのがわかる。


「エース……? 幻覚かしら。……私はもう、死ぬのよ。誰にも、この呪いは解けない……あなたには、無理よ……」


 途切れ途切れの声には、絶望の影が張り付いていた。


 だが、エースは冷静だった。彼はエリザベスの体表に浮かぶ、不規則な魔力の脈動を観察した。前世の医師がCTスキャンを見るような、冷徹なまでの分析眼。


「いえ、治療をいたしましょう。あなたの命は、まだ僕の計算上、救える範囲内にあります」


 エースは瞬時に事態の正体を見抜いた。


(やはりか。これは毒と呪いの『二重構造マルチレイヤー』だ。一方が解かれればもう一方が増幅し、双方が互いを補完し合うように設計されている。既存の解毒薬や浄化魔法が効かないのは、片方ずつ対処しようとしたからだ)


 犯人の狡猾さに、エースはむしろ感心した。政治、あるいは跡目争い。この完璧な「死の回路」を組める人間は、この国でも数少ないだろう。  だが、構造が分かれば、やるべきことは単純だ。


「アンナ、僕の背後から魔力供給を頼む。同時に二つの術式を、平行処理マルチタスクで走らせる」 「はい、エース様!」


 エースは両手をかざした。左手には【アンチ・ポイズン(毒素分解)】。右手には【アンチ・マジック(術式解体)】。


 通常、異なる属性の魔法を同時に、かつ干渉させずに発動するのは不可能だ。しかし、エースは自身の【生産魔法】をインターフェースとし、二つの術式を一つの「論理回路」として統合した。


「――構造解体、開始」


 エースの指先から、目に見えない論理の糸がエリザベスの体内へと伸びる。


 まず、毒の分子構造を特定し、その結合エネルギーを神聖魔法の特性で奪う。それと同時に、心臓に絡みついた呪いの魔力術式に対し、その起点を逆算して【アンチ・マジック】を叩き込む。


 二つの波が、エリザベスの体内で完璧なハーモニーとなって響いた。


 一瞬、エリザベスの体が大きく跳ねた。


 黒い霧のような魔力が彼女の口から吐き出され、空中で霧散する。それは、これまで彼女を蝕んでいた「死の意志」そのものだった。


「エリザベス、もう大丈夫だ。毒の成分は水と炭酸ガスに分解した。呪いの回路も、根底から論理的に破綻させておいたよ。……あとはゆっくり、失った体力を回復してね。僕はもう帰るよ」


エリザベスの瞳に、微かな光が戻った。彼女は震える手で、エースの袖を掴もうとした。


「……ありがとう……エース……」


 その言葉を聞くと、エースは満足げに頷き、再び闇の中へと溶け込むように姿を消した。


 王城からの帰り道、エースは夜風に吹かれながら、自身の「成果」を噛み締めていた。


(これで、王国最大級のカードを手に入れた。王族からの『負い目』。これ以上に強力な防壁はない)


 王室の跡目争いという泥沼。そこに足を踏み入れる気はないが、その泥沼の主を救ったという事実は、将来のランカスター家にとって決定的な優位性をもたらすだろう。


 「はずれ魔法」と呼ばれた力で、神の如き業を成し遂げた十歳の神童。


 エース・ランカスターの学園生活は、今や一国の運命をその掌で転がすほどの大胆なステージへと突入していた。


「さて、アンナ。明日の朝食は何かな? 今日は、少しだけ贅沢をしてもいい気分だ」


「ふふ、エース様。パンケーキを多めに焼きましょうか」


 王城が救出劇の騒ぎに包まれる数時間前、二人の影は静かに、何事もなかったかのように学園の寮へと消えていった。


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