深紅の落日
王立魔法学園イートン校を、重苦しい沈黙が支配していた。
学園の象徴であり、次期王位継承の有力候補でもあったエリザベス・テューダーが、華やかな舞踏会の夜を境に倒れ、死の淵を彷徨っているという噂は、瞬く間に全校へと広まった。
最高の回復魔法師が祈りを捧げ、国中の高名な錬金術師が秘蔵の解毒薬を調じたが、そのすべてが徒労に終わったという。エリザベスの命の灯火は、日を追うごとに細まり、今や消え入る寸前であった。
(……政治的なカードとして、エリザベスを失うのはあまりに惜しい。だが、准男爵の次男坊が王女の寝所に近づくなど、物理的にも社会的にも不可能に近いな)
エース・ランカスターは、学園の図書室の隅で、遠く王城の方向に視線を向けていた。
普通ならここで諦める。だが、彼は禁書庫から「略奪」してきた知識と、前世の物理学的アプローチを持っていた。
彼は密かに、自室で【ロングサーチ(広域探査)】の術式を展開する。本来、王立の魔法障壁はあらゆる探査を跳ね返すはずだが、エースは禁書庫で学んだ【アンチ・マジック】の理論を応用し、障壁の魔力波形に「隙間」を作り、そこへ自身の知覚を滑り込ませた。
(見えた。……これはひどいな。魔力と体力の減衰曲線が、指数関数的に加速している)
遠隔診断によって判明したエリザベスの状態は絶望的だった。王城を包む結界は、外からの侵入を防ぐ一方、内側で起きている「異変」を隠蔽する皮肉な壁となっていた。
エースは決断した。このまま見過ごせば、自身の野望――将来の有力な協力者を得るチャンス――が露と消える。神からのミッション「はずれ魔法の汚名返上」のためにも、これ以上の舞台はない。
「アンナ、準備をしてくれ。深夜、王城へ向かう」
「……エース様、本気ですか? 捕まれば反逆罪ですよ」
アンナの問いに、エースは不敵な笑みで返した。 「捕まらなければいいだけのことだ。僕が作った『見えない道』を通れば、王立騎士団もただの置物だよ」
深夜。月の光が雲に遮られた瞬間、エースは行動を開始した。
闇魔法による光学迷彩、生産魔法による空気振動の遮断。そして、王城の幾重にも重なる魔法障壁に対しては、構造を逆算して一時的に「穴」を開ける【アンチ・マジック】を最小出力で実行する。
物理学における「共振」の原理を利用し、障壁を破壊するのではなく、自分たちだけを透過させる波形へと調整する。それは針の穴を通すような精密作業だったが、エースの【超・論理思考】は完璧にそれを遂行した。
音もなく、衛兵の鼻先を通り過ぎ、エースはついに、重厚な装飾が施されたエリザベスの寝室の前に立った。 部屋の主を失いかけた静寂と、死の香りが漂う空間。エースは音もなく扉を抜け、冷たくなった主の枕元へと歩み寄った。




