第94話「悪女がいない会議」
王城の大会議室は、妙に広く感じられた。
いつもと同じ机。
同じ椅子。
同じ人間。
それなのに空気だけが違う。
誰か一人が欠けているだけで、ここまで変わるものなのかと、若い文官は乾いた喉を鳴らした。
「……では、北部物流の承認について」
進行役が議題を読み上げる。
返事はない。
書類をめくる音だけがやけに大きく響いた。
「街道整備が遅れております。このままでは冬季輸送に支障が――」
「予算の再確認が必要です」
即座に別方向から声が飛ぶ。
「再確認は先週終えたはずですが」
「情勢が変わった」
「では代替案を?」
「それは……」
言葉が止まる。
まただ。
ここ数日ずっとこうだった。
話し合いは行われる。
だが、誰も最後の一歩を踏み出さない。
責任を恐れているのではない。
もっと厄介だった。
全員が“正しい判断”を探してしまっている。
そして、いつの間にか皆が同じ基準に慣れきっていた。
あの公爵令嬢の判断に。
「……決めましょう」
不意に声が落ちた。
全員が顔を上げる。
発言したのは、まだ若い女性官僚だった。
以前なら発言権すら与えられなかった立場の人間。
彼女は緊張した顔のまま、机の上で指を握り締めている。
「遅れれば、現場が困ります。完璧な案を待つより、修正前提で進めるべきです」
「しかし責任は」
「私が報告書を書きます」
空気が止まった。
その場の誰もが目を見開く。
“私が責任を持つ”。
今、この城で最も不足していた言葉だった。
女性官僚は顔を青くしながらも、視線を逸らさない。
「……以前なら」
誰かがぽつりと呟く。
「以前なら、あの方が決めてくださっていました」
沈黙。
その名前は出ない。
だが全員が同じ人物を思い浮かべていた。
進行役の男は、しばらく目を閉じていた。
やがてゆっくり息を吐く。
「……採決を取ります」
ざわり、と空気が揺れた。
今までは“最終判断待ち”だった。
だが今日は違う。
「北部物流計画、修正運用を前提に暫定承認。異議のある者は」
数人が顔を見合わせる。
迷い。
不安。
それでも。
「……異議なし」
一人が言った。
続いてもう一人。
やがて、会議室全体に静かな同意が広がっていく。
決定された。
ほんの小さな案件。
けれど、それは数日ぶりに、この城が“自分たちで決めた”瞬間だった。
その頃。
セレスティアは屋敷のテラスで紅茶を飲んでいた。
夜風がレースのカーテンを揺らしている。
「……静かですね」
後ろに立つルシアが呟く。
「そう?」
「最近のあなたの周囲にしては、です」
セレスティアはカップを傾けた。
温かい香りがふわりと抜ける。
「鐘は止まったみたいね」
「ええ。先ほど」
「なら、少しは進み始めたのかしら」
他人事のような口調だった。
だがルシアは知っている。
彼女はちゃんと気にしている。
気にしていないふりが、昔より上手くなっただけだ。
「戻らなくていいんですか?」
問いかけに、セレスティアは少しだけ目を細めた。
「戻ったら、また同じになるわ」
「依存、ですか」
「ええ」
即答だった。
「一番楽なのよ。“誰かが全部やってくれる”って」
セレスティアは夜空を見上げる。
雲の隙間に、星が見えた。
「でも、それって結局、皆が弱くなるだけでしょう?」
ルシアは少し笑う。
「悪役令嬢らしくない台詞ですね」
「嫌味?」
「褒め言葉です」
「なら受け取っておくわ」
ふ、とセレスティアも笑った。
昔なら考えられなかったような、肩の力の抜けた笑い方だった。
そのとき。
屋敷の門の方が、わずかに騒がしくなる。
足音。
慌ただしい声。
ルシアが視線を向ける。
「来客でしょうか」
「こんな時間に?」
セレスティアは眉をひそめる。
次の瞬間。
使用人が青い顔で駆け込んできた。
「セ、セレスティア様!」
「何」
「王城から、急使が……!」
ただならぬ様子だった。
ルシアの表情も引き締まる。
セレスティアはゆっくり立ち上がった。
「……今度は何が壊れたのかしら」
半分呆れたように呟く。
だが、その目は細く鋭い。
そして急使は、息を切らしたまま告げた。
「第二魔導塔が、封鎖されました!」
一瞬。
空気が凍る。
第二魔導塔。
それは王都全域の魔力制御を補助する中核施設のひとつ。
もし停止すれば、都市機能そのものに影響が出る。
「原因は」
セレスティアの声が低くなる。
急使は震えながら答えた。
「責任者同士が、命令権限を巡って対立し……互いに封鎖命令を出したとのことです」
沈黙。
そして。
セレスティアはゆっくり片手で額を押さえた。
「……本当に面倒な方向へ育ったわね、あの人たち」
そう私は小さな声で呟くのだった。




