第90話「悪女は、役割を手放しても立っている」
その朝、城の鐘がいつもより澄んで聞こえた。
特別な日ではない。
祝祭でも、緊急事態でもない。
ただ、節目のような空気があった。
「今日は、最終報告だね」
ルシアが言う。
「ええ」
セレスティアは外套の襟を整える。
長く続いた調整は、ひとまずの区切りを迎える。
会議室には、見慣れた顔が並んでいた。
誰も、彼女の席を気にしない。
中央でも端でもなく、
空いていた場所に自然に座る。
報告は、簡潔だった。
成果。
課題。
今後の見直し。
拍手はない。
けれど、うなずきが広がる。
「以上で、一区切りとします」
進行役が言う。
「異議は?」
沈黙。
穏やかな、肯定の沈黙。
そのとき、若い官僚が立ち上がった。
「一言、いいですか」
視線が集まる。
「今回は、
誰か一人の判断じゃなく、
皆で決められました」
言葉は少し震えている。
「それが、一番の成果だと思います」
小さな賛同の声。
セレスティアは、何も言わない。
名前も出ない。
視線も向かない。
それでいい。
会が終わり、廊下に出ると、
例の代表が隣に並んだ。
「もう、あなたが前に出る場面は減るでしょうね」
「そうね」
「それで、いいんですか」
少しだけ考える。
「役割は、形を変えるもの」
彼は静かに笑う。
「あなたらしい」
夕暮れ、城の階段を下りる。
以前は、背中に重さがあった。
期待。
警戒。
評価。
今は、風が通る。
悪女は、役割を手放しても立っている。
肩書きが薄れても、
中心から外れても。
立っていられるなら、
それで十分。
屋敷に戻ると、ルシアが振り返る。
「これで、終わり?」
「いいえ」
セレスティアは、ゆっくり首を振る。
「続きは、また別の形で」
窓の外、王都の灯りが広がる。
誰かの物語が、今日も始まっている。
それを邪魔しない位置に、
そっと立つ。
それが、今の悪女。
静かな夜が、やさしく降りてくる。




