第95話「悪女は、まだ助けない」
夜の空気は冷えていた。
だが、急使の額には汗が浮かんでいる。
「第二魔導塔が封鎖……」
ルシアが低く繰り返した。
王都に住む人間なら、その意味を知らない者はいない。
魔導灯。
防壁。
水路制御。
王都の基幹機能のいくつかは、魔導塔の補助演算によって維持されている。
ひとつ止まるだけでも影響は大きい。
まして第二塔は、王城側の制御補佐を担う中核だ。
「現場は?」
セレスティアが問う。
「封鎖状態です! 責任者双方が互いの命令を無効と主張しており、誰も中へ入れません!」
「王太子は」
「現在、第一塔側で対応中とのことです!」
聞き終えたセレスティアは、小さく息を吐いた。
怒っているわけではない。
呆れているのだ。
「見事なくらい、悪い方向に噛み合ってるわね……」
ルシアが横目で見る。
「行きますか?」
「行かない」
即答だった。
急使が絶句する。
「で、ですが……!」
「今の私は部外者よ」
「そんな場合では――!」
「そんな場合だから、よ」
セレスティアは遮るように言った。
静かな声だった。
けれど、妙に逆らいにくい響きがある。
「ここで私が出て行ったら、“結局またセレスティア様が何とかしてくれた”になるでしょう」
急使が言葉に詰まる。
否定できない。
彼自身、半ばそれを期待して来てしまっていた。
セレスティアはそんな彼を見て、少しだけ視線を和らげた。
「あなたを責めてるわけじゃないの」
「……」
「楽なのよ。誰か優秀な人間に任せるのって」
その言葉には実感があった。
彼女自身、長いことそれを引き受けてしまっていたからだ。
「でもね」
セレスティアは窓の外を見る。
王都の灯りが、遠く瞬いていた。
「このままだと、あの国は“考えない国”になる」
急使は何も言えなかった。
しばらくして、ルシアが口を開く。
「では、本当に何もしないんですか?」
「……そうね」
セレスティアは少し考え込む。
そして、テーブルの上のメモ用紙を一枚取った。
さらさらと、数行だけ書く。
「これを持っていきなさい」
急使が慌てて受け取る。
「こ、これは……?」
「第二塔の責任者二人の経歴」
「経歴?」
「片方は地方貴族出身で、“中央に実績を認めさせたい人”。もう片方は中央官僚家系で、“失点を極端に恐れる人”」
ルシアが目を細める。
「性格分析ですか」
「人間観察と言ってほしいわね」
急使は紙を見下ろす。
そこには簡潔に、だが妙に核心を突く内容が並んでいた。
『片方に責任を集中させようとすると決裂する』
『共同名義に変更し、責任を分散させれば合意可能』
『決断ではなく、“体面”を用意してやれば動く』
急使が顔を上げる。
「これを……どうしろと?」
「読めば分かるでしょう」
セレスティアは紅茶を一口飲んだ。
「問題は魔導塔じゃないの」
「え……?」
「人間関係よ」
あまりにも当然みたいに言う。
「機構の故障なんて、大抵は人間が原因だもの」
ルシアが小さく吹き出した。
「相変わらず夢がありませんね」
「現実的と言ってちょうだい」
急使は呆然としていた。
こんな紙切れで、本当に解決するのか。
だが同時に、妙な説得力がある。
なぜなら彼は知っている。
この公爵令嬢は、昔からこうやって厄介事を片付けてきた。
本人だけが悪意満々の顔をしながら。
「……伝えます」
急使は深く頭を下げた。
「ええ。頑張りなさい」
セレスティアは軽く手を振る。
まるで他人事だった。
急使が去ったあと、テラスに静けさが戻る。
ルシアがぽつりと言った。
「結局、助けてるじゃないですか」
「助けてないわ」
「そうですか?」
「今回は“答え”を渡してないもの」
セレスティアは椅子に座り直す。
「前なら、私が直接行って終わらせてた」
「ええ」
「でも今回は、“考え方”だけ置いた」
夜風が髪を揺らした。
「自分たちで決めさせないと、意味がないでしょう」
その横顔は、どこか昔より穏やかだった。
一方その頃。
第二魔導塔では、怒号が飛び交っていた。
「だから責任問題になると言っている!」
「停止させたままの方が問題でしょう!」
「誰が判断する!」
「あなたが――!」
「私一人に押し付ける気か!」
完全な膠着状態。
現場の空気は最悪だった。
そこへ、急使が飛び込んでくる。
「王城より伝達です!」
「今さら何だ!」
苛立った声。
だが急使は構わず紙を差し出した。
「……これは?」
責任者の一人が眉をひそめる。
数秒後。
その顔色が変わった。
「共同……承認?」
もう一人も紙を覗き込む。
『責任を共有し、暫定復旧を優先』
『正式決裁は後日合同提出』
沈黙。
互いに顔を見る。
そして、先に視線を逸らしたのは中央官僚側だった。
「……暫定措置なら」
地方貴族側も咳払いする。
「共同名義であれば、不公平ではないな」
周囲の技師たちが一斉に顔を上げた。
「じゃ、じゃあ復旧を!?」
「急げ!」
止まっていた現場が、一気に動き出す。
その光景を見ながら、急使は思う。
結局。
あの人は、誰よりもこの国の人間を理解しているのだと。
そして同時に、少しだけ怖くなった。
あれほど深く人を見抜ける人間が、どうして自分を“悪女”だと思っているのか。
王都の夜は、まだ終わらない。
けれど止まりかけていた歯車は、ほんの少しだけ動き始めていた。




