第97話「悪女に、休暇は似合わない」
数日ぶりに、セレスティアは何の予定も入っていない朝を迎えた。
窓から差し込む陽射しは穏やかで、空も高い。
王都はようやく落ち着きを取り戻しつつある――らしい。
少なくとも、今朝は急使が門を叩いていない。
「……平和ね」
朝食の席で呟くと、向かいに座るルシアが怪訝そうな顔をした。
「その台詞、死亡フラグみたいなのでやめてください」
「何よそれ」
「経験則です」
真顔だった。
セレスティアは少しだけ眉をひそめ、それから紅茶を飲む。
……確かに、妙に静かではある。
ここ最近ずっと何かしら起きていたせいで、逆に落ち着かない。
「今日はどうされます?」
「そうねぇ……」
セレスティアは考える。
会議もない。
報告書もない。
誰かに泣きつかれる予定もない。
――最高では?
「街に出ようかしら」
「護衛を増やします」
「即答ね」
「あなた、自分がどれだけ顔を知られてると思ってるんですか」
セレスティアは目を逸らした。
最近、妙に民衆からの好感度が高い。
本人としては甚だ不本意である。
悪女として恐れられる予定だったのに、現実はどうだ。
『聖女様!』
『国を救った公爵令嬢!』
『お身体は大丈夫ですか!?』
違う。
そうじゃない。
「……やっぱり変装しましょう」
「無駄だと思いますけどね」
ルシアの視線が妙に冷たい。
結局、一時間後。
セレスティアは地味な色合いのドレスに着替え、帽子まで被って王都へ出ていた。
隣には当然のようにルシアがいる。
「本当に気づかれません?」
「大丈夫よ」
「その自信、どこから来るんですか」
「悪女オーラ?」
「便利ですね、その概念」
呆れられながらも、二人は中央通りを歩く。
昼前の王都は賑やかだった。
露店。
行商人。
子どもたちの声。
以前と変わらない景色。
……いや。
セレスティアは、ふと足を止めた。
「どうしました?」
「少し、人の流れが変わってる」
ルシアも視線を巡らせる。
確かに以前より、街の人間が足を止めて話し合う光景が増えていた。
『それ、本当に必要か?』
『いや、一応確認を……』
『決めちまった方が早いだろ』
そんな声があちこちから聞こえる。
セレスティアは小さく目を細めた。
「……感染してるわね」
「はい?」
「“決めるの怖い病”」
「病気みたいに言わないでください」
だが、実際かなり近かった。
城の空気が、少しずつ外にも伝播している。
以前なら誰かが即断していた場面で、人々が妙に慎重になっているのだ。
セレスティアは露店の前で立ち止まる。
果物屋だった。
店主が二人の客の間で困った顔をしている。
「いや、だから順番で……」
「先に来たのは俺だろ!」
「でも量を決めてなかったじゃない!」
小さな揉め事。
どこにでもある光景。
だが店主は、なぜか結論を出せずに固まっていた。
セレスティアはしばらく見ていたが、やがてため息をつく。
「……半分ずつでいいでしょう」
一瞬で静かになった。
客二人が顔を見合わせる。
「あ、ああ……」
「それでいいわね……?」
即解決だった。
店主はぱちぱち瞬きをしている。
ルシアがじっとセレスティアを見る。
「何か?」
「いえ」
にっこり笑う。
「“関わらない”んじゃなかったんですか?」
セレスティアは露骨に顔をしかめた。
「今のは反射よ」
「怖いですねぇ」
「嫌味?」
「褒め言葉です」
またそれか。
セレスティアは軽く肩を落とした。
そのとき。
「……セレスティア様?」
空気が止まる。
しまった、と思った時には遅かった。
通りの向こうで、少女が目を丸くしてこちらを見ている。
見覚えがある。
以前、彼女が“泥水でも飲みなさい!”と高級毒消しポーションを投げつけた結果、病気が治ってしまったあの転入生だ。
少女はぱっと顔を輝かせた。
「やっぱりセレスティア様です!」
「違います」
「その否定の速さで分かります!」
周囲の視線が集まり始める。
まずい。
セレスティアは本能的に踵を返した。
「逃げるわよルシア!」
「だから言ったじゃないですか!」
二人は人混みへ飛び込む。
だが。
「聖女様だ!」
「セレスティア様!?」
「本当にいたぞ!」
連鎖的に騒ぎが広がっていく。
セレスティアは頭を抱えたくなった。
なぜだ。
なぜ休暇ひとつまともに取れない。
悪女なのに。
本来なら石を投げられる側なのに。
「止まりなさいセレスティア様ー!」
「嫌よ!!」
完全に逃走劇だった。
王都の真昼間。
公爵令嬢とは思えない速度で路地を駆け抜けながら、セレスティアは心の底から思う。
――やっぱり、この国どこかおかしい。




