↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうあがいても悪役令嬢になれません! ~わたくし、完璧な悪事を働いているはずなのに、なぜか聖女と崇められて断罪フラグがへし折られていく件~  作者: 和三盆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
92/108

第91話「悪女のいない国で、歯車は少しだけ軋む」

その朝、王城の空気は軽かった。


正確には、「軽くなったはずだった」。


誰かがいないことに、すぐには気づけない程度には。


それでも、確かに何かが違っていた。


会議室の卓上に置かれた資料は整然としている。


議題も、進行も、以前と変わらない。


変わったのはただひとつ。


あの中心にいたはずの重心が、もうどこにもいないことだった。


「……問題はありませんね」


進行役の声は、やや早口だった。


誰も異を唱えない。


沈黙は、肯定として処理される。


だがその沈黙は、かつてのような安定ではない。


どこか、空白を埋めるような沈黙だった。


その頃。


セレスティアは城の外れの書庫にいた。


光の少ない、古い記録室。


誰も寄りつかない場所。


彼女は机に肘をつきながら、分厚い地方統治記録を眺めていた。


「……ここ、修正が甘いわね」


独り言は、誰にも届かない。


だからこそ、気楽だった。


「悪女の仕事じゃないけど」


小さく肩をすくめる。


そのとき、背後で紙がめくられる音がした。


「またこんなところにいるんですね」


ルシアだった。


「探したの?」


「探すまでもありません。あなた、だいたい面倒が少ない静かな場所にいますから」


「評価が的確すぎて嫌になるわね」


ルシアは軽く息を吐く。


そして、少しだけ声を落とした。


「……城が、少しだけ揺れています」


セレスティアは視線だけを上げる。


「どこが?」


「あなたがいない前提に、まだ慣れていません」


沈黙。


ページをめくる音だけが響く。


セレスティアは、しばらくして言った。


「そのうち慣れるわ」


「そうでしょうか」


「慣れなければ、それはそれで問題ね」


淡々とした声だった。


けれど、どこか他人事ではない重さがある。


その夜、王城の中枢で小さな会議が開かれた。


議題は、外交方針の微調整。


本来なら問題ない案件。


しかし、決定が妙に遅い。


誰もが意見を持っているのに、誰も決めない。


「以前なら……」


誰かが呟き、すぐに言葉を飲み込む。


以前なら、という言葉は、ここでは禁句に近い。


そこにいた誰かの影が濃すぎるからだ。


王太子は沈黙していた。


書類の上に視線を落としたまま、動かない。


彼の指先が、わずかに紙を押す。


「……保留にしよう」


ようやく発せられた声は、それだけだった。


反論はない。


だが、納得もない。


ただ、空白だけが残る。


その頃、セレスティアは庭園を歩いていた。


夜の庭は静かだ。


風が枝を揺らす音だけがある。


「意外ね」


背後から声。


王太子だった。


彼は少し距離を保ったまま立っている。


「あなたが、こういう場所にいるとは思わなかった」


「私も、そう思っていたわ」


即答だった。


王太子は小さく笑う。


しかし、その笑みはどこか探るようだった。


「あなたがいないと、会議が遅い」


「それは良いことでは?」


「良いことだ。……たぶん」


曖昧な返答。


セレスティアは足を止める。


「依存しているわね」


「否定はできない」


即答だった。


少しの沈黙。


夜風が二人の間を通る。


王太子が言った。


「戻るつもりは?」


セレスティアは空を見上げる。


星は、いつも通りだった。


「戻る場所なんて、最初からなかったわ」


「では今は?」


「ただ、少し外側にいるだけ」


彼は何か言いかけて、やめた。


その代わりに、こう言った。


「あなたがいないと、世界が静かすぎる」


セレスティアは少しだけ目を細めた。


「静かな方がいいでしょう」


「そうだな」


だが、その言葉はどこか苦い。


その翌朝。


城内で、初めて小さな混乱が起きる。


決定が一つ、宙に浮いたまま動かなくなったのだ。


誰も責任を取らない。


誰も決断しない。


そして誰も、気づかないふりをしている。


それは小さな歪みだった。


だが、確実な歪みだった。


書庫でそれを知ったセレスティアは、静かに本を閉じた。


「……早いわね」


ルシアが聞く。


「何がですか」


「いなくても回る世界の崩れ方」


彼女は立ち上がる。


外套を手に取る。


「行くのですか?」


「いいえ」


即答。


「行く必要はないわ」


窓の外を見た。


遠くで、城がわずかにざわついている。


それでも彼女は動かない。


「ただね」


小さく続ける。


「少しだけ、自分で決めることを思い出すだけ」


それは悪女の言葉ではなかった。


だが、誰よりも悪女らしい自由だった。


その日、城は初めて気づく。


あの女がいなくなったのではない。


最初から、依存していただけだったのだと。


そして物語は、少しだけ軋みながら続いていく。


セレスティア・ハイラントは、まだそこにいる。


ただしもう、誰の中心でもない場所で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。