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ポスドクは異世界イングランドで無双する  作者: 橋平 礼


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ブラックホール

ランカスター家の晩餐会は、常に厳格な空気に包まれている。

 父ヘンリは、退役軍人らしい硬質な佇まいで上座に座り、兄のウィリアムは、その若さにして「火」と「風」の適性を高く発現させた誇りを見せていた。

「エース、今日も庭で遊んでいたそうだな。生産魔法の練習も良いが、少しは騎士としての教養も身につけなさい」

 父の言葉には、次男への期待の薄さが滲んでいた。期待されていない。それは前世の非常勤講師時代から慣れ親しんだ感覚であり、今のエースにとってはむしろ好都合だった。


「はい、父上。アンナと一緒に、庭の美化に努めております」


エースは殊勝な顔をして、スープを口に運ぶ。


 実際、彼が隠しているのは生産魔法の習熟だけではなかった。ステータス画面に並ぶ、もう一つの不穏な項目――『闇魔法:Lv.5』。


 世間では、闇魔法は「目くらまし」や「影の操作」程度の、暗殺者が使う姑息な魔法だと蔑まれている。だが、前世で物理学の端くれをかじったエースにとって、闇という属性は「負のエネルギー」や「空間の歪曲」という恐るべき可能性を秘めていた。


(前世のゲーム知識や理論物理を応用すれば、闇魔法の本質は『重力崩壊』に近い。極限まで魔力を圧縮し、一点に集中させれば――ブラックホールのような事象さえ引き起こせるはずだ)


それは、この平和な准男爵領を一瞬で地図から消し去りかねない力だ。五歳の子供が持っていい兵器ではない。


 エースは、執事ミレー・セバスチャンの視線を感じた。セバスチャンは四属性を極めた手練れの魔導師であり、エースの「魔力の流れ」に時折、疑念の眼差しを向けてくる。


(セバスチャンには悟られてはいけない。彼は四属性の信奉者だ。『はずれ魔法』が物理法則を凌駕する瞬間を見せれば、どんな反応をするか分かったもんじゃない)


夕食後、エースは自室に戻り、アンナに部屋の外を見張らせた。


「アンナ、少し集中したいんだ。誰も入れないでくれるかい?」


「はい、エース様。お任せください」


アンナの忠誠心は、彼女自身が「はずれ魔法」の持ち主として疎まれてきた過去から来ている。エースは彼女を「召喚魔法」のパートナーとしても信頼していた。


エースは自室の机の上で、小さな空間を定義する。


 右手に生産魔法の「構造構築」、左手に闇魔法の「空間圧縮」。


 二つの魔法を掛け合わせる実験。これは従来の魔法体系には存在しない、エース独自の「魔導物理学」の初歩だった。


「……圧縮率、0.0001%まで上昇。重力定数の擬似的な書き換え」


指先の間に、米粒ほどの漆黒の球体が出現した。それは周囲の光を飲み込み、机の上の書類を微かに吸い寄せようとする。


 背筋に冷たい汗が流れる。たった五歳の魔力で、これほどの「現象」が引き起こせる。これが、神から与えられたミッション――『はずれ魔法の汚名返上』の真の意味なのか。


(これがあれば、敵対するヨーク家……白バラの連中が攻めてきても、物理的に消滅させられる。でも、それはまだ早い。僕がやりたいのは破壊じゃない。再構築だ)


エースは集中を解き、黒穴を霧散させた。


 彼は窓の外を見る。夜の帳が降りたランカスター領。平和に見えるこの地も、貴族同士の派閥争いや、魔物との境界線に位置する不安定な場所だ。


 前世の彼は、システムの歯車として使い潰された。


 だが今世では、自分がシステムそのものを作る側になる。


「目標、AIホムンクルスのコア設計。召喚魔法の発現タイミングは、生産レベルが15を超えたあたりかな……」


自称・魔導物理学者は、五歳の小さな体で、ノート(生産魔法で作った特殊な耐火紙)に複雑な数式を書き連ねていく。


 まだ誰も知らない。赤バラの家のはずれ者が、世界を原子レベルで作り変えようとしていることを。


 エース・ランカスターの二度目の人生、その真の実験は、まだ始まったばかりだった。


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